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はじめに 「瞬間と瞬間の間にある長い刹那」

長らく詩を書いていると一瞬の捉え方が変わってくる。
本格的に詩をはじめた頃、書きたい瞬間が訪れると絶対に逃すものかと、その瞬間に非常に集中する必要があった。

常に肩肘を張って、書くべき「瞬間」を探すことに意気込んでいた気がする。

絶対に描きたい瞬間を書くために、何度も繰り返し記憶の引き出しを開けにいく。そうこうしていると描きたい情景の輪郭がはっきりと目の前に見えるようになってくる。

そこから単語を選び、それらしい詩を紡ぎだし、並び替えて、また俯瞰して、消したり足したりしていって、また新たなエッセンスが加わったりして、半年から数年くらいかけてやっと1作品が仕上がってくる。長いもので10年近くかかった作品もある。

作り手にとって一番楽しい瞬間は、この作品を作り出す工程なのか?と、以前訊かれたことがある。もちろん作っている工程も楽しいけれど、どちらかというと生みの苦しみのような感覚が強かったりする。

書きあがったものは、それらしい何かが仕上がっただけだ。
実は作品作りがさらに面白いのはここから。
わたしは作品の完成と定義しているのは、人前に出してからだと決めている。

さて、出来上がった詩らしい作品を本にして出版する。
(本を出版する前に行う作業があるのですが今回は割愛します)

そして展示会を開催する。
自分以外の誰かに見られる、その時、これまで積み上げてきた意味や意図を、来場者の一人ひとりが思いのままに描いて受け取る。

想いを込めた「一瞬」を、誰かが想いのまま受け取る。
その受け取った何かが無意識に脳裏に張り付いたまま人生を歩んでいく。
この時初めて作品が完成する。
完成するというより、羽ばたいていく。

作品というものは初めから終わりまで作り手のものではない。
本格的に作品を作りはじめて10年ほど経った今「自分が受け取ったものを表現して、誰かに伝えているだけなのだ」と、切なく悲しいほど端的にそう感じている。

この気づきは、思わぬ嬉しい副作用を生み出していて、どうやらわたしはもう以前のように、歯を食いしばって気張って瞬間に集中しなくても、気楽に制作に取り組めるようになってきた。

ついに境地的な場所にたどり着いたのかしら。なんて思っていたが、どうやら次なる旅路への扉を開けただけだったようだ。

ここ最近、作品を作ろうとして頭の中に湧き上がってくる考えは毎回同じ。

「これまでわたしはたった一瞬を永遠の比喩として、文字を使って詩と表現してきた。次はこれを具現化できないか?」

瞬間そのものというより、瞬間と瞬間の間にある長い刹那を見つめ、文字にすることが自分の作品の源泉なのだ。この瞬間を永遠に形にできないか。

そこで実験的に行ってみたのが、オーダーメイドドレスブランド(Vivat Veritas(ビバ ベリタス))とのコラボレーションだ。

デザイナーさんは、知的で物事の本質を見通す審美眼と鋭い洞察力をもっている女性で、わたしの詩を読み、情景や設定を聞き、たったそれぽっちの情報からデザインをおこして、生地を選び衣服を創り出してしまう。

わたしだけの頭の中にあった「瞬間の永遠」が、衣服として生み出されていくそのさまに、わたしは感嘆の声が漏れてしまった。

詩という表現に、解釈が加わり、デザインと生地という係数が掛かって、全く新たな作品へと変容していく瞬間の具現化を読者の皆様もぜひお楽しみください。

コラボレーションブランドのご紹介
Vivat Veritas(ビバ ベリタス)は「Uniquely Made, Individually Worn(クチュリエの手で一着ずつ仕立てたユニークなドレスをあなただけが着る)」というコンセプトをもとに、リメイク生地を使った1点ものの着物ドレスや、色、サイズを完全オーダーメイドできるワンピースを製作しています。
URL:https://www.vivatveritas.com/jp/

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