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生きることを教えてくれたお寺さんの話

Facebookで4年前の投稿が思い出として表示されました。
祖父が亡くなって、四十九日の法要で聞かせていただいた、お寺さんのお話です。「納骨」や「精進明け」についての解釈は、思い出すとすごく心があたたかくなります。

どんなに親しい存在の相手にも、必ず訪れる死。どうしても非日常な世界に感じるけど、必要以上に遠ざけなくていいよと教えてもらった気がしました。

納骨の日について

「この日までに納骨せにゃいかんとおっしゃる方がいます。
 理由を聞くと、長く待たせたら家に居座るからだそうです。
 よかじゃなかですか、居座ったって。大事な人でしょうが。
 気の済むまで一緒におってから納骨して大丈夫です。」

精進明けについて

「四十九日が済んでからが、本当の精進明けです。
 昔は、この日まで肉・魚の生き物は口にしませんでした。
 数年前までは、この習わしを守る人もいらっしゃったです。
 でも、普通に生活しとったら、今は無理。
 何にでも生き物が入っとります。

 だけん、今日だけでよか。

 今からみんなで食事に行きますよね。
 変な話かもしれんけど、そこで見てください。
 どれだけの命が殺されて食事に並んどるか。
 命をいただくことは、ありがたかことです。」

4年前に亡くなったのは、母方の祖父。
実家でずっとお世話になっていたお寺さんだそうで、散歩好きな祖父は見つけるとすぐに手を振って挨拶をしていたそうです。
「車に乗っとっても、見つけて手を振ってくれたとですよ」
と語ってくださいました。
祖父のこと思い出しながらそう語ってくださったことは、すごく嬉しかったです。きっと、祖父だけじゃなく、関わる一人一人との思い出を大切にされているんだと思います。人を愛するから、人から愛されていたんでしょうね。

そんな過去の投稿を読み返していると、祖父との花火の思い出もよみがえります。

人が亡くなると、生前と同じ関わり方ができなくなります。でも、何らかの形で、その人の存在は感じることができるはずです。
四六時中ではないとしても、ふと思い出して、生きること、生かされていることを感じる時間を大切にしたいです。

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