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茶色のクレパスと先生

生まれつきひとは自由なはずだ。けれども親も学校も先生も自分では選べない。出会った人によって自分がどれだけ影響を受けているか、時々思うことがある。

◆暗くて怖いまち

小学校まで育った京都市内はどこへ行っても寺、神社、寺、神社と信じられない数の神社仏閣がまちなかにある。通った小学校へ行く間にも30分の間に大げさでもなく3個くらいあってそこを通過して通ったもんだ。夕方にもなれば鬱蒼とした大木が日光を遮っていちはやく暗くなる。千年の都とか言って、そこここに古い怪談や怖い話のようなものがあって、夜になるとみんなでビクビクしてしていたのを思い出す。

◆◆個性抜群の学校

その頃の京都はいわゆる体制派ではない政党が仕切っていたらしく、学校の教育も個性豊かであった。TVでよく静岡だけ、と紹介される「お茶の蛇口」は学校中の手洗い場に設置されていつでも「熱い茶」を飲むことができた。

僕の1、2年の担任は美術の専攻だったU先生だった。
なぜか週に1度ある自由教育の時間??に午後を潰してまで寺や神社など自由に外へ出かけてスケッチをさせた。その時間を稼ぐためか、入学早々尋常ない数の宿題を課してやってこない奴は面前で怒鳴られた。今でこそ高学年なら理解できるが、学校入りたての1年生から泣きながら22時ころまで宿題をやった記憶が残る。

◆◆◆茶色のクレパス

当然スケッチするのは神社・仏閣、そして怖い顔の風神・雷神など、およそ幼稚園上がりのガキにはつらいアイテムが満載の静かな場所だ。
カラフルな絵が好きだった先生はどんどん色を付けて描けといった。

僕らは、ピカソでもなくバスキアでもなかった。

ただただ、みたままの色「茶色」を塗りまくる。まわりの生徒のスケッチブックも茶色だらけで笑った。ちょっとおかしなMくんだけが真っ赤や黄色で塗りたくっていた。僕の低学年の思い出は詰め込み教育とスケッチと茶色のクレパスだった。

親と一緒に茶色のクレパスを何度も買い足した記憶が小学校の思い出だ。

◆◇大事なこと

小さい子どもは親や先生の影響を大きく受ける。逆らうことはほぼできないからだし、はみ出してみる勇気もないものだ。
じゃあ、その詰め込み教育と不思議なスケッチのお出かけが嫌いだったか?
答えはNOだ。
僕らはほかのクラスの前を堂々と通って出ていく姿を見せつけたし、先生は超怖かったけど、全員言われたことができると時間の途中でも遊んでくれた。今思えば本当に自由な設計で子どもを教育していたんだとおもう。

◇◇◇まとめ

僕は学校という名前のつく教室に、小学校から大学まで通ったけど、先生というとそのU先生が一番に浮かぶ。気安く今の教育や先生のことを語れないけれど、その時代に僕がうけた教育は本当に自由だったんだとおもう。
あれだけ厳しい先生が結局大好きで、いやいやといいながら実はいつも誇らしくスケッチをしていた。

いわれた通りにやるだけでなく、自由な時間を与えてくれたあの先生。
その姿はいまも僕の胸にしっかりと残っている。

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放送、メディアを経てイベント・プロモーション会社を開業。若いクリエイター・アーティストを支援し、ますます盛り上がる”コトの消費”を企画します。twitter@alfa8600 ビジネスのご依頼相談→tsu001@pointseven-pro.com
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