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いまさら聞けない目に見えない世界(デジタル革命)

今現在、私と同じように40歳前後の人達。

今まさに何気なくこの記事を見ている皆さんのこと。

ファミコン、パソコン、インターネット。

とにかくそれらの物たちに理由もなく惹かれ夢中になりました。

時間と予算を湯水の如く注ぎました。

何故??why??

いまさら考えても理由なんてありません。

当時の私たち共通の情熱だったからです。

デジタル革命のはじまりからこれまで、本日はそんな話。

目に見えている世界と目に見えない世界

現実とはつまりパソコンでいうところのデスクトップの領域。
パソコンの画面上に現在進行形で表示されている領域。
ショートカットアイコンなどが置かれている場所。
スマホのアプリがずらりと並んでいる領域。

デスクトップ上のアイコンをダブルクリックすれば、選んだアプリに応じたアクションが画面に映し出される。スマホならタップ。
そういま私たちが生きているこの現実のように。

そして潜在意識とは、そのアイコンなどが格納されている目に見えていないバックグラウンドのフォルダ。そして実際は、すべてのアプリケーションはバラバラの場所に格納されていて、その都度必要なアプリをそれらの場所から起動させている。

このように私たちが世界と呼んでいるものがコンピューター上のコアの部分(CPU)ではないだろうかなどと、やがて思い当たるのです。

次元の構造については、パソコンのファイルの階層構造でイメージできる。

同じフォルダ内のファイルを太陽系の中の水星や火星のような星だとすると、別の銀河の星は別のフォルダ内のファイル。ここでフォルダ間のファイルのやり取りを思い浮かべてみてください。

今現在のフォルダから別のフォルダにファイルを移動させようとすると、一度現在のフォルダから一旦一つ上のフォルダに移動し、そこからまた移動先のフォルダへ移動した後、そこにファイルを移動させる必要があります。

つまりは仮に隣り合ったフォルダ間のファイルの移動であっても、一旦別の次元(一つ上のフォルダ)へと移動しなければなりません。

仮に光の速さで宇宙空間を飛べれば、いずれは別の銀河にも到達は可能のように思え、ても何か今一つ腑に落ちないのは、この次元構造はこうでなきゃという思い込みからくる違和感が腑に落ちない原因だということ。

ここで余談です、光の速さとはすなわち私たちの認識の速度なのではないだろうか。この世界の最高速が光なのではなく、私たちの意識の速さの上限が光の速さであり、それ以上高速に移動できないだけ。

つまりはコンピューターのCPUの処理の速度が一定の数値で決められているように、その上限速度が必然的にこの世界の限界の速さ。

でも多くの人々が知っている通り、ファイルはコピペしたり、切り取ったりすれば、フォルダ間でのファイルの受け渡しは容易となり、そもそもデスクトップにファイルのショートカットを置いてしまえば事足ります。

このように創意工夫の余地がこの世界にはまだまだ残っているので、自ら光の速さを超えられないと決めつけなくともよいということなのです。

横道にそれた話を元に戻しましょう。
いわゆる私たちの住む物質的な世界が3次元だとすれば、必然的に意識だけの存在である高次元の存在は5次元のような別の次元に存在していることになります。

もともと私たちは虚無(0ゼロ)の世界からやってきました。
虚無の世界とは私たちが現在認識している物質的な世界の前の世界、精神的な、デジタルな世界のことです。
4次元(高次元)とかあの世とか呼ばれている世界のこと。

このように先にも述べた通り、次元については一つ上の階層のフォルダだと考えれば理解しやすいと思います。
パソコンの中のCドライブの中のファルダの中の更に中のフォルダの中のファイルのような入れ子の構造。

次元が上になるほど実際には内へ内へと潜り込んでいく不思議な入れ子のフラクタル構造。そうしてすべてに意図してアクセスしている存在こそがパソコンの自意識(CPU)、世界そのものということになります。

これらの事柄が示唆しているのは、結局のところ私たちの正体がコンピューターのような存在だということ。つまり私たちの正体こそ世界。

しかしながらそこから枝分かれした存在である私たちには詳細を推し量ることは叶わない。であればこそ思い出すため、いま私たちは一旦メタバースの世界を作り出し、この世界と瓜二つの世界を創り出そうとしています。

そうしてそのメタバース内に見分けのつかない世界を見た人々が、あぁそうかと気づく仕組み。

これは遠い未来の話でなく、数年から数十年後の話をしているのです。

つまるところのデジタル革命の終着点とはそのことを謳っているのだ。

異端児、氷河期世代、すべてを打ち砕きし者たち

1980年前後、新人類が誕生し始めます。

そんな彼らへと事或る毎に狭間の時代が重くのしかかり続けました。

時代の寵児となりつつあった彼らはこの世界の在り方に疑問ばかり、だから世間からは頭の変な子達だと思われました。

そうしてこの世界の在り方に疑問を持ちながら生きるうち、彼らはこの世界がクソゲーのような仕様だと気づきます。そしてそのタイミングでパソコンとインターネットが彼らの前に突然現れたのです。

「コレダ!!」

彼らにはソレとすぐにわかりました。

それからはもう無条件。

水を得た魚のように、彼らはこの現実世界では存在しえないほど大きな海原(ネット)で自分を表現し始めました。

インターネットに書かれている、ブッダやキリストをはじめとする真理に到達した人々の言葉が彼らの背中を押したのは言うまでもありません。

以後、彼らは周りの大人たちに意見を求める事はなくなりました。

時代に乗り遅れている人々と事実関係を擦り合わせる時間さえも惜しむほどに時代は加速して流れはじめていたから。

それからも理解できない人々は相変わらずこう言っていました。

「ソレは悪いものでは?」
「お金になるの?」
「それって楽しいの?」

彼らはそんな人たちを見て焦ります。

自分が間違っているからではありません、時代に取り残されている人々が多すぎるからでした。

僕たちは時代の寵児などではない。
時代の中で少しだけ歪んでしまった背筋を正したかったのだ。
ただ誰もが表現者となれる自由な時代が見たいだけ。

家柄?
学歴?
年収?
非正規雇用?
全部クソッタレ。

そんなものはデジタルの世界では通用しない。
メタバースの世界では、自分の中の情熱だけが唯一の武器。
パッションを槍に変えられる者だけが生き残れる世界。

試しに僕らに札束で交渉するといいです、きっと鼻で笑われるでしょう。

僕たちはとどのつまりからそんなことのために戦っていないから、そもそもお金になんて困ったことがないから。

でももうその戦いももうすぐ終わります。

高く分厚くそそり立っていた時代という壁はもう存在しません。

いまはもう跡形もなく打ち砕かれた壁の残骸だけが残るのみ。

残骸の傍らには自らを槍へと変えそのままの姿で横たわる同胞たち。

残された僕たちは、幾多の屍を乗り越え、ついに30年程でやり遂げたのだ。

何でも書いていい掲示板があったら人は何を書くのだろう

西村 博之

この世は全であり、一である

私たちが普段使っているパソコンやスマホの外には私たちが生きる世界があるようにさらに外の宇宙のさらに外に宇宙は広がるというように幾層にもこのメタバースの世界は広がり続けているのです。

少なくとも現在私たちが考えるパラレルワールドの概念は実際のそれとは大きく乖離しているのは紛れもないこと。このように私たちの想像をはるかに超えたスケールでこの宇宙やその他の宇宙が存在している。

おそらくは内と外さえも曖昧なフラクタル構造で並列処理されるパソコン群のようなものがその正体で、ドーナツの一部分を切り取ってその瞬間を繰り返し見つめているような刹那的なイメージ。

次の刹那にはまた別のドーナツ(パソコン)のようにどの瞬間も留まることなく変化し続けるもの、諸行無常の理の通り。

さきほども光の速度の話をしました。
でもそれは自分で制限をかけているだけ。

実際にはこの世界での速さは無限。
いまこそまさに、そのタガを自分で外すとき。

何も特別なことではない、これまで奇跡を起こしてきた人々は皆やってきたこと。買ったばかりのスマホのOSには初期設定が必要、そしてまた次のアプリケーションの起動を待っているのだ。

私たちの目の前に見えている世界はすべて自分の意識が投影された、例えるなら光の紙芝居です。
ある意味自作自演なのですから人生に深刻にならないでください。

スマホがどういう仕組みで動いているかなんて誰も知りません。
同じように人間が何故動いているのかなんて誰も知らないしさほど気にしていません。

「最近のテクノロジーの進化がすごい!」
これはたまに聞く言葉、でもまだ私たちは自分たちの髪の毛一本さえも作り出せないでいます。
そもそもなぜ自分の心臓が動いているのかすら知らないのです。
つまりは知る必要すらないということ、ただ生きればいいだけだから。

私たちは元々はデジタル(5次元以上)から誕生した魂の存在。
現在はたまたま人間として生きているだけ。

一度でいいので自らが仮にこの世のすべてであると思いを巡らせてみてほしい。ようやく勇気というその心の剣を振るう時が来たのです。


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