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SW(ソーシャルワーカー)の未来を思う

先日、後輩とリモートでたくさん話した
後輩からの相談現状を聴き
後輩が話しながら気持ちと考えの整理していく
現状への対処に悩んでいたのだけれど
過去のデータだけを参考に考えてはいけない
「社会」「世界」「生活」「価値」の変化の内容やサイクル
「未来」に予想されることをどう見据えるかも大事

そんなことを思った

30年の経験で感じてきたことを
僕も振り返って見よう
と思った
詳細は膨大な情報量になるので
僕個人の経験で印象に残っている思い浮かぶことを
備忘録的で統一感のない表現になるかと思うけれど
できるだけ簡潔に書き記してみようと思います

1990年代に僕はPSWとなった

PSW(Psychiatric Social Worker)は
精神科領域の専門知識を持ったソーシャルワーカー
患者さんは「医療を提供すべき疾患をもった人」の時代のはずが
現実は、強制的に病院に収容されて10〜40年入院生活
院外に出たことのない社会との隔離された患者さんがほとんど
病院にリハビリ職、福祉職のいない病院、地域だった
院内の専門職に社会復帰という概念はなかった
当然、地域に受け入れてくれる資源も皆無だった
すでにあった社会福祉士とは別の国家資格化となり
1999年第1回精神保健福祉士国家試験を受け有資格者となった


精神保健福祉分野の言葉が変化

疾患名や障がい名、法律の変化

●PSW→精神保健福祉士(PSW)→MHSW
●精神衛生法→精神保健法→精神保健福祉法
●心神喪失者等医療観察法
●精神病→精神障害者→障害者手帳
●精神分裂病→統合失調症
●痴呆症→認知症
●人格障害→パーソナリティ障害
●大人の発達障害
●ADHD
●HSP

人権擁護や疾患から障がいという捉え方へ
障害の「害」という漢字に対する意味も考える時代になった
言葉の意味や定義が変化しても
現実はいろんな立場で様々な誤認や葛藤が生まれ
浸透するには期間がかかるものだなと思いました

それは新い言葉が意味するものに対しても同じ


精神科の治療やリハビリや支援がなかった

言葉の変化が意味するものは
人間の尊厳を大切にしようとする変化
現実はなかなか追いつかない
けれど
僕自身の30年の経験でこれだけ捉え方が変わっている
僕がPSWとなった時は
「収容」から「入院」という言葉に法律上なっていた
けれど
長年現場にいらっしゃる方々は従来の言葉が抜けていなかった
ただ、「収容」という言葉を使っていた方々の中にも
愛情を持って接していた方々は多かった
けれど
治療法やリハビリプログラムや社会資源は
現在と比べると・・・
ほとんどなかったと言いたくなるほどだった

収容→隔離→入院医療→福祉→退院促進→社会復帰→地域支援→◯◯◯

1995年(平成7年)精神障害者として障害者手帳ができたとき
手帳に写真を載せないスタートとなった
当事者が実名や顔を出したり
自ら体験を語ることはとても難しかった
時代から
自らの体験を語る当事者は増えた
研修会や講演会や雑誌やラジオ、SNSを活用して
様々な形で発信する機会が増えている
専門職の情報よりも
リアルで当事者目線の生きた情報が増えている


立場の違いで認識のズレをとても感じた

言葉や環境の変化する意味は
当事者にとって
家族にとって
医療従事者にとって
経営者にとって
福祉や行政など関係者にとって
一般の方にとって

それぞれ違うのです
もっと言えば、当事者も個々違います
家族や医療従事者も違います
当たり前のことではあるのだけれど
その違いからいろんな摩擦が起きます
健全な摩擦になればいいのですが
不健全なものにもなることもあります
感情、人権、組織、経営、制度、法律、理想
立場や個人の思いで優先するものが違います
立場が違うと壁ができていたり
歩み寄って協力しあっていたり
30年前も現在でも
どこにでもあることだなと思います


医療を取り巻く変化を感じた

身体科医療や介護の領域も身近な職場環境に身をおいて
心と体の関係は切り離せないことも感じる
精神科領域と身体科領域の連携も重要な場面も多い
現場での壁は高く課題を感じる経験もかなり多い

医療の進歩と生活習慣で病気も変化していく
新しい研究、情報、考え方も変化
不治の病は薬や治療法が見つかり
新たな病気が誕生していく
世界的に影響のあったコロナウィルスも
身近でも影響が多く
ウィルスも情報も不安も感染していた
特に今の時代は情報の速さが良くも悪くも影響しやすく
その情報の取り扱いや仕組みにも課題は多くあった
寿命も長生きになっていくけれど
超高齢社会で認知症や健康上の問題は多い
健康寿命について考えるようになった
介護の課題も多い
それらを支える財源や人材の課題も悩ましい


質が高いことが普通?

日本人の技術力は高い
そんなことを思っている人は多いのではないだろうか
そう思っている自分がいる
だからより質の良いものを求める自分がいる
医療を受ければ治って当たり前と思っている病気は多い
「組織」「設備」「肉体」「患者」「専門職」
個々の違いはあるけれど
効率よく適切な医療やサービスを
提供される仕組みが考えられていく

できないことや上手くいかなかったことは
責められるようになっていく
「普通」=「質が高い」を求められる
一般の方の口コミや★の数の評価もあれば
専門の評価機構による評価もある
「普通」=「質が高い」を求める自分もいる


失敗は少しもダメ?

医療は失敗は許されない
そう思っている人は多いのではないだろうか
では
専門職はどのように技術を身につけ成長するのか
そんな機会はいつでどこなのか
資格を取れば完璧でなければいけないのか
少しも失敗は許されないのか
失敗から学び成長することも多い
失敗の内容にもよるし教育環境も大切

質の高いサービスを提供しようと努力はする
優秀な人もいるし、不器用な人もいる
働くことの価値観も多様化が言われるようになった
お金や生活のため、人の役に立ちたい
出世したい、技術を磨き成長したい
いろんな価値観があって否定するものでもない

患者さんのためにも成長するためにも自分の時間を削って
サービス残業当たり前の時代では無くなった
器用な人もいるし、不器用な人もいる
勤務後に成長したいからと
職場に残ることが悪いことのような印象を持たれる時代になった
要領の悪い自分が今の時代で社会人になったら・・と思うと怖い
資格を取ればプロなのだけど・・
実際は短い実習と試験で合格しても
ベテランのようにできるはずもないどころか
専門職としても社会人としてもとても未熟な若者は多い

環境の変化を多く感じることは増えていく
・コロナ禍でオンライン授業で過ごして
・同期やっ先輩後輩の交流もあまりなく
・丁寧に教わることは当たり前
・わかりやすいマニュアルがないと不親切
・無理をしないで自分を大事にすること
・褒められて伸びるタイプ
・体験より情報の知識が多い
・失敗や怪我や危ないことは親がさせない

自分で考えてやってみて失敗するより
失敗しないように教えてもらうことが大事になってきた
多く失敗し反省し努力してできるようになった自分は
今の時代なら諦めが早かっただろうと想像してしまう
新しい価値観にも柔軟でいたいと意識していても
時代遅れになっていくものだなと感じることは多い


質も給料も満足度も高い職場がいい?

本音はそうだよね
そんな職場はどこにあるんだろう
「そう思って入ったはずが違った」
そんな話はどこでも聞く
価値観も違うから感じ方も違うだろう
質、給料、満足度を高くするのは誰だろう?
経営者?上司?労働者?利用者???
誰かがしてくれるものと言わんばかりな発言をよく耳にする
みんなが努力し続けなければ維持できるはずもない

優秀な人材がいることで
質の高い業務を実現できることはもちろんある
利用する人から「Aさんがいるから利用する」
働くスタッフも「Aさんだからついていきたい」
経営者は「Aさんのようなスタッフを増やしたい」
Aさんがいるから成り立っていたことは
Aさんがいなくなった途端に変化し崩れやすい
変化があれば不満は出やすい
不満が増える環境は業績にも悪影響が出やすい

探してもあるようでない
経営者も働く人たちも一緒になって
そういう環境づくりを目指そうと
みんなが意見を言えたり
お互いを尊重できたり
協力し合ったり
努力をしたり
自分もみんなと一緒にやるんだと思えなければ
見つかることはない


転職しやすい社会になっていく

優秀な人材は求められることが多い
引き抜き、転職の考えが変わってきている
転職しやすい社会へと世の中は舵をとっている

真面目に誠実に勤務していれば評価された時代は過去
経験年数で昇格したのも過去
自分がどれだけ結果を出すか
能力で評価される時代に変わってきた
だけれども、真面目に誠実に勤務する存在も重要
人が代わって誰がやっても機能することも重要
どんな人材が求められ
どんな評価が適切なのか
時代とともに変わっていくのだろう

高い質を求めるのが世の中
少子化になり労働人口が減る中
人材を確保することは更に困難になっていく
★の数でランク分けされていくのだろうか
ある意味ランク分けはすでにされている
優秀な人は高い質の環境に転職しやすくなるかもしれないし
不満を持つ人が転職を繰り返す数が増えるのかもしれない
大卒だろうが資格を持っていようが優秀とは限らない
転職しやすい社会になると
人の入れ替わりが増えるのだろうか
それに社会も人も慣れていくのだろう
適応できる世代に変わっていくのだろう


働き方は大きく変化した

1990年代の働き始めた頃は
2023年現在の制度や社会資源はない
ネットやスマホもない
情報は足を運んで顔を合わせて話を聞いて
自分の目で見て耳で聴いて肌で感じて情報を得た

得た情報を今後に活かすためには
手作業の労力と工夫が必要だった
そうするしかなかった
事前に電話なり文書なりお願いをする礼儀は
現在より厳しく叱られ注意され指導を受けた

現在は、指だけ動かしてモニターを見て
ネット上の情報を得るだけだったり
コピペして資料にしたり
必要があればメールを送ったり
相手の顔も声も
実際の場所も雰囲気も感じることなく
現状を直接行って確かめたこともないまま

患者さんに説明することも増えていく
効率的なようであるけれど
そんな程度の仕事は無くなるだろうし
AIやチャットGPTの方がいち早く的確だろう

ネット情報が正しければ・・・


専門職の知識より体験談

専門職が現代の情報やツールを駆使しても
一方で、当事者や経験者の体験談も伝わりやすくなっている
リアルで具体性があるし、発信する人が増えている
体験をアウトプットする人が圧倒的に急増している

経験者も誤った認識をしていることがあるし
正しく理解できていないこともある
あくまで体験から得たことで科学的ではない
専門知識も大事だけれど
それでも必要とする方が興味を惹かれるのはどっちだろう
もっと言えば
体験した人が専門的な知識や科学的な情報も理解して
発信することも増えていくだろう
資格を持った専門職は未来に向けて
何をやっていくことが望ましいのだろうか
経験者のリアルな情報や発信力と
専門的な技術や科学的な知識の融合
もっと進んでいくのだろう


離職防止の発想は古い?

転職がしやすい世の中になれば
離職防止の方法も見直す必要があるのでは
少子化で労働人口の減少は大きな課題
様々な財源は激減するのは目に見えているし
世の中はどんどん人を必要としない環境になっていく
専門職を目指す人材は減る
資格取得できる学科はすでに減り
始めている
学生が減っているのだから当然のこと
大学生をターゲットの活動は遅い
高校生や中学生などをターゲットに
専門職を知ってもらう必要があると
コロナ禍の世の中になる前に考えていたけれど
もっと広い視野で見つめ直す必要があるのかもしれない
夢や目標、働きたい動機、何に心を動かされるのか


ソーシャルワーカーに求められるものは?

人が関わることで専門性を発揮できることは何だろう
スーパービジョンを受けなくても仕事はできる
そんな有資格者が増えている印象の一方で
2023年の国家試験の合格率が上がった
社会福祉士は、25〜30%から44.2%
精神保健福祉士は、60〜65%から71.1%
いいことのようでもあるけれど課題も増えるだろう
例えば、合格者の知識や技術面の育成
その資格を職業とするとは限らないなどの課題とか

そして、これまでの大きな役割は
長期入院を余儀なくされてきた統合失調症の方々を
退院促進、社会復帰、地域支援することが中心になっていた
対象とする疾患も社会背景も大きく変わっていく
ストレス社会への対応や
児童から思春期、若い世代から高齢者までのニーズ
育児や教育や介護、差別や人権、犯罪、様々な場面のニーズ
これまでもあったけれど
これまでとは違う様相となっている
精神保健福祉士という専門職のままでいいのか
心も体も一緒に考えていく必要はあるし
社会福祉士と精神保健福祉士の統一する議論はあるけれど
今後、どんな専門性を求められていくのだろう


時代への適応力は求められる

医療業界、福祉業界、行政、教育機関、民間、住民
立場が違えばズレがあるものだと思うことは先にも記した
環境が違えば価値観も違う
大きな組織のメリット、デメリットもあれば
小さな組織のメリット、デメリットもある
日本と海外の違いから学ぶことも多い
海外から輸入している技術や理論も多い

超高齢社会を経験しながら何を学んでいるのだろう
隔離してきた人たちを社会復帰へと修正しながら
何を学び得たのだろう
目の前の支援を必要とする方々へ誠実に関わり
地域づくりを一生懸命やっている方々も多いけれど
専門職としての役割をどこに見出していくのか
今の求められる役割に埋もれてしまわずに
将来を見据えて備える視点も大事だと
30年の変化を体験して思う

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