楽しい勉強16〜方法論を進化させる〜

人によって勉強法は違う。
一つ言えることは、自分に合った勉強法を確立することが重要だということだ。
自慢にもならないが、私は世界史検定1級に合格するのに、6年を要した。

大抵の場合、資格の1級と2級の難易度の差は、2級と3級の差とは比較にならないほど大きかったりする。
出題範囲も公式テキストなるものをやっていれば合格できるという生易しいものではなく、どこからでも出題されるというのが通例だ。

世界史検定2級には1発で合格できたのである。
しかし、1級に関しては全く合格する気配がなかった。
不合格の翌年、再チャレンジして点数が下がったのを見た時、泥沼に足を踏み入れた気がした。
ある程度の対策をとった上でこういう結果が出てくる時、頃合いを見て諦めるのも得策であろう。
受験して4年目くらいで諦めたところで、誰も責めはしない。

手応え的にも世界史のカタカナが全く頭に入ってこない。
世界史はこだわれば底無し沼のように、深い内容があるのだ。
それはそうだろう。
各国史というものは古代から現代まである地域はあるのだから。
各国のつながりの理解にも不安を感じており、正直私は合格への光明を見出せずにいた。
毎年11月(12月の年もあったが)に実施されるこの時期は、憂鬱であった。
受験者も会場には3名しか受験していない年もあった。
去年に続いて1年越しに顔を合わる、という人もいる。


はっきりしていることは1級ともなると、ミラクルはほぼ起こらないということだ。

自分を支えていたのは、ただ世界史の天井を見てみたいという思いだけだった。
1級を取得したところで、それで世界史を極めたとは到底言えないけども、少なくても客観的にはグレードのもっとも高いレベルであることは確かである。
正直、日本史とは違う歴史の学習という感じもしており、自分には才能が無いのだろうと思ったことも1度や2度ではなかった。

合格するには、勉強の方法を抜本的に見直し、自分が確実に世界史の知識を身につけられるように変化していくしかなかった。
他の人には当てはまっても、自分には当てはまらない勉強法というものが確かに存在していた。
暗中模索の中、自分は特に「手」を使っていくことで自分の頭に知識が定着していくことを悟った。

世の中には「読む」だけで、知識が頭に定着する人がいる。
中には聞くだけで、知識が定着する人もいる。
「書く」作業は最も時間のかかる勉強方法の一つだろう。

しかし、自分にはこの方法しかなかった。
面倒極まりないが、この方法で様々な問題集を解き進めて行った。
解けば解くほど、今までとは違う手応えが生まれた。
これまでの学習ではどれだけ勉強しても、知識が頭から滑り落ちていくような知識の再現性の乏しい勉強をしていた。
しかし、「書く」ことで手間を伴う分、記憶に刻み付けるような感覚があった。

こうして、6年目にして合格することができたのである。
世界史は面白い。
そんな感想を持てたのは、方法論を進化させ、勉強を諦めなかったことが大きい。
勉強を楽しめるように、五感の様々な感覚を総動員してみることも重要である。

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