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⑩最悪の誤算。比嘉大吾VS堤聖也


堤聖也は試合が決まった日から、毎夜、頭の中で比嘉大吾と仮想対決してきた。
全勝全KO。フライ級時代のザ・破壊者としての強烈な記憶。
4年前、スパーリングで手合わせしたときに感じた、まだ開けられていないが確実に存在する比嘉の「引き出し」の数々。

練習中は無心でいられた。だがジムから戻り1人になると、不意に心細さが襲ってきた。寝る前のルーティン。戦いのイメージトレーニングはどうやっても自分のハッピーエンドで終われない夜もあったし、石原雄太トレーナーと立てたプランが奏功し、自分が勝利をたぐり寄せるイメージで終われる夜もあった。

この2ヶ月間、いっときも脳裏から離れない「比嘉大吾」に、恐怖し、迷わされ、苦しめられた。だが、その巨大な影と向き合い続けた日々に、確実に自分は成長したという実感もある。

その敵が、今、目の前にいる。


「行ってこい!」

ゴングの直後、ともに戦ってきたトレーナーの声が聞こえた。

「はいっ!」



向こうの出方を見るのではなく、自分主体でゲームメイクする。
トレーナーと何度も確認したテーマだった。
リズムとペースを相手より先に掴むことはどの試合でも命題だが、スピードがあって圧力も強く、なにより破壊力を備えた比嘉を一度乗らせてしまえば命取りになる。
フライ級時代、比嘉は初っぱなからぐいぐい圧力をかけ、チャンスの扉をぶち破ると、獰猛に獲物に襲いかかっていった。
その序盤を、堤は何より、最も、怖れていた。

だから、その出鼻をくじく。ジャブを突き、ワンツーでプレスをかけて比嘉を下がらせ、自分が前に出る展開に持って行くと決めていた。

堤はプランを遂行した。

「いい出だしだったと思います」


従来のように比嘉が突進してきたらサイドにまわってその圧力と左を殺し、自分が刺す。試合が決まった直後から、最も注力してきた練習の一つだった。
だが、大方の予想とは違い、比嘉はかつてのスタートダッシュを見せなかった。左ジャブを出したきり、ほとんど手を出さない。

ただ堤はそのパターンも想定していた。やりやすい方で来てくれたな、と思った。ガードを固めブロックしながら自分のジャブで下がる比嘉に、堤は「自分がうまく阻んでいる」とも思った。それでも、その最も警戒していた序盤を乗り切っても、かすかにも安心感が持てない。

あの比嘉なのだ。どこでいきなりギアをあげてくるかわからない。

……ここで来るのか? 今来るのか? どこで来るんだよ……!?


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撮影/山口裕朗 foto finito



石原雄太トレーナーは夕方、後楽園ホール入りして顔を合わせたときから、教え子がかつてないほど入れ込んでいるのを察していた。余分な力を抜かせようと、控え室でのアップも時間を長めにとったが、「堤の気合いはあまりに大きかった」

「ただ試合が始まって、堤がうまくジャブで比嘉くんを下がらせていた。これなら多少固くても大丈夫か……そのうちほぐれるだろうとも思っていました。問題は堤がハイペース過ぎたこと。1、2ラウンドの比嘉くんの戦い方に違和感を持ったこともあって、これはマズいな、と」

前半を捨てて、堤を疲れさせ、中盤から来る作戦かーー?

だから2ラウンド終了後、堤に告げた。
「おそらく向こうは後半のためにとっている。このペースで飛ばし続ければ後半絶対に落ちる。抑えるところは抑えていけ」

堤は頷いた。

だが、コーナーを出た直後、堤は、やっばり駄目だ、と思い直した。
勢いを緩めたら向こうは絶対来る。そしたら俺、絶対に飲み込まれる……。

やっぱり同じペースで、いく。


「それに、この試合、僕は最初から最後までの全ラウンド、最終ラウンドのつもりで全力で攻めていくって決めていたんです」



比嘉の左フックもボディブローも喰えば致命傷になるだろうことは、ガードの上からでも「わかった」
2階級下から上がってきた元世界王者のパンチの殺傷力に、「階級の壁は感じなかった」

警戒していたフェイントもやはり多用してきた。ひっかからずになんとか対応できているという自覚はあったが、もし一瞬でも気を抜いたり、見誤ったりしたら……。一つクリアするごとに、むしろ緊迫感と恐怖は上積みされていく。
「パンチも見えたしスピードにも対応できる、と思ったんです。実際ブロックもできていたし、比嘉の左ボディからの左アッパー対策で左にまわる、それも。でもやっぱりボディ。3ラウンドあたりからあいつのボディへの怖さが大きくなってきて、それは最後まで抜けなかった」

堤はバッティングで2ラウンドに右目の上を、3ラウンドに左側頭部を切り、出血していた。
右目の傷を確認したリングドクターの「結構深いね」の一言に、試合を止められることに怯えはしたが、名カットマン鈴木眞吾会長の手腕のおかげで、「出血はほとんど気にせずに済んだ」
だが、中盤以降、堤は右目の視界を狭められていく。

比嘉のジャブ。

「最悪、最悪の誤算でした」



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撮影/山口裕朗 foto finito





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