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#アート思考の入口を探してみた

課題解決型の時代が終わって、これからは答えがひと通りではないアート思考が中心となるようだ。それはどんなことだろう。

①創作活動のスタート地点

自分の話が分かりやすいので思い出してみよう。

大抵の子どもがそうだったように、ノートや広告チラシの裏面などに特撮ヒーローや漫画の似顔絵をずっと書いているようなタイプだった。
もちろん子どもは、線を引いたり絵を描いたり色を塗ったりするのが本能的に好きなので珍しいことではない。

日本の学校教育は創作というより訓練の場所だ(とおもっていた)。
図工とか美術の時間に課題を与えられてその狙い通りに作品を制作・発表することは、才能を無限大に伸ばすというよりも「アジャストする能力」が評価されいていく
自分の先生がそれを望むかどうか別として評価のシステムがそういうものだから。
→すでに課題解決からスタートしていることを認識してしまった・・

②訓練かアート(創作)か

僕の通った小学校は公立にも関わらず非常に自由な教育を許すところだった。1、2年の担任が美術の先生で、算数や国語の勉強をめちゃくちゃハードに詰め込んだあと、午後学校を出てスケッチの時間という不思議な時間があったのだ。

街を歩けばあちこちに神社仏閣があり、「おとなのスケッチ」には困らない。僕らは6歳とか7歳とかいう年齢で、大きな神社の門にある「金剛力士像」や梅の枝を描いたりしていた。いま思うと渋すぎるが、それが地域の子どものフツウだったから驚きはなかった。

そのせいで色鉛筆やパステルは茶色や焦げ茶色ばかりが減ったものだ。
他の教室がつまらない授業を受けている中で、堂々と外出できるわがクラスの優越感は感じつつも自由な時間というより、やはり訓練を受けているような感覚が強かった記憶がある。

↓過去記事参照



③アート思考はどこからくるのか?

一部のスーパーマンを除けば、ひとは訓練(学習)によって才能を開花させていくはずだ。経験を積んで訓練する量と質で多彩な才能を花開かせるかどうかが決まる。

けれどもその運動量ともいうべき「天をも恐れない自由な発想力」は否定からは生まれない。アート的な発想は答えはひとつではないし、正誤表もない。誰もが課題を待っている時代は静かに終わっていく。
残念ながら大切な子どもの時代にそれを持てなかったひとは、今からでも十分間に合うとおもう。
ひとりの時間をもって、映画を観て、いろんな本を読んで、たくさん会話をして、そしてできれば現代アートでも写真でも歌でもよいので作品にたくさん触れる時間をつくろう。自分を今の場所にとどめてしまわないことだ。

まとめ

ピカソやウォーホールになれなくても、練習すればアート的な発想を持つことができる(と考えよう)。訓練と自由の相反する感情とそこから生まれた作品を思い想像することで、ちょっとずつ近づける。

これからは答えを想定した課題が示される世の中ではない。大きくなりつつある閉塞感のなかで前例がないとか、定番の考え方を超えて柔らかなアイデアを生み出そう。
そのためには、自分の感情をしっかりマネジメントして、気分のフラットな状態をつくり出そう。そこにアートの花が咲いてくる。





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