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「小杉湯」の魅力

 そもそも身近に銭湯の存在を感じたことはなかった。山形には温泉施設はたくさんあるけれども、いわゆる銭湯は見かけない。だから、最近までほとんど銭湯に入ったことはなかった。
 数年前に東京を観光した際に銭湯に入ったことがあった。けれどもあまりにもお湯が熱くて湯船には入れず、身体を洗っただけだった気がする。歴史ある銭湯のたたずまいは素敵だと思ったけれども、慣れない銭湯の使い方も相まって、少しネガティブな印象が残ってしまっていた。


 東京に住んでからは、スパ施設には行ったけれども、銭湯には入っていなかった。けれども高円寺にあるコワーキングスペースをきっかけにして小杉湯を知り、入ってみることにした。
 コワーキングスペースは「小杉湯となり」という、その名の通り小杉湯の隣りにある施設である。ワークスペースを探していた僕はあちこちの施設を調べていた。そんな中の一つとして、「小杉湯となり」はあった。せっかくだから見学に行き、ついでに銭湯にも入ろうと思った。
 小杉湯の外観はまさに銭湯といった趣きで、歴史を感じさせる。しかし一歩中に入ると、とても現代的な内装になっていた。待合室にはマンガを読んだり涼んでいたりと、思いおもいに過ごす様子があった。
 おそるおそるお金を払って、引き換えにタオルを受け取る。タオルが無料なのはありがたい。手ぶらで来られるというのは、ものぐさな自分にとっては大事なところだ。
 入るところもわからなかったけれど、タオルを被った男性が出てきたところに入っていく。
 脱衣所は思ったよりも明るく、清潔感があった。並んだロッカーからカギの刺さっているところを探す。時刻は午後八時過ぎ。ちょうど夕食後の時間だからか、心なしか混んでいるようだった。数カ所空いたロッカーのうち、目の高さの大きめのロッカーが空いていたので、そこに荷物を詰め込んだ。
 久しぶりに公衆浴場に来ると、裸になるのにとまどってしまう。身にまとっているものを全て脱ぐのは当然なのだけれど、ついつい周囲を見回して、裸になっていることを確認してしまう。ここはプールではないし、岩盤浴でもないと確認する。習慣というものの恐ろしさと自分の不注意をよく知っているから、念を入れる。
 タオルを持って浴室に入っていく。浴室はいっそう明るくて、清潔感のあるタイルの上をおずおずと歩いていく。奥にいくつかの浴槽が分かれていて、手前に洗い場がある。洗い場はすいていたので、あいている所に席を決めた。
 銭湯に限らず、温泉やスパ施設でも、シャワーの水圧と温度調整は重要な要素だ。水圧が低すぎても強すぎても使いづらい。温度調整がうまくいかないと、不快感が募る。
 その点、小杉湯のシャワーは快適な温度に調整されており、温度調整をテクニカルに行なう必要がない。シャワーヘッドは固定式で、レバーを上げ下げしてお湯を出すことができるので、力が要らない。固定式だと使いづらいかと思いきや、けっこう広範囲をカバーするようにお湯が出るので、全身を包むことができる。気になる場合は、ホースつきのシャワーも設置されている。
 身体を洗うと、浴槽を選んだ。座る場所があるところに行き、足を入れる。そこそこ熱い。けれども、我慢できないほどではないので、そのまま身を沈めた。湯からは薫り高いハーブの匂いがする。その日の日替わり湯は「台湾ハーブの湯」だった。全身の毛穴と鼻の穴からハーブの成分が浸透していくようだった。上品な香りに頭の中がさっぱりして、心が軽くなった。
 小杉湯の特徴の一つが、日替わり湯だ。定番のミルク風呂と水風呂の他に二種類、日によって変わる湯船がある。その日の「あつ湯」は「台湾ハーブの湯」、「ジェット湯」は「TBKの湯」だった。毎日違った香りと肌触りを感じることができる。
 最初に入った「あつ湯」は一番温度が高い湯船で、ジャグジーのように泡が下から絶え間なく吹き出されている。それにハーブの刺激も加わったためか、すぐに熱さに耐えられなくなった。次にあいたのが「ジェット湯」だったので、そちらに向かう。
 「ジェット湯」は文字通りジェット水流で背中を刺激できる湯船だ。スイッチを押すと、壁面から水流が噴き出る。その日は「TBKの湯」は、椿油の搾りかすを使った美肌風呂。ふんわりした香りとともに、肌にしっとりと染み込む椿成分を感じる気がする。「あつ湯」ほどは熱くないけれど、しっかりした温度の中で芯まであたたまる。
 それから入ったのが小杉湯名物「ミルク風呂」。ミルク色に染まったお湯の中に入っただけで、しずかちゃんになったような気持ちになる。温度は低めで、ずっと入っていられる。ほんのりと穏やかな香りが鼻をかすめる。
 もう一つが「水風呂」なのだけれど、僕のレベルではまだ入りきることはできなかった。足を入れるだけで精一杯だった。サウナに慣れている人だったら大丈夫なのかもしれないけれど、サウナも縁遠い僕では、じんじんとした冷たさに適応できなかった。
 この「水風呂」と他の湯船を行き来するのが小杉湯の「交互浴」の楽しみ方である。驚くほどみんなこの「交互浴」を楽しんでいる。みんなベテラン陣なのだろうか。
 先程も書いた通り、「ミルク風呂」と「水風呂」は毎日安定して設けられているのだけれど、「あつ湯」と「ジェット湯」は毎日日替わりでお湯の成分や香りが変わる。
 例えば、「中ノ沢温泉」「黒川温泉の湯」といった温泉のお湯。遠い温泉を身近に味わうことができる。
 「阿久根ボンタン湯」「CHEESE STANDのホエイ湯」「山燕庵の米ぬか湯」といった食べ物を使ったお湯は、出荷の過程で作られた不要な部分を活用している。
 「さわやこおふぃの湯」「高円寺麦酒工房のビール湯」「宝山酒造の酒粕湯」「伊良コーラの湯」といった飲み物のお湯は、まさにその飲み物の中に浸っているような贅沢な気分にさせてくれる。
 「ナッシュのハーブ湯」「台湾ハーブの湯」といったハーブ湯は、ラグジュアリーなハーブの香りの中でとても癒やされる。
 その他にも「青柳畳店の湯」「清水薬草店の湯」「ふくしまプライド。の湯」といったユニークなお湯がある。そのどれもが一度は入ってみたい魅力的なお湯ばかりだ。
 そんな充実した美容成分と心地よい香りが決め手となって、「小杉湯となり」への登録を決めた。ハーブの香りの中には、有無を言わせない魅力があった。
 それから日替わりでいろいろなお湯を楽しんでいる。特にお気に入りなのが、香りの強いお湯だ。「あつ湯」なのか「ジェット湯」なのかで、香りの感じ方は変わる。また、その日によって微妙な違いもある。
 薫り高いハーブもいいけれど、食べ物系が結構楽しい。いちごやレモンの匂いを胸いっぱいに吸い込めるのも魅力だし、酔っ払いそうな酒粕やスパイシーなコーラも自分が鍋の具材のように錯覚してしまうのがおもしろい。
 浴室という空間の中では、お湯と蒸気が香りをまとって全身を包んでくれる。その心地よさは自分の頭の中を空っぽにして、ふんわりした香りで満たしてくれる。
 そんな空間が暮らしの中に溶け込むようにして存在し続けている奇跡の場所が、小杉湯なのである。他にも、待合所の展示やイベント、出張本屋、各地の珍しい飲み物や温泉の素の販売、充実したマンガのラインナップなど、魅力はまだまだある。
 よそ者大歓迎のアットホームな銭湯小杉湯を訪れれば、心も身体も軽くなること間違いない。思い立ったら気軽に訪れてみてほしい。番台でおつりの30円を用意して待っていてくれるはずだ。

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