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ひとつ屋根の下

最初に言っておこう。

俺はミュージシャンを稼業とし、細々と活動している。自他共に認める猫好きであり、自作の愛猫Tシャツをステージで着るほどの愛猫家である。

そこを踏まえて御一読頂きたい。



今、うちには保護施設からもらってきた猫がいる。

20年ほど飼った猫の死後、もう猫は飼わないだろうと思っていたところに、保護猫の引き取りの話があり、悩んで悩みぬいた末に飼うことを決意し、二度の施設への訪問の末に譲り受けた。

新しい家族との生活はもう二年以上になるが、俺がこの世に生を受け半世紀。思えばいつも傍に猫がいた。

楽しいときも悲しいときも嬉しいときも辛いときも、そして今も。折角の機会だ。思い出して書き記してみようと思う。
口幅ったい事も書くと思うが許して欲しい。


俺が生まれたとき、母方の祖父母の家には「にゃん太」という白黒ぶちの猫がいた。俺が小学生の頃に死んでしまったが、当時としては長生きだったと思う。子供嫌いの大きな猫で、子供には近寄らず、かといって逃げるでもない絶妙な距離を保ち、大人が胡坐を搔いていると、いつもそこに丸まっていた。俺が真似をして乗せようとしてもすぐにいなくなってしまった。それが悔しくて何度もチャレンジしたが、ついに夢が叶うことはなかった。早く大人になりたいと思った。

話の時間軸が少し戻るが、実家はアパート暮らしをしていた。当時の田舎のアパートといえば平屋の長屋スタイルが多く、うちもその例に漏れなかった。1970年代は野良猫、野良犬は珍しいものではなく、逞しく生きていた。防犯や施錠などといった意識の希薄な時代、高齢のオスの野良猫の一匹が家に勝手に出入りするようになり、ご飯の残りを食べさせているうちに住み着いてしまい、「ラッキー」と名付け飼うことになった。

俺が3~5歳の頃の話なので細かい記憶は定かではないが、これだけは忘れない。高齢のため日々弱っていったラッキーが、ある日毛布を敷いた段ボール箱の中で静かに息を引き取った。

親父が泣いたのを初めて見た日だった。


ラッキーの死後、しばらくしたある日、また一匹のオスの野良猫が住み着いた。生後半年程と思われるキジトラと白黒ぶちの混ざった猫で、短く二又に分かれたしっぽが可愛かった。親に懇願し、俺と弟で「ちびたん」と名付け、飼うことになった。初めて自分の意思で「飼いたい」と思った猫だ。飼うと言っても、自由に出入りさせていたので1~2日帰って来ないことは珍しくなかったし、他の野良猫と喧嘩をして傷だらけで帰ってくることも多かった。心配で探しに行ったことも一度や二度ではない。それでも、ご飯時になると何食わぬ顔で帰ってきては食卓にこっそり手を伸ばし、おかずを奪おうとするが、親父に「こらっ!」と怒られて大人しく座るのが常だった。しかし、親父の横にいればおかずのお裾分けが貰えることも知っていた。


そんなある日、小学校から帰ってくると、俺の勉強机の下でなにやら動くものがある。見てみると大きなメス猫が3匹の子猫におっぱいをあげていた。どうやらここで出産したようだ。初めての光景に只々驚いたが、母猫の姿、子猫の一生懸命な姿は子供ながらに感動した。帰宅した母親に事情を話し、段ボールに毛布を敷いて子猫を入れると親猫が入って世話を始めた。

こうして子猫がある程度大きくなるまで面倒を見ることになってしまった。しかし、この猫たちには名前を付けず、飼わないことにして里親を探すことにした。運よく里親が見つかり引き取られていったが、母猫はその後も家にはたまに出入りしていた。母猫には「おあかちゃん」と愛称を付けて呼んでいたが、彼女は死ぬまで飼われようとはしなかった。この「おかあちゃん」が非常に気高く賢い猫で、アパートの大家さんが何度遠くに捨てに行っても必ず帰ってきたし、大家さんの意地悪な罠にも絶対に引っ掛かることはなかった。

おかあちゃんが居付いた我が家は、これ以上猫が増えても困るので、まず「ちびたん」の去勢をした。当時の手術料は安いものではなかったが、これも飼い主の義務である。しかし、おかあちゃんはしばらくぶりに見ると妊娠していることも多く、その度に里親探しをした。

俺が小学5年生のとき、ちびたんが死んだ。交通事故だった。家からほど近い場所で撥ねられたのだろう。ほとんど交通量のない道路に倒れていた。運よく姿はそのままだったちびたんをタオルで包み、アパートの前の畑の隅に埋めた。涙が止まらなかった。

その後、両親が念願の一軒家を新築し、引っ越してからも家に寄り付く野良猫たちと付かず離れずの生活だったが、しばらくしておかあちゃんの姿を見なくなった。学校帰り、家の近所の田植え前の田んぼにハエがたかっているのを見つけた。そこにおかあちゃんは蓮華の花に囲まれて死んでいた。家からタオルを持ってきておかあちゃんを包み、ちびたんの隣に埋めた。

「猫は死ぬときは姿を見せない」そんな言葉を思い出した。

高校を卒業後、俺は実家を離れ夢を求め上京した。数年後、夢が叶い生活にもある程度余裕が出来たタイミングで、友人が家庭の事情で猫を飼えなくなったから貰ってほしいと連絡がきた。

一人暮らしの寂しさもあって引き取ることにした。シンバという名前の3歳の茶トラのオス猫で、よく鳴く猫だった。非常に賢い猫で、引き出しや扉は簡単に開けてしまうし、言葉もある程度理解していたと思う。そんなシンバを俺は可愛がった。シンバもそれを受け入れてくれていたと思う。
シンバとの生活も一年を過ぎたある日、仕事に向かうために玄関のドアを開けると一匹の茶トラの子猫が日向ぼっこをしていた。生後一か月くらいの子猫だ。近くに親猫がいるだろうからそのうちいなくなるだろうと思い放置したが、翌日も、その翌日も玄関の前にいた。親猫とはぐれてしまったのだろうと思い、「チョビ」と名付け飼うことにした。チョビはシンバに懐き、シンバはチョビの面倒をよく見た。甘えん坊だったのが急にお兄さんぶったのが微笑ましかった。

チョビが来た三か月後、デジャブのような現実が起きた。また玄関の前に生後一か月くらいの茶トラの子猫がコロコロと日向ぼっこをしていた。
一つ違ったのは、子猫の髭が短く切られていたことだ。一目見て異変に気付き、そのまま飼うことを決め、その場で「リュウ」と名付け病院に連れて行った。診てもらうと、髭は切られたか焼かれたかしている。高い所から落ちたかして背骨に打撲痕があり少しズレている。お腹に寄生虫がいるので体は小さいが生後三か月くらい。ということだった。どうしてこんなことになったのかは知る由もないが、不思議な縁に導かれ茶トラを三匹飼うことになったが、この不思議な縁はこの後も続き、最終的には五匹の猫との楽しい生活を約20年続ける事になった。


この五匹はみんな18~20年ほど生きて高齢による腎機能不全で死んだ。延命治療はしなかった。
延命治療に関しては賛否がある。俺はどちらも賛成も反対もしないが、俺が悩みぬいて出した結論だ。

これまで沢山の猫と生活を共にした。彼らがそれを望んだのかどうかは分からない。言ってしまえば「ペットを飼う」ということ自体が人間のエゴでしかない。


彼らは自然界の掟に従い、生を受けその運命に準じて生きているだけなのだ。そこに人間が自分たちの都合で勝手に手を差し伸べたり、時には排除している。


食べらるために飼育される動物。

見世物にされるために飼育される動物。

実験のために飼育される動物。

毛皮を取られるために飼育される動物。

労働力にされるために飼育される動物。

商品にするために飼育される動物。


食物連鎖の頂点に勝手に君臨する人間が快適に生活するために沢山の動物の命が利用されている。その中の一つが「ペット」なのだ。

俺はこれまで一度も買ったことはない。自慢でもなんでもないし買うことを否定しているのでもない。買おうが貰おうが拾おうが、人間の勝手でありエゴであることに何の違いもないが、個人的に「買ってまで飼いたくない」のだ。

これは、これまで沢山の野良猫や捨て猫、売られている猫たちを見てきた俺が勝手に辿り着いた答えである。

その上で保護猫を引き取った。

その保護施設では子猫から高齢の猫、病気の治療中の猫まで本当に沢山の猫が保護されていた。施設の方にお話を伺うと、子猫を引き取りにくる方も多いが、障害を持つ猫を介護したいという人や、自身が高齢のため高齢の猫を引き取りたいという方も多いそうだ。しかし、ここで一般に公開しているのは施設にいるほんの一部で、バックヤードには重い病気や障害を持った猫たちがここの数倍いるということだ。


そして、引き取るにも審査あり、猫を飼った経験がなかったり、一人暮らしだったり、収入が少ない場合は断ることもあるという。更に、一度目では引き取らせてはもらえず、二週間後にもう一度出向いて3~5万円を支払って引き取りが成立する。このシステムに憤慨する人も少なくないそうだが、飼う以上は責任が伴うということを理解出来ない人には命を預けないという姿勢だ。

俺はこの施設の姿勢に賛同するが、様々な施設や団体があり、本気で保護猫を飼おうと思うなら調べることが必須だ。例えば世帯年収を聞いてくる施設もあるし、マッチングアプリのように里親探しをしている人と欲しい人をマッチングしてくれるが金銭を要求されたり、詐欺まがいや悪徳業者のような所も残念ながらある。だからこそ、本当に保護猫を引き取りたいと思うなら真剣に探してほしい。実際に足を運んで現実を見てほしい。自分の覚悟を再確認してほしい。

そして出会ってほしいと切に願う。


自然の中で生きる猫の平均寿命は3~5年と言われるが、飼い猫は15年から長生きだと20年以上と言われている。この命の時間を共に生きたいと再び思い、自分のエゴと引き換えに一匹の子猫を引き取った。

とても大人しい猫で、爪を立てることもないしご飯をねだるとき以外に鳴くこともない。べったりくっついてくることもないが離れることもなく、いつも静かに俺の目の届く所にいる。


俺が出掛けるときは見送ってくれるし、帰れば出迎えてくれる。
猫にしてみればただの餌やりでしかないかも知れないが、これほど嬉しいことはない。

これからどの位の時間を共に過ごせるかは神のみぞ知る所だが、俺はこの子と出会えて本当に幸せだと思っている。だからこそ、最期には一緒にいて良かったと思ってもらえる飼い主であろうと思う。

長くなった。口幅ったいことも沢山書いた。
汗顔の至りであるが、中年の戯言と許して欲しい。


大きな ひとつ屋根の下




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