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毒母語録まとめ 1~70 ※8/23追記

「note」初投稿になります。初めまして、滝森よし乃と申します。私は児童虐待の被害者です。機能不全家族で育ち、アダルトチルドレンとして、大人になった今も様々な虐待の後遺症に苦しんでいます。

虐待をする親や子供にとって害になる親のことを「毒親」、虐待サバイバーのことを「毒親育ち」と呼んだりします。

私はツイッターで毒親持ち同士の方と繋がって、毒親エピソードを共有したり交流したりしています。
似たような経験を持つ方と知り合える貴重な場所でもあるのですが、「#毒親」「#毒親育ち」のハッシュタグで検索すると、読み切れないほど膨大な数のツイートが出てきて、こんなにも親との関係に悩み苦しんでいる人がいらっしゃるのかと胸が潰れる思いがします。

【毒母語録】は私が母から言われた言葉を集めたものです。
主に否定や罵倒の言葉なのですが、母の口癖のようなものもあれば、一度言われただけで致命傷を負った言葉もあります。
それぞれが私の過去のトラウマと深く結びついています。
自分自身と向き合い、自分の気持ちを整理する為にツイッターで一つずつ投稿していたのですが、予想外に多くの方(主に毒親育ちの方)に共感していただき、参考になるというご意見もいただきました。
純粋に自分の為だけに始めたことが、誰かの役に立つこともあるのだなと驚きつつも嬉しく思いました。

その【毒母語録】がかなり溜まってきたのでまとめ記事を作ることにしました。順番に特に意味はありません。記憶を辿って思い出した順でナンバリングしてあります。今後増えることがあれば、こちらにも順次追加していきます。

ツイッターでもまとめていますので、ツイッターの方を好まれる方は下記ツイートのリプ欄をご参照ください。


※当記事のヘッダー画像はかやは様の作品を使わせていただきました。

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【毒母語録まとめ】

毒母語録(1) 「大人になれ」

毒母の言うことに少しでも反抗すると、こう言って私を黙らせようとしてくる。
本来の意味するところはおそらく「理不尽なことも受け入れろ。お前が我慢して言う通りにすれば全て丸く収まる。」

毒母語録(2) 「理解しろよ」

人にわかるように説明ができない毒母の決まり文句。
毒母の話は脱線しまくりで要領を得ず、ただでさえ難解なのに、
理解できない方が悪いと言わんばかりの語気。
どんなに理不尽なことも飲み込ませようとするモラハラワード。


毒母語録(3) 「キツイことを言うようだけど」

冷たく突き放す前の軽いジャブ。
この枕詞に続くのは、私に負荷がかかるが毒母に都合の良い提案。
しかし、毒母自身は関わりたくないので私に全て一人で解決させようとする。
副音声は「こっちに面倒かけんな。一人でやれ」

毒母は私に対して基本的にキツイことしか言わないので、意味不明なワンクッションではある。事前にショックをやわらげようとする毒母なりの気遣いだったのだろうか。知らんけど。


毒母語録(4) 「腹が立つ」

母の話が理解できず聞き返したり、矛盾点を指摘したりするとこう返される。
理性的に説明するのではなく、苛立ちを示すことで口を封じようとする。
毒母はその場で一見理解したようでも、後から蒸し返してキレ出すことがあり、基本的に会話が成立しない。


毒母語録(5) 「アンタらしくないよ」

ここで言う私らしさの意味するところは、
反論および反抗をせず、言われたことに唯々諾々と従い、
毒母の都合の良いように動き、むしろ喜んで労働奉仕をすること。
要するに奴隷根性を植え付けろということ。

また、アンタらしいには「自分達の思い通りに動いてた時を思い出せ」という意味もある。状況によって、再度洗脳する為に使われたりもする。


毒母語録(6) 「くだらない」

毒母と異なる価値観は基本的に全てくだらないものとして一蹴する。
愛玩子である兄や妹にもこの言葉を使っていて、当然のように喧嘩になっていた。
自分にはない考え方を受け入れられず、それ自体を拒絶する趣旨もある。
毒母の狭量さがよくわかる言葉。


毒母語録(7) 「出ていけ」

私が毒母に反抗して喧嘩になると最終的に飛び出す言葉。
子供なりに親の保護なしに生きていけないことはわかっているので、
こう言われたらどんなに理不尽だろうとも親に従うしかない。
バリエーションとして「気に入らないなら出ていきなさい」がある。


毒母語録(8) 「どうでもいい」

相手の意向や事情を考慮する気が無いという意思表明。
例えば、他人のこだわりや大事にしていることなどは、毒母にとっては「どうでもいいこと」なので敬意を払わない。
毒母は配慮に欠け、自分勝手に振る舞うので、私以外の家族とも衝突が多かった。


毒母語録(9) 「言うこと聞かないとぶつわよ!」

警告のはずなのだが、こう言った瞬間にはすでに手が出ていて頬を叩かれる。
毒母は短気で言葉にするのが得意ではないので、自分の思い通りにいかないとすぐに暴力に訴える。
類似表現に「いい加減にしないとぶっとばすよ!」がある。


毒母語録(10) 「言わなくてもわかるだろ」

毒母の意向を察して動けなかった時にこう非難される。
母の言うことは気分でコロコロ変わるので、察して動くなんて不可能なのだが、毒母の望んだ行動をしないと責められる。
具体的に言われなければ到底無理な話。要するに言いがかり。


毒母語録(11) 「さっさと自立しろ」

「出ていけ」に通じるものがあるワード。
毒母の家事負担を減らす為に頭数を減らせということ。
こう言われ続けて居心地が悪かったので、なるべく早く家を出ようと決意。
しかし、実家を出る際にはものすごい抵抗にあった。
結局、毒母が何をしたかったのかは謎。


毒母語録(12) 「泣くんじゃない」「泣けばいいと思って」

心無い言葉に傷付いて泣き出すとこう言われる。
涙は自然に出てきてしまうものなのに、毒母の気分を害するらしい。
泣くと余計に怒られるので必死で涙を堪える努力をしていた。
どうしても止められない時は隠れて泣いていた。

ちなみに押し入れや布団の中が一人泣きスポットだった。


毒母語録(13) 「お姉ちゃんなんだから」

この言葉の後に「妹に譲りなさい」「妹の面倒をみなさい」などが続く。
他には家事労働を強制されたり、それについて文句を言うのも許されなかったり。
兄弟間差別が色濃く出た言葉。
ちなみに兄に対しては言わないので男女差別でもある。


毒母語録(14) 「我慢しなさい」

頻出単語ならぬ頻出フレーズ

お前一人が我慢すれば円満解決!
皆ハッピーなんだからお前もハッピーだろ?
どんな不満も飲み込んで家族の為に奉仕しろ。むしろ喜んでやれ。

こちらの都合や事情などを考慮せず、全ての負担を押し付けようとする言葉。


毒母語録(15) 「アンタはおかしい」

毒母に反論するとよく出てくる人格否定の言葉。
そういう風に感じる方がおかしいのだと言って、私の主張を鼻であしらう。
明らかに毒母の方が矛盾していたり、無礼な発言をしているのだが、
自分のことは完全に棚に上げてこちらを責めてくる。


毒母語録(16) 「可愛げがない」

毒母にとって「可愛げがある行動」とは家事労働を喜んですること。
母に何かを依頼する時に労働という対価を支払わないとこう言われる。
例:髪をツインテールに結って欲しい(子供には難しい)
「無償の愛」という言葉は毒母の辞書には存在しない。


毒母語録(17) 「アンタは不幸の星の下に生まれた」

毒母も長女で苦労したから、長女の私もそうなるはず、そうでなければならないという理屈。
どうしても私を不幸仲間にしたいらしく

「アンタは私に似て男運が無いから、変な男を捕まえて不幸な結婚をする」

等々の呪いをかけてきた。


毒母語録(18) 「余計な事するな」

私の行動が毒母の気に障ると出てくる言葉。
「言わなくてもわかるだろ」同様に何が“余計な事”なのか具体的に説明はされない。
最初は母の顔色を伺って行動していたが、しばらくして何をしてもこう言われると気が付いた。
難癖付けてただけらしい。


毒母語録(19) 「どうせ無理よ」

子供が新しいことに挑戦する前に、いつも否定的なことを言う毒母。
これを無視してやって失敗すると、
「だから言ったでしょ!」「ほらみなさい!」
と鬼の首を取ったように言われる。

同系統の呪い:「うまくいく訳ない」「必ず失敗する」


毒母語録(20) 「でも〇〇は出来てないわよね」

毒母は子供の成果に対してケチをつけずにはいられない病に罹っている。
重箱の隅をつつくのが趣味。
私が母娘関係を嫁姑関係にたとえるのはこのせい。
たとえ完璧な出来だったとしても、謎理論でクレームつけてくること必至。


毒母語録(21) 「アンタは恵まれてる」

毒母による洗脳および不幸マウンティング始まりの合図。
この後に「私が子供の頃は~」「昔と比べれば全然マシ」等と続け、子の不満を突っぱねる。
児童虐待死事件をニュースで見て「こんな親じゃなくてよかったわね」とも言っていた。


毒母語録(22) 「よかれと思って」

家族に怒られると飛び出す言い訳。
毒母はやることなすこと見当違いでよくやらかしていた。
子の失敗は喜び勇んで非難するが、自分はされたくないので悪気は無いアピールをする。
語尾を伸ばして甘えたような声で言うので気味が悪かった。


毒母語録(23) 「他人の不幸は蜜の味」

他人の不幸を最大限に楽しむ為に、いつかなる場合にも粗探しを欠かさない毒母。
この言葉を口にする時、母はいつもニヤニヤ笑いを浮かべていた。
すごくいやらしい感じの笑顔だったで、子供心に嫌悪感を抱いた。

ちなみにインターネットスラングだと、
「他人の不幸で今日も飯がうまい」
いわゆるメシウマ。

ドイツ語だと、
シャーデンフロイデ(Schadenfreude)
意味:「他人の不幸を喜ぶ気持」

だそうです。ネット検索していたら見つけたので追記。


毒母語録(24) 「そんなことより」

毒母が話の流れをぶった切ったり、会話に割って入る時に使う言葉。
自分の話は無理にでも聞かせるが、他人の話は聞かない。
最後まで言わせない。話を脱線させる。とんちんかんなことを言う。
母は「傾聴」という言葉の対極にいる人だった。


毒母語録(25) 「アンタはいいわね」

意味的には「恵まれてる」と似ているが、毒母が子の資質や境遇を妬む時に使う。
決して誉め言葉ではない。
例「アンタは甘い物食べても太らないからいいわね。私なんて~」
この流れで必ず母自身の話(主に愚痴)に持っていく。


毒母語録(26) 「何っ!?(キレ気味)」

話しかけただけで怒鳴り返す毒母。
こう返されると言いたいことも引っ込んでしまう内気な子供だった私。
母との会話はいつも始まる前に終わった。
母曰く「妹ちゃんはそれでも物怖じせずに話してくる。途中で諦めるアンタが悪い」


毒母語録(27) 「諦めなさい」

用法は「我慢しろ」に似ている。
娘に反発されたらとりあえずこれを言っておけばいいと思っている毒母。

「損な役回りなのは長女だから仕方ない。そういう星の下に生まれたのだと思って諦めろ」

という謎理論を展開し会話は強制終了される。


毒母語録(28) 「ちゃんと話を聞け」

毒母の愚痴にきちんと反応しないとこう言われる。
母はお気に入りの愚痴を繰り返すことが多く、
内容も変わり映えしないので聞き流すようにしていたら、
「アンタはいつも上の空で人の話を聞かない」と責められた。


毒母語録(29) 「勝手にしなさい」

子供がいつまでも言うことを聞かずにいると、毒母は乱暴に会話を終わらせる。
こうして突き放しておけば、子供が“勝手に”反省して、母の意向に沿って動くと思っているらしい。
なので言葉通りに勝手にすると怒られる。
矛盾の塊ワード。


毒母語録(30) 「アンタは残念ねぇ」

私の容姿を貶す時に毒母が好んで使う言葉。
逆に、妹は母のお気に入りなので褒めちぎる。
まず妹を褒めてから私を貶すのが定番。
母曰く、妹と比べると私はデブでブスで足が短くて残念な体型をしているらしい。
あからさまな姉妹差別。


毒母語録(31) 「アンタには自信が足りない」

私の自己肯定感を削ったのは毒母なのにまるで他人事のように言ってくる。
少しでも失敗すると叱られるので、新しいことに挑戦する気持ちは失せ、
やってもやらなくても怒られるなら、やらない方がマシという思考に落ち着いた。


毒母語録(32) 「○○してあげてもいいんじゃない?」

語り口は優しそうなのだが、○○の部分には雑用の他、責任重大な仕事などが入る。
面倒なことを他人(私)に押し付けつつ「善意に溢れ心の広いアタシ」をアピールするが、毒母自身にお鉢が回ってくると拒否する。


毒母語録(33) 「色気づいて」

オシャレが理解できない毒母は娘を着飾らせることにも興味がない。
服は親戚からのおさがりがメインで、新しい服はめったに買って貰えなかった。
私服がダサくて恥ずかしくてしょうがなかった。
ヘアメイクを頑張ると揶揄されるのも定番。


毒母語録(34) 「アンタの為を思って」

毒母による「娘のことをきちんと考えている優しい私」アピール。
めちゃくちゃ恩着せがましいのだが、実際に母がやっていることは阻害や妨害だけ。
とりあえず娘の言うことには反対しておくスタンスなのも“良い母親”だかららしい。


毒母語録(35) 「誰の為の勉強なの?」

苦学生だった過去を持つ毒母は、子供が当たり前のように進学できるのが許せない。
子供の教育資金なんて用意する気もないので、私立はダメで、国公立のみ進学可。
なので当然滑り止めも無し。大学受験の際は浪人も許されなかった。


毒母語録(36) 「やる気がないから出来ないんでしょ」

毒母はスパルタ教育を実践していた。
「貶し続けてやるから反骨精神で立ち上がれ」という精神論で責めてくる。
成果は一切認めずに踏みにじって、子供のやる気の芽を摘み取る。
子供の可能性を潰すのは母の得意技。


毒母語録(37) 「なんでもっと早く言わないの!?」

話しかけるだけでも怒鳴られるので、毒母との対話は皆無だった。
困ったことがあっても相談出来ず、
自分でなんとかしようとして失敗、
親の助けが必要になって(親に迷惑がかかって)怒られる。
というのが一連の流れ。


毒母語録(38) 「アンタは私に似たのね」

主に毒母と共通の短所についてこう言われる。
「どうして変な所ばかり似たのかしら!」と責められたりするが、
私が失敗した時に「お母さんに似たんだよ」と言い訳するとキレられる。
娘を不幸の沼に引きずり込む為の呪いでもある。


毒母語録(39) 「お金が無い」

浪費家の毒母に言われると妙に説得力があり、子供の頃うちは貧乏なんだと信じていた。
子供のやりたいことや欲しい物はすべて金銭的理由で却下する。
しかし、その真意は「自分の為に使うお金はあっても、子供の為に使うお金は無い」ということ。

外食時も「一人いくらまで」と予算が決められていたし、服を買う時も「こんなに高いのはダメ」と却下されることが多かった。
そんなことの積み重ねで贅沢は許されないことだと刷り込まれ、自分自身にお金をかけることに罪悪感を抱くようになった。


毒母語録(40) 「文句があるなら自分でやれ」

毒母は自分の失敗は認めない。
例えば洗濯の際、
黒いTシャツを漂白剤で脱色させる。
干す時に強く引っ張って襟ぐりを伸ばす。
セーターを洗濯機で洗って縮ませる。
等々やらかしても決して謝らず、上記の発言で子を黙らせる。


毒母語録(41) 「いい気になるな」

子供が何かに成功すると必ず横槍を入れてくる毒母。
たとえ屁理屈だろうともネガティブなコメントをするのを忘れない。
喜びを分かち合うつもりなど毛頭ない。
娘を不幸にする(毒母の道連れにする)為に、常に全力で足を引っ張ってくる。


毒母語録(42) 「お隣の子供は○○もやっている」

私がどんなに家事手伝いをしても決して満足しない毒母。
「兄と妹は何もしていない。家族の中では私が一番家事を手伝っている」と訴えても、他の家の子供を引き合いに出され「それくらいでやった気になるな」と言われる。

中学生の頃、
近所の子が積極的に家事をしていることを持ち出され、
毒母に「その程度で手伝った気になるなら、もうやらなくていい!」と言われて、お手伝いするのをやめた。
やってもやらなくても文句を言われるならやらない方がマシだ。
そう悟って全てが馬鹿馬鹿しくなった。


毒母語録(43) 「結婚は?」

不幸な結婚を散々見せつけ、「お前は絶対に変な男を捕まえる」と不幸の呪いをかけておきながら、
それでもなお毒母は私がいずれ結婚するものと思い込んでいた。
毒親のせいで結婚願望ゼロになったのに、その因果関係が理解出来ないようだった。


毒母語録(44) 「私は気にしない」

毒母は基本的に子供の主義・主張は無視する。
なぜなら母は気にしないことだから配慮する必要はないという謎理論。
よく「どうでもいい」との組み合わせで使われる。

例:私の裁ちばさみを他の用途に使わないで欲しいと言ってもスルー。


毒母語録(45) 「そんなの自分でなんとかしろ」

毒母によるスパルタ教育の一環。
こうして突き放せば、子供が奮起してどうにかするだろうと思っている母。
どうにもならなくなって相談すると怒られるので、
次第に「報連相」の「連相」を抜かして報告だけするようになった。


毒母語録(46) 「言っちゃう」

毒母は暗黙の了解で絶対に言ってはいけないことや、他人を傷付けるようなことを平気で口にする。
そういうこと言うのはやめて欲しいと伝えると上記の言葉が返ってくる。
「なんでも言えちゃうアタシ」に酔っているが実際はただ無神経なだけ。"


毒母語録(47) 「役立たず」

子供は一人では何も出来ない存在なのだから親に従うべき。
というのが毒母の考え。
「アンタは役立たずなんだから」を枕詞にいろいろな雑用を押し付けてくる。
しかし、たとえどんなに努力しても「役立たず」のレッテルは決して剥がれない。


毒母語録(48) 「それくらい」

毒母が利益を得る為ならば、娘が不利益を被るのは致し方ない。
むしろ母に良い思いをさせる為に喜んで苦労するべき。
子供にかかる負担は「それくらいどうってことない」ものと見なされる。
類義語に「そんなこと」がある。


毒母語録(49) 「大したことない」

娘が困難に見舞われていても無関心な毒母。
母の体裁に関わらないことは静観する。
小学生の時にいじめられて負った心の傷も、対外的に良い顔をする為に「大したことない」ものとして片付けられた。
類義語に「どうってことない」がある。


毒母語録(50) 「アンタを理解する気はない」

まだ毒母とわかり合えると信じていた頃、
私の考えや感じ方を伝えようと必死だった。
母との対話の困難さは知っていたが私なりに言葉を尽くした。
「どう言ったら理解して貰えるかわからないけど」と言った時の母の返答がこれ。


毒母語録(51) 「正直者が馬鹿を見る」

真意は不明だが、毒母は頻繁にこの言葉を口にしていた。
母自身が馬鹿を見たのか、それとも正直者をバカにしているのか。
馬鹿正直に家事手伝いをしたら散々な目に遭ったので、
皮肉にもこの言葉が正しいことが家庭内で実証された。


毒母語録(52) 「知らないんじゃなくて、忘れたんでしょ?」

聞かれたことに「知らない」と答えると、こう返ってくる。
毒母の中ではすでに伝えたことになっていて、
それなのに私が忘れたという理由で責められる。
母の勘違いが九割を占めるが決して自分の非を認めない。


毒母語録(53) 「夢があって羨ましい」

毒母の妨害で将来の夢は全て打ち砕かれた。
自立してからそれを取り戻すべく努力していたが、またも家族のせいで断念せざるを得なくなり、絶望していた時に言われたのがこの言葉。
「夢を持てるだけマシだと思え」ということらしい。


毒母語録(54) 「ほら見なさい!」

失敗をした子供にさらに追い打ちをかける言葉。
子供が何か新しいことに挑戦する際、毎回「必ず失敗する」等の否定的なことを言う毒母。
それが心理的ブレーキになって失敗を誘発していたりする。
類義語に「だから言ったでしょ」がある。


毒母語録(55) 「なんなの?」

電話口でも冷たい対応をしてくる毒母。
高校生の時、帰りが遅くなったから迎えに来て欲しいとお願いしても却下。
バイト先で怪我をして連絡した時も、窮地に立たされて泣きながらSOSの電話をした時も、母は一貫して冷淡にあしらってきた。


毒母語録(56) 「知らないわよ」

毒母はよく私に面倒な雑用を押し付けてきた。
兄や妹には頼まないので、私の所に仕事が集中することになる。
手が回らなくなって母に相談すると上記の台詞で突き放される。
元はと言えば母のせいでそうなったのだが、見て見ぬ振りをする。


毒母語録(57) 「どうしてこんなことも出来ないの?」

毒母は噛み砕いて説明するのが苦手で、搾取子である私には手間をかけたくない主義。
その結果「教えていなくても出来て当然。出来ないのは本人の怠慢」という謎理論が出来上がり、上記の言葉で私を責めるようになった。


毒母語録(58) 「アンタの勘違いよ」

臭い物に蓋をする主義の毒母。
私は小さい頃から実兄による性被害にあっていた。
自衛はしていたが体格差で押さえ込まれてしまうこともある。
身の危険を感じて母に訴えた時の返答がこれ。
あの時の母は不気味な笑みを浮かべていた。


毒母語録(59) 「悲劇のヒロイン演じてる」

毒母にだけは言われたくない言葉ナンバーワン。
家庭内での不公平や差別について指摘したらこの言葉が返ってきた。
待遇を改善して欲しくて訴えたのだが、母の目には些細な事を数え上げて不幸だと嘆いているように見えたらしい。

母は当事者意識が皆無で、全て他人に責任転嫁するので、自分が加害者であるという自覚も無い。


毒母語録(60) 「あなたが死んだら保険金が下りるから良いわねぇ」

毒父は育児に無関心、毒母と妹に嘲笑され、兄は性的加害をしてくる。私の心はボロボロだった。
小学校高学年の頃、愛情確認したくて「ねぇお母さん、私が自殺したらどうする?」と聞いた時の返答がこれ。

こう言われた日から、自分には生きる価値がないと思い込み、自殺方法について真剣に考えるようになった。
母には「特急や新幹線を止めると家族に迷惑がかかるからそれだけはやめてくれ」と助言された。自殺を止める気はないらしかった。


毒母語録(61) 「殺してやるー!(笑)」

こう言って毒母は私に包丁を突き付けてきた。
数ある母の奇行の中でもシャレにならないレベル。
咄嗟に「やめて!」と叫んだら、母は「何よただの冗談じゃない」と不服そうな顔をしていた。
本気じゃなかったとしても、足が滑ったり、手元が狂って刺さる可能性はある。母はそこまで考えが及ばないのか、何がいけなかったのか全くわかっていないようだった。


毒母語録(62) 「どうして風邪なんかひくの?」

私が怪我をしたり病気になると毒母はひどく嫌そうな顔をした。
家事労働奉仕担当兼ストレス発散用サンドバッグだった私は“手のかからない子”でいることを強制された。
それ故、母に看病をさせるなんてあってはならないことだった。
「さっさと治せ」と吐き捨てるように言われたこともある。


毒母語録(63) 「アンタは虐待をする親になる」

毒母は虐待は連鎖するという事実を知っていた。
機能不全家族で育った母は一時期ACについて熱心に調べていた。
それなのに自分が加害者であるという意識はまるでなく、DV毒父の影響で娘(私)の精神は歪んだのだと頑なに信じていた。
母自身のことは棚に上げて、私に精神科の受診を勧めてきた。


毒母語録(64) 「親殺しは重罪だけど子殺しはそこまで罪に問われない」

子供が親を殺害した事件を受けて毒母が放った言葉。
それに続けて「無期懲役か死刑だってよ。自分の人生を棒に振ってまでねぇ?」と脅し、親子の力関係を示し、マウントを取る。
母によるマインドコントロールの一環。


毒母語録(65) 「せっかく〇〇してやったのに」

何をするにも恩着せがましい毒母。
実際にやっていることは的外れだったり、却って迷惑な場合が多いのだが、母にとっては好意でしたことなので感謝と賞賛を欲しがる。
それだけでは飽き足らず見返りを要求してくることがある。
一方で搾取子である私に対しては「家事労働に見返りを求めるなんて卑しい」と何度も繰り返していた。毒親らしい見事なダブルスタンダード。


毒母語録(66) 「あいつら早く死んでくれないかな」

毒母も機能不全家族育ちで、よく祖父母についての不満を漏らしていた。
子供の頃にこんなことをされて悲しかった、こんなことを言われて傷付いた等々。
ある日、母は悲劇のヒロインモードで上記の言葉を口走った。
当時はなんでそんなひどいことを言うんだろうと思っていたけれど、毒親との絶縁を果たした今、私も母に対して同じ思いを抱いている。


毒母語録(67) 「アンタは言葉がきつい」

毒母は「物も言いようで角が立つ」と口を酸っぱくして言っていた。
幼かった私は素直にそれを信じて、話す時は慎重に言葉を選ぶようになった。
しかし、どんなに苦心して柔らかい表現を使っても、母の反応は変わらなかった。
友人から「はっきり言うよね」と言われることはあったが、「言葉がきつい」という評価は今のところ受けていない。
どうやら母は痛い所を突かれるのが嫌で、そう言って私の口を塞ごうとしていただけらしい。


毒母語録(68) 「悪かった」

毒母が使うその場しのぎの言葉。まるで誠意のない謝罪。
本心では自分の非を認めたくないので吐き捨てるように言う。
舌の根の乾かぬうちに逆ギレしてくるのがいつものパターン。
「やっぱり自分は悪くない」と論理的に破綻した自己弁護が始まる。


毒母語録(69) 「でもねぇ」

娘の言う事は全て否定するスタンスの毒母。
良い事があった。こんなことがあって嬉しかったと伝えても、共感は一切せずに必ずネガティブな方向に持って行く。
この先、娘に待ち受けている不幸について嬉々として予想し始める。
その導入の言葉がこれ。とりあえず逆接から入る。
バリエーションとして「だけど」「いや」などがある。


毒母語録(70) 「アンタは自分に厳し過ぎる」

中学校の三者面談で毒母の口から飛び出した言葉。
「心の箍(タガ)を外す必要がある。それがアンタの可能性を狭めているから」と力説された。
母が私に厳し過ぎるせいでそうなったのだが、担任の前でそんなこと言ったら母の面目丸潰れで、後で面倒なことになるとわかっていたので黙っていた。
間違いなくあれは「私は娘を思い遣る良い母親です」という対外的アピールだった。

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2020.07.14 毒母語録(1)~(55)掲載
2020.07.21 毒母語録(56)~(60)追記、目次追加
2020.07.31 毒母語録(61)~(65)追記
2020.08.23 毒母語録(66)~(70)追記


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