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【小説】インクルージョン〜内包されたもの〜5

 私を内側から照らす光は、階段を降りる前に、にがよもぎ博士がくれたものだった。博士は魔術をかけるように言葉を巧みに操りながら、藍色の夜空に星の輝きを描き出し、その光を私の体に入れたのだった。星は頭の天辺から入ってきて、ゆっくりと私の体をあたためながら胸のところまで降りてくると、やがて心臓から血流にのって隅々に広がっていった。風邪をひいたときに飲んだ生姜湯は、確かこんな感じで末端までじんわりとあたためてくれたな、と思った。

 あの星はいったい何だったんだろう、などとぼんやり考えていると、
「その人の内側にある物質によって、光の色は変わっていきます。わたくしはあなた自身の中にあるものを、可視化させたのに過ぎません」
と博士は言う。
「あんなに綺麗な金色が、私の中にあるなんてとても信じられません」
思わず全力で否定してしまった。
「いいえ、わたくしはそこにないものを出現させることはできないのです。まったくの無から有を作り出せるものがいるとすれば、それは神様だけです」
 博士の声は確信に満ちていた。

「でも、あんなに強い力を、私は持っていません」
「それはそうでしょう。どんなに魅惑的な輝きを持つ宝石でも、自然にある原石の状態では光を放たないように。わたくしはあなたの中に潜在的に眠っている物質を探り当て、純度を上げて結晶化させ、見えるようにしているのですから。その術を持たないものが、力の強いものを扱うのはとても危険なことなのです」
 私はこくんと頷いた。博士はさらに続ける。
「ねえ、あなたはラピスラズリィという石を知っているでしょう。日本語では瑠璃などと言いますけれど。ウルトラマリーンの宇宙の中にきらきらした黄鉄鉱が星々のように輝いているあの石ですよ。わたくしが先ほどあなたの内側に干渉した時の光景は、まさにラピスラズリィそのものでした。すばらしい、実に、すばらしい」
 最後の方は、ほとんど博士のひとりごとだった。

*_*_*_*_*_*_*_*_*

 扉の向こうには、青色が広がっていた。幼い頃に見た、紫陽花の青。
 宵闇のような空間には、青色の水溶液が満たされている。私が指で掬うように触れてみると、水のようにさらりとした液体ではなくて、どろりとした質感があった。
 やっぱり私の奥の方には、青い部屋があったのだとなんとなく納得していると、にがよもぎ博士は、
「ああ、これは。コロイドになりかけていますね。コロイドというのは溶質、つまり液体状に溶けている物質、これがひじょうに細かい粒子になって液体や固体に分散しているもののことです。これはおもしろい」
と言った。
 私にはなにがおもしろいのかさっぱりわからなかったが、にがよもぎ博士はそんなことはお構いなしで、ぶつぶつと私にはよくわからないことを呟いている。

 博士は悪戯っぽい光を見えている片方の瞳に浮かべて、私の方に向き直った。写真集で見たカプリ島の青の洞窟のように、この部屋は透明感のある青い光に満たされて、博士の姿を怪しげに照らし出している。
 博士は白衣のポケットに手を突っ込むと、おもむろに石のかけらのようなものを掌の上に取り出してみせた。 
「ツバクラメの喉仏と、ムラサキシジミという蝶の羽と、トカゲの幼体の尻尾の部分から生成した結晶なのですが」
と言って、それらを無造作にパラパラと撒いてしまった。かけらたちはコロイドの底に沈んでゆき、しばらくすると、赤、紫、ブルーの細い煙のようなものが、まるで植物が生えるようににょきにょき伸びてきたのだった。

「ご覧なさい、生えてきました」
「博士、これは何ですか?」
「ケミカルガーデンですよ。数時間もすれば、ここは林のようになるでしょう」
 揺らめく煙の筋はカラフルな海藻みたいに見える。
「ほら、コロイドはおもしろいでしょう」
 博士はこの状況を心の底から、楽しんでいるように見えた。

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