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再び振り返る。

ギターについて書こうかな…
TL式のSNSは、流れていくから、非常に使いづらいので、noteでも何度も同じ事を繰り返す必要があるので。

自分がクラシック以外の(小学生の時の近い夢では、鼓笛隊に入るかリトルリーグに入るかで、野球を選択した。)音楽に興味持ち始めた当初は、やはり一般家庭なのでテレビからで、ザ・ベストテンとかで、当時流行ってた歌手(斉藤由貴の「卒業」は歌詞も覚えた)や、アイドルから入ったと思うけど、ラジオを聴く様になってからは洋楽主体で、BSで今またやっているベストヒットUSAは、当時は小林克也さんもイケイケだったし、登場する海外のトップアーティストも凄かった。雑誌は正直嫌いだけど、ロッキンオン社の創立者、渋谷陽一氏監修の「ショウビズTODAY」は、最新のハリウッド映画の情報もいち早く入ったし、それよりかなり前、小学生の頃に観ていた、NHKの「6◯◯こちら情報部」は、カルチャークラブやデュランデュランや、もっと凄い大物アーティストも生出演していた。
あとは…船木誠勝さんがYouTubeチャンネルで好きな音楽について話しているのを聴いたけど、
船木さんと同じく自分も映画のサウンドトラックが入り口でもあった。

当時自分はラジカセを持っていなかったので、
好きな音楽がラジオで流れたら、一回で多くの情報を得ようと、耳をダンボにしていたので、
それが今やってるYouTubeに活かされている音感を育んだのだと思う。
勿論まだ登録者が少ないので、ならば、仕方ないからリアルに活動したいけど(自分のギター演奏を視聴してる総数が少ないから、広げる為には、という意味合いで)
下地は普通の人よりもスキルが上だと思う。何よりも、映画もそうだけど、視聴してきた総数の厚みがある点。

当時80年代、MTVでエディー・バンヘイレンのタッピングを観た時、
ギターて凄く面白い!!
と思った。ちょっと、大人のおもちゃ(そういう意味でなく、印象が)の様に感じて、空を飛べそうな感覚になった。
MIYAVIが、ギターを手にした時、
大観衆を前に喝采を浴びてる姿が浮かんだと話していて、
現にそのようになっている現在だけど、
自分もギターを弾くスーパーギタリストをブラウン管で観て、そうなる姿を妄想していた。

ただ、家が保守的だったし、親に物をねだる事が何故か出来なかったので、
初めてエレクトリック・ギターを手に入れたのは、10代の終わりだった。
貰い物で、
地元の先輩が、千葉という所のライブシーンは、横の繋がりが非常に強くて、(結構前だけど、千葉のライブハウスシーンの面倒見の良いリーダーは、氣志團の綾小路翔氏との事でした。

実際は会った事の無いhide のバンド を氣志團万博でトリにしたのは、同じ千葉の音楽シーン出身、という事からです(だと思う)。こんな事は、千葉だけかと)
爆風スランプともその人は繋がっていて、
そこでサポートキーボードをしていた人が部屋に置いていった「グレコ」のレスポールモデルを貰ったのが最初のギター。

東京にも持っていったけど、演劇漬けだった間は、ギターケースから一度も出さなかったけど、
劇団を辞めたその日に部屋に帰り、
何故かケースからギターを出したら、
そこからは半分以上夢心地で、
ピックも持ってなかったので、
指でチャック・ベリースタイルのロックンロールリフやフレーズを、
本当にやめられなくて、取り憑かれた様に、一晩中生音で弾いていた。

何故ロカビリーギターを弾いていたのかは、当時ジェフ・ベックがジーン・ビンセントの、後の呼称だけど、ロカビリーのカバーアルバムをビッグタウンボーイズとリリースしたばかりで、それをラジオで聴いて、耳に、音や印象が強く残っていたのだと思う。

でも、感覚としては、「不思議体験」でした。

スポーツでいう「ゾーン」に入っていたのだと思う。

でも、ギターの練習なんて一度もしてなかったのだけど、途切れる事なく弾いていた。

それからは、引っ越した先のアパートも西新宿が近かったし、兎に角、ジャズも沢山、ギターの入った音楽ならば何でも聴きに聴きまくり、ジャズの評論本とかも読んでいた。

思い出したけど、「ジャズ・ギター」は今は全く弾けないけど、興味を持ったのもキッカケがあり、

テレビでバド・パウエルのトリビュートコンサートを放送していて、そこで初めて山下洋輔さんの素晴らしいピアノ演奏を目にして、山下さんの面白著作の虜にもなったのだけど、それは別として、パット・メセニーのステージを観た時、無性にギターが弾きたくなり、本当はどうだったかは録音してなかったので不明だけど、自分としては、これも弾いた事の無かったジャズギターのフレーズが弾けて、最初のロカビリーギターを弾いた時に似た感覚で弾いた(つもりかもだけど)のがキッカケでした。(ジャズギターの世界の方が、旧と新の区切りがしっかりとあって、そこはロックよりも評論ありきみたいなところもあるので、シビアだなあと感じました。旧スタイルの現役ギタリストでは、ジョン・ピザレリが好きでした)

それまでもバンドの話とかあったけど、
今はないカリスマ性があったのか、
ボーカルで、
というのばかりだったけど、
やるならギター。(自分の声は嫌いだったので)練習した事もなかったけど、
ギターがやりたかったので、現実になった事はなかった。

格闘技(本当は大相撲が好きだったけど、体格に恵まれなかったのでボクシング)
の夢も、女性優位の家庭だったので、早々に潰え、
次に夢見たのはミュージシャン。

役者には…映画は好きで、といっても、テレビ劇場だったけど…
やるならば監督か、当時「マイアミ・バイス」が海外で流行っていて、テレ東で放送していたのを毎週観ていたので、
そういったスタイリッシュな映像に憧れて、
日本写真専門学校(現・ビジュアルアーツ)と、
舞台芸術学院のパンフレットを取り寄せて、
知ってる有名人の名前がOG欄に沢山載っていたので、そちらが親を説得しやすかったし、
演劇なんてやった事なかったけど、知らない世界に興味も少し湧いて入った。

入ってもやはり、表に出たい連中ばかり集まる世界なので、
時折その食うか食われるかの足の引っ張り合いにうんざりして、辞めようと突発的に考えた事も何度もあった。

で、無事卒業して、先輩の劇団に入ったけど、
辞めてからは、何のアテもなく、
あったのは「若さ」だけであったので、
バイトを渡り歩いていただけで、
今思うと、役者としてのキャリア諸々の観点からは、無駄なだけの、色々な経験はしたけども、一つの道を歩いてキャリアを積まなかったいという点でも、空白の10年間であった。
今回の投稿はここまで。

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