勉強を楽しくする方法33〜地名と場所の覚え方〜

手間を惜しまない覚悟があるならば、私の地名と場所の覚え方を読んでほしい。

確実に地名と場所を頭に入れていく、凡人の覚え方である。
用意するのは『旅に出たくなる地図 日本』(帝国書院)と『旅に出たくなる地図 世界』(帝国書院)、インターネット環境である。

知らない地名に出会った時に、Googleで検索する。
私は見たことがない地名と出会った時は「オーケーGoogle!」と言って検索機能を呼び出し、地名を言う。

そして、まずマップ検索のボタンを押して、地図画面に移り、そこからピンチインして拡大表示を進め、日本なら何県のどこにあるのか、おおよそ大体の位置を特定する。

そして、先ほど紹介した地図を使ってその県のページを開き、さらにその地名の位置を探し出し、赤丸で囲む。
まず、これが最低限やるべきこと。

そして、さらに印象を深めたければGoogleの画像検索ボタンを押してみる。
そうすればたくさんのその土地の風景や有名物産などが登場する。
そこから意外な芸能人や歴史上の人物に繋がることもある。

さらに深めたい人は動画検索もかけてみる。
特に、民謡や神楽、お祭りなどが絡んでいる時はここまでやってみると、かなり印象に残るだろう。

これで、以上である。
とは言ったものの、たった一つの地名に対してこれだけの作業をするのはなかなか手間である。

しかし、私はこの手間を節約する方法をあえて伝えたりはしない。
私も節約する方法を探したこともあったけれど、実はこの手間にこそ価値があることに気づいたからだ。

往々にして、ほとんどの人は地名は暗記物だという風に思っている。
しかし、断っておくが、私は地名に対して暗記物だという認識は全く持っていない。
暗記物にしてしまうと、全く楽しくなくなってしまうからだ。
実際に、上記の作業を進めていくと暗記するというプロセスとは程遠いものだと分かってもらえるはずだ。

試しに、この方法で一度、金閣寺とサグラダ・ファミリアを見つけてみて欲しい。

そうすると、まずは金閣寺が京都市北部にあることと、サグラダ・ファミリアがスペインのバルセロナにあることに気がつくだろう。
ここで、金閣寺が北山文化と結びついた人はそれだけで金閣寺の地理的位置が脳に刻みつけられるかもしれない。

さらに、地図を詳しく見ていくと、京都市もバルセロナも有名な世界遺産が近くにたくさんあることに気づくはず。
仁和寺や教王護国寺、サン・パウ病院やカサ・ミラなどのガウディの作品群があることに気がつくだろう。

さらに、これらを画像検索してみよう。
そうすると、ガウディ建築の哲学である「自然を教科書にする」という点に実感が持てるはずである。

さらに、ここでちょっとした小技を示そう。
「金閣寺 マップ」で画像検索してみるのである。

そうすると、金閣寺の境内の地図が出てくる。

これをすることで、日本庭園の一つの作庭様式である池泉回遊式庭園について実感が持てるかもしれない。
「なるほど、池とその周囲を巡るのね」と思う人もいるだろう。

こういうことを知って現地に行くと、少し余裕もあり、楽しみもできるというものだ。

後は、京都の三代祭とよばれる、葵祭や祇園祭、時代祭を動画で見てみると京都に行った気持ちになるかもしれない。

そう、この感覚なのだ。
自宅にいながらにして仮想旅行した感覚に持っていく。
そのためのツールは揃っている。

さまざまな側面から検索を進め、地図でも確認するのである。

なぜ、あえてわざわざ紙の地図で確認するのだろう。
デジタルマップで十分ではないか、と思う人も多いと思う。
しかし、私は紙の地図で最終確認することをおすすめしたい。

私の個人の感覚かもしれないが、紙の地図には市まで特定した上で、市の中のどの辺りに位置しており、しかも周辺にどんな場所があるのかということが、程よい詳しさで見開きページ内で収まっている感覚がある。
場所と周辺情報をバランス良く、同時に確認することができるというメリットがあるのである。

デジタルマップでは縮小・拡大機能を介することで、詳しすぎる詳細か、大まかな全体像のどちらかになり、このほど良さを両立することは難しいと感じている。
一方、紙の地図では「市域全体の詳細」を表示するバランスのとれた情報量だと感じるのである。

つまり、地名の相対的理解を紙の地図で確かなものにすることができるのである。

そして、私の中ではここまでやって最終確認だと実感している。

もちろん、この手法の決定的なデメリットは「時間を食う」ことである。
日本地理に関する本など読むと、まあページが進まなくて困る。
その都度、調べることになるからだ。

その他、出先でニュースチェックしていても、「小金井公園ってどこだろう?」とついついgoogle Mapで検索することになる。
世界のマイナー都市になると、詳細は紙の地図に描かれなかったり、町レベルになると表示さえされていないこともある。

しかし、この手間を経ることで地名は単なる暗記物としてそこから一歩も進めない、ということはなくなるのだ。

地名は「自分の身近で馴染みのある場所」に変わることと思う。
それが日本でも、世界でも手近に手繰り寄せることができるのである。

これは、人によっては「革命的な出来事」ではないだろうか。
世界にわざわざ出て行かなくてもある程度「行けてしまう」のだから。

もちろん、それで現地について分かったつもりになってもらっては困る、ということは言うに及ばずである。

現地に行くと、現地でしか分からない歴史や文化が必ず存在しているのだから。

しかし、少なくとも地名に関してアプローチが変わるのではないだろうか。
よく友人が、「行ったことのない場所を覚えてどうするの?」とこぼしていたことがある。
多くの人がこういう本音を持っているのかもしれない。

しかし、それはもしかしたらアプローチを変えるだけで、逆に「実際に行かなくても、行ける」という逆説的な感覚を持つことになるかもしれない。
暗記物という思い込みが、興味を失わせていただけかもしれないのだ。

私も最初は地名を見て、いきなり紙の地図を使って調べていた。
こうすると、自分の勘を頼りに、「この辺かな・・・」と、目を必死に動かして地名を探す羽目になる。

この点、google Mapはピンポイントでどこの位置にあるかをはっきり示してくれる。
文明の利器さまさまなのである。

そこから紙の地図で周辺情報とともに詳細確認をすると自分の好奇心や興味を掻き立てられ、画像検索がそれをある程度満たしてくれるのである。

ローカリズムが進む昨今、地名をとっかかりにして地域にアプローチしてみてはどうだろう。
きっと勉強が楽しくなり、行ってみたくなるはずである。

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