理解ということ

ONE PIECEのテゾーロは金が全てという人物である。そこに至るまでには金で苦しんだ過去があった。しかしルフィーはその過去を知らずに敵として倒す。

アニメで古く遡ればボルテスVのハイネルは父や兄弟が平等主義者であり、自身のいた身分社会の崩壊を見てなお最後まで差別主義者であった。

相手の素性、事情を知らないままのことがある。知っても考えを変えないことがあり、和解しないことがある。

理解=和解でもなければ同化でもない。

映画「聲の形」を見て感じたのは人それぞれ考えがあり、和解もあれば敵対もあるということである。自由というのはどのような価値観を持っていても自由なのであって、特定の価値観を排除しては自由ではない。

和解する自由もしない自由もある。理解したうえで拒否するのも自由だ。

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