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【ひっこし日和】2軒目:325・団地

325とは、番地である。正しくは3-2-5と書くのだが、家族のあいだでこの建物を呼ぶときは「サンニーゴ」と言い、325といえばあの団地だった。20軒のひっこしのなかでも団地に住んだのはここだけで、だからなのか団地独特の空気をはっきりと憶えている。

団地は涼しい。どんなに暑い日でも団地のなかは影の色が濃く、子どももたくさん住んでいるはずなのになぜか静かだった。金属でできた分厚い扉のせいなのかもしれない。あの扉は今でも好きだ。

ただ、どういうわけか部屋の間取りやなかのようすがさっぱり思いだせない。ポストについた金属の、ツマミのとこの錆びた感じとか、階段の一段がやや高かったこととか(これはわたしがちいさかったからなのかもしれない)、植え込み、地面にいたダンゴムシ、花火をしたときの自分の頭の影、妹が履いていた淡いピンク色の運動靴、そんなノスタルジックな断片が記憶にある。

そうして思いだすなかに、匂いがある。おいしい匂いだ。

あれは幼稚園に入る前だから2歳か3歳くらいのことか。いつものように団地の子たちと垣根のところやら自転車置き場やらで遊んでいたら、カレーの匂いがしてきた。ジャイアンみたいにからだの大きい吉野くんが「カレーだ!」とすぐに言った。細くて真面目そうな男の子とわたしと妹。ほかにも誰かいたかもしれない。みんなカレーがよかったから、絶対に自分のうちがカレーだと言い張った。

空がすこうしだけ薄くなり、腕にさわる空気が冷たくなると、母がつっかけを履いて外へ出てくる。もうごはんだよだったか、お風呂わいたよだったか、テレビはじまるよ、だったか。団地のほうへ歩くといろんな窓からいろんな匂いがしてきて、焼きそば、魚、煮物、うどん、焼肉、と、頭のなかに映像が浮かんだ。

外を歩いていて不意に気づくおいしい匂いに安心を感じるのは、たぶんこのときの記憶が強いからだと思う。帰ればおいしいものがある。その当たり前を失ったことがあるから、余計に大切なもののように思える。

家の扉を開けると、カレーの匂いがつんと鼻をさした。
「カレーだ!」
吉野くん以上の声をはりあげて、勝った、と思った。ほうら絶対にうちがカレーだと思ったんだよだってカレーの匂いはうちの窓から出てきてたもの! と、2歳か3歳だからそうは言わなかったんだろうけど、気分はそれだった。

先にシャワーをさせられ、いよいよ夕飯というときになってはじめて母が「これ持ってハナコんちに行くよ」と言った。母の腕にはすでにカレーの入った大鍋が抱えられている。ええええええ、である。

吉野ハナコんちは隣なので、玄関のドアを押して引くだけで着いた。母が抱えているカレー鍋を見るなり吉野くんは、「おお!」と目を輝かせた。いったん自分ちのもんだと思ってしまっただけに奪い取られるようで悔しいが、わたしはさもみんなで食べられるのが嬉しいというふりをする。そういう外ヅラのいい子どもだった。

団地生活ではこんなふうにときおり誰かの家に集まって、大人はお酒を飲み、子どもたちは夕飯を食べて疲れるまで遊んだ。深い時間になってくると、ハナコんちの布団でみんなでごろごろする。寝なさいと言われながらこそこそ喋っているのが楽しいのに、吉野くんはすぐに寝てしまう。

神経質なわたしは人の家では眠れなかったが、暗くされた部屋にぱっと明かりがさすと目を閉じた。お酒くさい父に抱きあげられ、まぶたとまつげに邪魔されながらうすく見える世界で、じゃあねと赤い口紅のハナコが手を振る。なんだかそれが寝たふりをしているわたしに向けられていたようで、ばつが悪くなる。そこからすーっと空中浮遊しているみたいに静かに連れて行かれて、わたしは自分のベッドにおさめられた。

よく憶えているのはそのことと、吉野くんじゃない真面目で細い男の子んちの布団のなかでふたりで真っ裸になりお医者さんごっこしていたらめちゃくちゃ大人たちが深刻になってしまったこと。わたしは、そんなふうに考える大人の方が恥ずかしい、別にソウイウツモリでしたわけじゃなかったのに、と思うような3歳児だったが、男の子は号泣して謝っていた。

あの子、どうしたかな。
っていうか、なんて名前だったっけな。


つづく

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