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半農半Xをカタチにする決意

 今日の夕刻、大豆をポットに植えました。
 これまで、農に踏み切れなかった私ですが、トノガワの10年以上耕作されていなかった畑に植えます。その畑は毎年2回は草を刈ってくれていたのですが、それ以上でもそれ以下でもありませんでした。いわゆる、耕作放棄地だったところです。
 今回から自身が管理を引き受けることにしたので、月曜日(6/22)に草を刈りました。草を刈る前、前回の草刈りから時間が経ってワラビとススキ畑になっていました。

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朝夕に畑仕事

 毎年ゴールデンウィーク頃から、日中は暑くなります。
 トノガワは標高500m、この辺では高原レベルの高さなので「涼しいでしょ?」と言われるのですが、昼間はやはり暑いもの。屋外の作業は朝夕するに限ります。

 トノガワという山村に身を置くようになって、徐々に自身の中のロールモデルとして田んぼと畑をしていた母方の祖父母がいることに気づきました。ただし、私が物心ついた80年代前半には、祖父は退職後(当時は55才定年)、祖母は定年間近だったという限定付ではあります。当時、曾祖父曾祖母も健在で、それぞれ役割分担して農地を管理していました。

 祖父は、朝ご飯食べてから一仕事して、10時にコーヒーを飲みに帰ってまた出ていく。お昼食べたら横になって、日が陰る前にまた外の作業をしに出ていく、そんな生活リズムがありました。百姓としてあぜの草を刈ったり、田んぼに水を入れたり、農機具を整備したり、いろいろな作業をしていたことでしょう。

生きることは食べること

 それから、40年近い時間が経ち、そして今回のコロナ禍がやってきました。
 食料品や日用品の買いだめをすることもなく(マスクや小麦粉は近所のスーパー店頭からも消えていました)、自治体の有線放送で毎朝「朝8時現在、町内で感染者は確認されていません」との放送を聴きつつも、自身は気がくさくさしていました。普段からテレビは見ないので、ネットニュースやSNSに反応していたのでしょう。
 3密からはほど遠い、山の中の限界集落に住んでいるというのになぜくさくさしたのでしょうか。それは、「生きることは食べること、なのに食べ物を自分で育てていない」という不安を持ち続けていたからなのではないかと思うのです。
 振り返れば、10代の頃から田舎暮らしを意識していました。
 それは、自身が小さいときから祖父母の家に養子に入るという不文律があったから。祖父母らが育てた米や野菜を食べて育つことは、究極のセーフティネットだったのかもしれません。
 結局、いろいろあって養子の話はなくなりましたが、祖父母にはそもそも跡継ぎがいなかったことから、近い将来には屋敷と田畑の守(もり)は引き受けようと思っています。場所は和歌山県海南市です。トノガワは奈良県にあります。

「農」という安心(半農半Xをカタチに)

 妻は数年前から先行して敷地内で菜園をやっていて、この春からはかなり力を入れて野菜を育てています。

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