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音楽をデザイン視点で分析する試み


旅×デザインの切り口でnoteを書き始めましたが、ここに大好きな「音楽」の要素を入れてみます。ちょっと、チャレンジング。


今回、歌詞のある音楽を題材にして。

どの曲がいいかな、とあれこれ考え・・・


The Boomの宮沢和史さんが作った「島唄」を取り上げてみようと思います。こちらの記事を参考に。


ヒットした1993年頃、私はジャズばかり聴いていて、この歌の本当の意味を全く知りませんでした。南の島の、悲しい恋物語かな、程度の・・・


今回の分析で、この歌は


「意味を追求せずに聞き流した時」と

「意味を知って深く聞く時」


で景色が大きくことなる「音楽のレンチキュラー」とでも言うべき特質を持っていること、それが綿密にデザインされた結果であることを知り、改めてデザイン思考の重要性を認識しました。


ちなみに、レンチキュラーって、これです。


1.歌詞(真意との対訳)

でいごの花が咲き 風を呼び 嵐が来た
(1945年春、でいごの花が咲く頃、米軍の沖縄攻撃が開始された。)
でいごが咲き乱れ 風を呼び 嵐が来た
(でいごの花が咲き誇る初夏になっても、米軍の沖縄攻撃は続いている。)
繰り返す 哀しみは 島わたる 波のよう
(多数の民間人が繰り返し犠牲となり、人々の哀しみは、島中に波のように広がった。)
ウージの森で あなたと出会い
(サトウキビ畑で、愛するあなたと出会った。)
ウージの下で 千代にさよなら
(サトウキビ畑の下の洞窟で、愛するあなたと永遠の別れとなった。)
島唄よ 風にのり 鳥と共に 海を渡れ
(島唄よ、風に乗せて、死者の魂と共に海を渡り、遥か遠い東の海の彼方にある神界 "ニライカナイ" に戻って行きなさい。)
島唄よ 風にのり 届けておくれ わたしの涙
(島唄よ、風に乗せて、沖縄の悲しみを本土に届けてほしい。)
でいごの花も散り さざ波がゆれるだけ
(でいごの花が散る頃、沖縄戦での大規模な戦闘は終わり、平穏が訪れた。)
ささやかな幸せは うたかたぬ波の花
(平和な時代のささやかな幸せは、波間の泡の様に、はかなく消えてしまった。)
ウージの森で 歌った友よ
(サトウキビ畑で、一緒に歌を歌った友よ。)
ウージの下で 八千代に別れ
(サトウキビ畑の下の洞窟で、永遠の別れとなった。)
島唄よ 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ
(島唄よ、風に乗せて、死者の魂と共に海を渡り、遥か遠い東の海の彼方にある神界 "ニライカナイ" に戻って行きなさい。)
島唄よ 風に乗り 届けておくれ 私の愛を
(島唄よ、風に乗せて、彼方の神界にいる友と愛する人に私の愛を届けてほしい。)
海よ 宇宙よ 神よ 命よ
(海よ 宇宙よ 神よ 命よ 万物に乞い願う。)
このまま永遠に夕凪を
(このまま永遠に穏やかな平和が続いてほしい。)
島唄は 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ
(島唄は、風に乗せて、死者の魂と共に海を渡り、遥か遠い東の海の彼方にある神界 "ニライカナイ" に戻って行きなさい。)
島唄は 風に乗り 届けてたもれ 私(わくぬ)の涙(なだば
(島唄は、風に乗せて、沖縄の悲しみを本土に届けてほしい。)
島唄は 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ
(島唄は、風に乗せて、死者の魂と共に海を渡り、遥か遠い東の海の彼方にある神界 "ニライカナイ" に戻って行きなさい。)
島唄は 風に乗り 届けてたもれ 私(わくぬ)の愛を
(島唄は、風に乗せて、彼方の神界にいる友と愛する人に私の愛を届けてほしい。)


2.この歌の構成要素をデザイン観点で考える


(1)歌が生まれたきっかけ

宮沢さんは山梨県出身。沖縄音楽に傾倒していたある日、「ひめゆり平和祈念資料館」で「ひめゆり学徒隊」の生き残りのおばあさんから戦争の話を聴き、最初はこのおばあさんに聴いて欲しくてこの歌を作ったそう。


(2)グランドデザイン

資料館から一歩外に出ると、ウージ(さとうきび)が静かに風に揺れている。この対比を音楽にしよう、と着想。

なお、「対比」のポイントを明確にするため、このnoteではあえて「沖縄」と「本土」という言葉を使います。もし不快感を持たれる方がいらしゃったら、申し訳ありません。あくまでデザイン観点として使っている、とご理解いただけると幸いです。


(3)手法

以下の3つの手法が効果的に使われています。


 ①対比


この歌のメインテーマです。どんな「対比」があるのか、細かく分析して見ました。


<歌詞>

・沖縄方言と標準語

ほとんどは標準語ですが、デイゴ、ウージなどの方言が散りばめられています。

・自然の移ろいと人間の営み

サトウキビはもともと沖縄にあった作物ではないらしいのですが、少なくとも現代においては沖縄を想起される代表的なもの。人の争いと、戦争があろうと静かに風になびくサトウキビの、動と静、戦争と平和、変わるものと変わらないもの、過去と未来。もっとあるかも。

・地上(サトウキビ畑)と地下(防空壕として使われた洞窟)

歌詞の中で重い意味を持つパート。二人の出会いの場所の真下が、別れの場所になってしまう悲劇。この世とあの世の境とも言えそうです。

・沖縄と本土

宮沢さん自身の解説で知った、

ウージの下で 千代にさよなら/ウージの下で 八千代に別れ

は、本土の犠牲を表している、と。


<音階>

・長調に近い、軽やかな沖縄音階と深淵な歌詞。

・大部分を占める沖縄音階と、起承転結の「転」の部分に象徴的に使われる西洋音階。


1曲の起承転結で「転」に当たる、「ウージの〜」から始まる4小節は本土で使われる音階(西洋音階)。歌詞の内容と、この歌の中で音階の持つ位置づけを一致させています。


宮沢さんいわく、この部分に沖縄音階は使えなかった、と。


意味をよく知らずに聞いていた頃、この部分だけ音階が変わることにちょっと疑問を持っていましたが、氷解しました。


 ②メタファー


解釈を聴き手に委ねるからこそ、言語の表現はイメージを広げるようなものが良い。


あくまで沖縄の風景と、海と、空と、鳥、故人を思う気持ちだけ。


比喩の中でも「暗喩」であり、意味を知った人に問いかける、スペキュラティブですらあるな、と感じます。


「もう会えなくなった人への想いを沖縄音階に乗せた、悲しさと懐かしさを併せ持つ歌」、程度の認識に始まり、多用された比喩・効果的に使われた沖縄方言の言外の意味に思いを寄せると、新しい発見があります。


言語におけるメタファーは想像しやすいのですが、ビジュアルにするとどういう表現になるのか?の答えは、こちらのリンクにわかりやすく出ていました。


 
③余白


ここでも「余白」が効果的に作用しています。

この曲に見られる「余白」は、どんなものでしょうか。


<歌詞>

最大の悲劇の場面が、とても短い言葉で完結しています。

ウージの森で あなたと出会い、ウージの下で 千代にさよなら


何があったのだろう、と想像を掻き立てる余白。


また、サトウキビ畑から先に広がる海と空が、悲しみを包み込む大きな余白として作用しているように感じます。


<音階>

西洋音階が「C C# D D# E  F F# G G# A A# B」 の12音階を使うのに対し、


沖縄音階は「C E F G B」のわずか5つ。


使われる音程の間隔の広さも、余白。


この曲に限らず、沖縄音楽にはおおらかさを感じるのは、きっと音階のせい。


ちなみにガムランも同じ5音階。この音階は、どこかスピリチュアルな力を持っているのかもしれません。


<リズム>

明るい沖縄音楽の代表「ハイサイおじさん」のようなシンコペーションは控え目に、8分音符と4部音符がゆったりとした波と、サトウキビ畑を渡るそよ風を作る感じ。


(4)デザインの効果を増幅する音楽家の存在


これまで分析してきたように、元々はとても「私的な歌」に仕込まれた精緻入念なデザインが、現在も複雑な思いを持つ沖縄の人たちを含む、多くの人に受け入れられた理由と言えるでしょう。

宮沢さんは、

自分で「島唄」を作っておきながら、「本土出身者のぼくがこの歌を歌っていいのか」と悩んだことがあった。その時、「音楽では魂までコピーしたら許される」という言葉でぼくの背中を押してくれた人がいた。「花」を始めとする多くの名曲で知られる喜納昌吉さんだった。

と語っています。


伝えたい相手の気持ちに完全になりきって作り上げる。デザインにとってもっとも必要なことかもしれません。


そして、デザイナーの思いを拡大する(作者以外の)音楽家、そして場の雰囲気という、図形的デザインにはない要素が組み合わさって、世界が広がって行く感じがします。


多くの人が歌っていますが、私の一番のお気に入りはこちら。

今回のnoteを書いてみよう、と思ったきっかけの映像です。

noteをやってなければ、ここまで掘り下げられなかったかな。


沖縄出身の夏川さんが歌うことで、この歌が沖縄に優しく溶け込んでいく、そんな気がします。

涙が出るのであまり何度も見られないですが・・・


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究極の文系、ノンデザイナーのためのデザインスクール生、50代。 そんな私が旅で見たもの、感じたものを無理やりデザイン観点で整理する試み。 本職のデザイナーさん、暖かい目で見守って下さいw そして、最近写真館もスタートしました。