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釈正輪老師講話会、7月10日開催

次回7月の釈先生講話会は7月10日(水)の開催になります。

開催日:2019年7月10日(水)
時間帯:19時~21時
開催場所:麹町ゼンカフェマリーナ
アクセス詳細
〒102-0083 東京都千代田区麹町4丁目8 高善ビル
東京メトロ 有楽町線 麹町駅 4番出口徒歩1分
地上に出てすぐ左折。左手のファミリーマート角を左折。突き当たり右側の白いビルの1Fです。
JR中央線・総武線・東京メトロ南北線 各四ッ谷駅 麹町口徒歩5分
参加費:3000円

年内の予定は下記の通りです

7月24日(水)東京、武道礼法体験会
8月7日(水)東京、講話会
8月21日(水)東京、武道礼法体験会
9月11日(水)東京、講話会
9月17日(火)東京、武道礼法体験会
10月9日(水)東京、講話会
10月23日(水)東京、武道礼法体験会
11月6日(水)東京、講話会
11月20日(水)東京、武道礼法体験会
12月4日(水)東京、講話会
12月18日(水)東京、武道礼法体験会

前回6月は

元号変更に伴う、令和について
新しい時代を迎えるにあたって、令和の言葉が持つ意味、そして価値について

釈先生の経験談による解釈を踏まえて解説頂きました。

地球的な規模で考える事の大切さ
ネット社会で様々な情報が入り、海外から来られる外国人の方
そこには日本文化を心から好きな方もいるし、そうでない方もいる。様々な情報と価値観が多様化する時代になり
狭い範囲の視野で物事を捉えるのでへあなく、出来れば広い視野で物事を見れる様になってほしい。

これからの時代において、益々「差異」が出てくるという事。
そこに対して、考えるべきは1個人としてたくさんの海外の仲間を作る事。
そこで初めて良さ悪さ両方とも見えてくる。

違いがあるからこそ学びがあり、面白さがある。
排除するのではなく、お互いが違いを受け入れ学んでいく。そしてお互いの理解を深めていく。

違うからこそ!という意識を持たないと世界平和を目指す前提が崩れてしまう。

講話会を通じて、主に歴史を扱うことが多く

歴史から学ぶとは?
歴史から学ぶ和の精神とは?
釈先生の大切にしている和の精神を学ぶというのは、縄文時代における和の文化も学ぶべき点が多いのではないかと。

縄文もそうですが、聖徳太子の時代を例に、17条の憲法の第1条に和をもって尊しとなす。それがなぜその時代、第1条に書かれていたのか?そこには周りを武力で制圧ではなく元々の日本には周りを尊ぶ和の精神があったのを地理的な視点と歴史の始点から教えて頂き

「闘争心の無さ」

縄文時代が長い間続いたのは縄文遺跡には争いの形跡がない。人間が得た糧を皆に平等に分け合い、十分に幸福に暮らしていれば、争う必要はない。争いが始まったのは、大陸から渡来した弥生人が、縄文人の土地に入り込み、農耕を始め、農作物の貯蓄により権威者を作ったことで、縄文時代が終わった。

なので、ひとえに歴史から学ぶというのは特定の時期だけではなくて広く見ながら、大切にすべき点が何かを持つ事とそれに合致した時代に何が行われていたのかが重要なのかな?と思うところ+いろんな見方を批判せずに受け入れる事が大切なのかなと思います。

もし歴史が繰り返され変化しながらも続いていくのだとすると、今の混沌としている世の中に中心的な役割を果たすのが日本になるのか?

AIが発達した後に来る生き方の見本になるのが日本人になるのか?が興味持つところで、きっと歴史の知識と時代とともに発展、滅んで流れ着いてきた後に、和の精神と技術発達がどう融合していくか?

そんな視点で物事見ていくと、古代史から学んでいくことに興味が持てる様な気がして、世界各地の文明が約200、300年に対して縄文文化は二千年から三千年も文明が続いていたと言われ

既に縄文時代には下記の様な民族がいたと。
宮古島や沖縄近辺のクマソ
鹿児島のハヤト
出雲のオロチ
難波のツチグモ
関東から岩手、青森にかけてエミシ
北海道のエゾ(アイヌ)
これらの民族は全て船に乗って狩りをしていた。
教科書にある様で無いこの紀元前の民族がどの様にして生まれたのか?どこから来たのか?
等々を講話会の中で聞く事が出来ます。

縄文時代は実は海洋民族であり(別名コロボックルとも言います)、鯨やイルカ、オットセイを主食としていた。また稲作は水稲栽培を行っていて、どんぐりやしいのみで防風林も作っていた。それが二千年から三千年も文明が続いていたと言われていて、世界各国の文明が約200、300年に対して縄文文化は2000年、3000年と続いた背景には、世界中の血が混ざっている日本だからこそ他民族(多民族)を受け入れる平和的な感性を持ちえたからこそ出来た文明ではないか。

ただ、残っている文献などが他の時代と比べると少ないために興味を持つきっかけが少ないと思いますが、そこに出てきた我が地元の三内丸山遺跡で

視点を変えると、殺戮がなかった。助け合いでものを食べるのも分け合っていた。書物はないけど土偶、ヒスイなど土器=信仰が見られお墓もあり、信じるものがあった。信仰になるアニミズムがあったから統治の必要がなかった?などなど

衣食住を助け合いながら創っていったのが、平和的な視点、助け合いの視点のヒントが隠されているかなと。
そして、定住できたのは、循環型の生活も今の時代にヒントがあると思うのが、定住生活で何千年続くというのはゴミをただ捨てるのではなく肥料にしてたか、再利用出来る様にしていたか、それが無ければゴミが溜まって移住する事になると思われるので、そこにも何かヒントが?

歴史から学ぶが人に焦点を当てるのが聖徳太子以降の統治、権力というのが発生してからは人、領土になると思いますが、その前の数千年続いた文化の視点から歴史を学ぶを見てみるの視点が求められる時代になりつつあるかなと。