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【小説】インクルージョン〜内包されたもの〜6

 催眠療法というのは、子ども時代とか過去世に遡ってトラウマを探り当てたりするものなのかと思っていたけれど、にがよもぎ博士は今のところ、そんなことをする気配はない。私と一緒になって、このイメージの世界を楽しんでいるようだ。これで本当に、何か解決するのだろうかと思っていると、
「おや、あなたはやはりコロイドはあまりお好きでなかったかな?」
と博士はちょっと残念そうに言う。見ればどこから持ってきたのか、博士の手には小型のハンマーが握られているではないか。
 ハンマー?

 私が怪訝に思ったのも束の間、博士は右手に握っていたハンマーを勢いよく振り下ろした。すると青の部屋は消え去って、ゴツゴツした岩に囲まれた洞窟のような場所に変わってしまった。
 空気が一変してひんやりとしている。暗くてわかりにくいけれど、そう遠くないところに水の気配がする。にがよもぎ博士が周囲の岩場を歩いて、触ったりライトで照らしたりしている。しばしの調査の末に狙いを定め、ハンマーをもう一度振り下ろすと、硬い石のかたまりが砕けて散らばった。よく見ると、石たちは規則性を持った正八方体に砕けていて、蛍のように自ら発光し始めるのだった。

 砕け散った石たちは、まるで呼吸するみたいにゆっくりと明滅している。淡いグリーンに、淡いヴァイオレットに。
「生きているみたい」
 思わずつぶやくと、
「もちろん石だって、エーテルレベルでは生きています。もっともこの石たちは、あなた自身に呼応しているのですけれど」
と博士が教えてくれた。
 しばらく地面の上で明滅を繰り返していたが、かけらの一つが静かに浮かび上がると、ほかの石たちも一斉に浮かび上がった。正八方体の石と思っていたものたちは、いつしか本物の蛍になって、暗い洞窟を照らしながらそこらじゅうを飛び交った。

「やはりあなたは、硬くて冷たい結晶の方が落ち着くようだ。今日の記念に、あなたの青色を結晶化して持ってお行きなさい」
 博士は蛍に導かれるようにして、岩場を進んでいった。私も転ばないように慎重についていくと、洞窟の奥まったところに、わずかな光の漏れている場所があるのがわかった。そこは大きな岩の割れ目のようになっており、岩の内側には一面に結晶化した青い石が、ガラス光沢を放って群生していた。

「すごい……」
 私はその光景に見とれた。剣のように先端の尖った結晶たちは、奥まった岩の空洞を埋め尽くすように生えていて、冷たく輝いている。
「この岩場は石灰岩でできているのです。セレスタイトという石は、このような石灰岩の空洞に結晶を作ることが多いのですよ」
 にがよもぎ博士は美しい結晶を疵つけないように、慎重に道具を使って一部分を採取した。採取したものをあらゆる角度から満足げに眺め、掌におさまるくらいのかたまりを私に手渡した。

 セレスタイトは、私の記憶の中の色濃い紫陽花に比べると、ずっと淡い色をしていて透明度も高い。こころの奥の方にしまわれているうちにどろりと変質してしまったものが、純度を高められて昇華されたようにも思えるのだった。
 雨上がりの澄んだ空に似ている。すがすがしい空の青を見上げている時の気分で、セレスタイトの硬く鋭い感触をひとしきり楽しんだ。

「では、そろそろ戻る時間のようです」
 にがよもぎ博士は、もと来た手順を遡ってゆっくりと私を浮上させていく。もう少しあの場所にとどまっていたいような気がしたけれど、あの場所はきっと特殊な場所なのだ。長くとどまる場所ではないのだろう。

〈つづく〉

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