見出し画像

戦争孤児の実像を求めて #1 浅井 春夫

 『戦争孤児たちの戦後史』(全3巻)の刊行を記念して、編者5名によるエッセイを掲載します。
 今まで語られることのなかった戦争孤児について、その実態や記述のエピソードをまとめていただきました。
 ひとりでも多くの方に、ご一読いただけると幸いです。

戦争孤児たちの戦後史からの問い

 『戦争孤児たちの戦後史』(全3巻)の企画・出版は、2016年11月に、全国の有志が集まって研究会を立ち上げて以来、当面の目標となった。「戦災孤児」でなく、国の戦争推進政策によって犠牲になった子どもたちという意味での「戦争孤児」という名称と「戦後史」の視点にこだわった。

 研究会の開催で工夫したのが、全国巡回研究会という在り方だ。同じ会場で開催すれば、参加者は固定されることになりやすい。当事者の声を聴き、地元の研究者から学ぶために全国を巡回して研究会を企画することにした。東京(立教大学)を出発点に、京都(「せんそうこじぞう」が建立されている大善院で開催)、長崎、広島、愛媛、沖縄(70名の参加者)、東京(東京大空襲・戦災資料センター)、京都(「海を渡った孤児院」というテーマで、一燈園を会場に)で、計8回の研究会を開催してきた。戦争孤児問題といっても、それぞれの地域で歴史と特徴があるので、できるだけ現地に行って当事者の声を聴くことを大事に考えてきた。こうして各地で学びながら、3年計画で全3巻の「中間報告」をするという当初の目標をほぼ具体化できそうだ。

 戦争孤児の戦後史研究は、子ども期の記憶を非当事者が呼び起こす強引さをともなってすすめられる面がある。戦後75年の歳月は、個々の当事者の記憶をインタビュアーの潜在的な要請に応じて再構成される可能性を持っている。それは記憶の柔軟さでもある。「失われた記憶」とは何かをもう一度考えなくてはいけないと思っている。たとえば戦争孤児のけなげな生きざまに着目するあまり、生きるためにしなければならなかった負の体験と記憶を長期冷凍してしまうこともあるかもしれない。語れない記憶をどう再構成するのかは聴く側の責任でもあるように感じている。

 「失われた記憶」には、①戦後史の観点からみれば、長く苦しみの根源にあった記憶でもあり、②体験を語ることが戦争孤児というラベリングによって、負の評価をともなうので、沈黙を守ってきた面もある。③生き延びるために行った語れない記憶もあるかもしれない。どんな職業に就いてきたかを問うたとき、「そんなことをあんたに言う必要はない!」と語気を強めて言われたことがあった。本当に必要で残したい記憶がコンクリートで固められ海底に沈んでいることもある。

 記憶という点で感じたことのひとつは、戦争孤児当事者が施設にいたときの記憶と、実際にそこに従事した者の記憶のズレ=二重構造である。戦争孤児体験者の記憶は自分の人権が守られていなかったという点では非常に窮屈な生活であったと感じている。一方で、従事者の記憶のなかでは、衣食住の不自由さはあったが、子どもたちとは愛着関係が形成されていたと感じている方も少なくない。体験における立ち位置によって記憶の重心は変化することを聴き取りのなかで感じることがある。体験の記憶を私たちはどのように継承することができるのかを検討してみたいと思っている。

 今後の課題についてふれておくと、ひとつは、戦争孤児の実態調査を国の責任でいまからでも実施すべきである。それは戦後史というスパンでの聴き取り調査を含む課題である。空襲被害に関する超党派の議連で、取り組むべき課題として「戦争孤児の実態調査」が明記されている。

 二つ目に戦争孤児への給付金の支給という「戦後補償」の課題がある。軍人恩給はこれまでの累積総額は6兆円を超えている。「子ども期」を奪ったことへの真摯な反省が国家に問われているのである。

 三つ目は、戦争孤児体験者として語ることのできる人が年々少なくなるなかで、体験の記憶の保存、資料の収集と管理、映像で語りを残す取り組みが求められている。史料と記憶の自然消滅はあってはならない。

 また、私は戦争孤児の碑を建立することを、沖縄と東京で具体化できたらと願っている。この間調べてみると、教科書にも「戦争孤児」「戦災孤児」という言葉はいくつか断片的に載っているのだが、きちんと戦争孤児という名称で教科書のなかに書き込んで、学校教育のなかでも事実・現実・真実を継承することが必要なのではないかと考えている。体験者と非体験者の共同の研修をしながら、語り部をどういう形で養成することができるのかも問われている。

 こうした継承の課題の中で、私はぜひ幼児や学童でも読めるような絵本をつくりたいと思っている。それぞれの個人史は何百何千とあるのだが、そのなかでも人間の尊厳を踏みにじられた現実とともに、実際にどんな要素をいれた絵本が子どもたちにとって学ぶ意味があるのかを問いながら取り組んでみたい。ひとつの夢である。

 新しい政権がこれらの課題に誠実に取り組むことを心から願っている。それはもう時間のない喫緊の課題となっている。“子どもへの無関心“という政治の姿勢を改めるギリギリの時期となっている。「戦争だけは絶対にやってはいけない」という戦争孤児体験者の声と願いを、非体験者の私たちが伝えることに挑戦したいと思っている。

 浅井 春夫(あさい はるお・児童福祉論)



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?