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「人を信じられる」ようになるために必要なこと

人を信じることは大切なことです。ただ、出会った人全員を信じる必要性はあるのでしょうか?
自分とは価値観が合わない人もいるでしょう。そういう人も信じる必要性はあるのでしょうか。
最近、小5息子が人間関係で悩み始めたので、「みんなを信じる必要性はないんじゃないの?」という話をしました。

「みんな仲良く」は幻想だと思う

幼稚園や小学校(低学年)では、「みんな仲良く」が強調されません?(そう感じるのは私だけ?)
年齢が上がるにつれてだんだん自我も形成されますよね。自分は良くても相手にとっては都合が悪いこともあります。
そりゃ、「みんなと仲良く」できればいいと思いますが、自分を押し殺してまで仲良くする必要はないと思いますし。
表向きはみんなと仲良くして、裏垢使ってSNSに吐き出すことは、あまりお勧めしませんけどね。(今回のIPアドレスみたいな件もあるしwネット上で書くとバレる可能性がwww)
だったら、合わない人とは必要最低限のお付き合いにしておく方がよほどましだと思うw

「人を信じる」こと自体は重要

そうそう、私も、学生時代に(イマドキみたいにLINEで陰口…ではないけど)、友人だと思っていた人が、裏で(私に言っていたこととは)違うことを話していて「人間不信」に陥ったこともあります。
おそらく、そのころのトラウマ?もあって、根本で人を信じることは私にも出来ていないのかもしれません。
ただ、私が思うに、「人を信じる」ことは重要だと思うのです。
誰一人信じない生き方は、少し寂しいです(さすがの私でもそう思います)。かといって、ひどい裏切りを感じたことがある人は、簡単には人を信じられないかもしれません。そんな私が息子に何と言ったかというと…

「人を信じることは重要。だけど、信じる相手は選んだ方がいい」

「裏切られた=信じない」ではなく、「裏切られた=信じる相手を選ぶ自分の目が曇っていた」と解釈を変えることにしました。
なので、自分の「選ぶ力」を曇らせないためには、自分の中の「思い込み」や「エゴ」「ジャッジ」を可能な限り手放すことが大事なのかな、と思っています。

自分の気持ちがクリアになっていると、「この人大丈夫かな、信用しても良いかな」ということを見分けるアンテナ感度が高くなります。だから、怪しい情報や誘いには乗らなくなります。
しかし、自分の気持ちの中に不安や不満、不信があると…怪しい情報(見かけは魅力的だけど中身は怪しい情報)に惹かれたり騙されたりしてしまうのです。
他人のせいにしたり、逆に自虐的になることによって「本質を見ないで回避しよう」とするのです。

「人を信じる」ために必要なこと

なので、人を見る目を養うには、社会に出る前にたくさんの人と知り合っておくこと、「無条件の愛」を受ける経験を持つこと、心の底から信じる経験をすることがベストだと思います。
特に、「無条件の愛」を子供の時代に受けていた人は非常に強いです。「なんでこの人こんなにメンタル強いんだ?」(注:見せかけではなく)っていう人のSNS発信を見ていると、やはり子供時代に親から無条件で認められた、愛された経験があるように見えます…。
しかし、「無条件の愛」を子供時代に受けている人は非常に幸運だと思います(親子関係だけは自分ではどうにもならないので)。私もつい、「100点取ったら〇〇買ってあげる」と言ってしまったり…。
なので、子供時代に親から「無条件の愛」をもらった記憶がない大人たち(私も含めて)は、思考錯誤の末、自分に合った方法でエゴや思い込み、ジャッジを1つずつ手放していってアンテナを磨くしかないんだろうな、と思っています。(無条件の愛を受けている人は根拠がない自信を持っていることが多いため、そもそもアンテナ感度が下がりにくいのです)


ジャッジを減らすとどうなるのか…私が人体実験をした記録はこちらの記事に書いてありますので、もしよければどうぞ。




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