プロフィール写真_松岡恭子

建築家として福岡をポジティブな方向へ 株式会社大央代表取締役 松岡恭子さん

建築家として、地元福岡の未来を考えたお仕事をされている松岡恭子さんにお話を伺いました。

松岡恭子さんプロフィール
出身地:福岡県
活動地域:福岡県、東京都など全国各地
経歴:92年に建築設計事務所を設立以来、学校、集合住宅、商業施設などを通して、地域の魅力を高める建築を国内外でデザイン。市民に福岡の優れた建築を紹介し、子供の建築教育も行うNPO法人の理事長も務める。
現在の職業及び活動:株式会社 スピングラス・アーキテクツ 代表取締役社長・建築家、株式会社 大央 代表取締役社長、NPO法人 福岡建築ファウンデーション 理事長

協働して福岡をポジティブな方向へ

記者:松岡恭子(以下、松岡 敬称略)さんはどのようなミッションをお持ちですか?

松岡:地方都市・福岡の未来を、建築や都市デザインの観点からポジティブな方向に持っていくことです。

福岡の未来を創る上で「私に何ができるのか?」を毎日考えています。私は福岡で生まれ育ち、経営する会社も福岡の中心である天神にあり、今行っている仕事もこれからの福岡や天神に関わる仕事が多いです。福岡は世界に2つと無いユニークな都市ですし、福岡の地理・風土・歴史を最大限に活かした、魅力的な都市づくりに貢献したいと思っています。

そして福岡が魅力的になりつつ、他の地方都市がそこから良い影響を受けて、オリジナルな都市文化が深まっていくことを目指しています。そのような福岡の可能性をお手伝いすることが私のミッションです。

今の時代は課題が複雑化しているため、ミッションを実現する上で一人や一社だけで解決できることはほとんどありません。それは私たちの社会がある程度成熟したからでもあります。だからこそ協働が重要になってきています。

三者での共同研究と街への還元

記者:「地方都市である福岡の未来を、建築や都市デザインの観点からポジティブな方向に持っていく。」という夢を具現化するために、どんな目標や計画を立てていますか?

松岡:今年から取り組んでいるのは不動産会社と建築設計事務所、九州大学の三者での共同調査研究です。そしてその研究結果を街へ還元していきます。建築と不動産の間に”都市デザイン”の視点が入ることで包括的な取り組みになります。

三者で行うことが人づくりにも繋がります。専門職の社員や学生などが交わり関わることで、多様な視点が養われ、知見を得ることができるからです

文化創りに繋がる・真の自由を考える

記者:松岡さんは現在どのような活動指針を持って活動していますか?

松岡:今の日本社会に懸念を感じるのは、長いスパンを考えて文化を創るよりも日々の消費に追われているのではないかということです。それがおかしいと感じているにも関わらず、です。

建築家個人としてはもちろんですが、企業、設計事務所、NPOにおいての行いが、都市の文化を創ることに繋がるかどうかを大事にしています。「文化とは何か?」という定義そのものも問い続けながら、消費に流されず、人や街に対して価値あるものを提供しようとしているかが大事です。

また、真の自由とは何かを考えています。
「こうあった方がいい。」
「こうあるべきだ。」
と提言や発言することには、責任と自由が伴います。自由というのは素晴らしいことですが、同時にとても責任を伴うことでもあります。

父が50年前につくった会社を2016年に継いだとき、その歴史や重さに、発言することの責任を考え直すことになりました。そして立場が増え、職責が重くなったからこそ「自由とは何だ?」を考え始めました。

遡れば、アメリカの大学で教育を受けた環境は、設計のスキルを教えてくれる学校ではなく、
「その人が何たるか。」
「何を考えているのか。」
「何を建築に込めようとしているのか。」
「どんな課題意識があるのか。」
といったものを再確認していく場所でした。それを通して、自由とは何かを考えていました。

建築家を名乗る上で腹を括った

記者:そもそも「地方都市である福岡の未来を、建築や都市デザインの観点からポジティブな方向に持っていく。」という夢を持ったきっかけは何ですか?そこには、どのような発見があったのですか?

松岡:自分を「建築家」と名乗るにおいても自由と責任が伴います。一級建築士という国家資格はあっても建築家という資格があるわけではなく、建築家かどうかを諮る諮問機関もありません。そして「建築家という職能とは何なのか?」という問いに対して思想を持っていなければ建築家とは言えませんが、一級建築士という資格が思想を与えてくれるわけでもありません。

経験が浅いうちは建築家と名乗ることをおこがましいと思っていました。しかし、ある程度のキャリアが積みあがってきた時に、私が「建築家だ」と腹を括って言わなければ、私の後に続く人たちが建築家だと言えなくなってしまうと思いました。

「いつかは」と思っていても、その”いつか”が来ることはありません。大切なことは自分で決めないといけないのです。肩書きや立場は、自分で自分に対して課さなければいけないのでしょう。

記者:子供の頃から建築家を目指されていたのでしょうか?

松岡:両親、親戚ともに自営業ばかりで、子供の頃から会社員になるという発想がありませんでした。中学生のころ、資格を得るという視点で「弁護士という仕事はどう?」と父に聞いてみたところ、「素晴らしい仕事だけど、音楽やアートが好きなら、もっとクリエイティブな仕事が向いているのでは?」と言われました。

そんなある日、家に置いてあった本に「建築は総合芸術だ。」と書いてあり「面白そうだ!」と思いました。しかし、建築の設計を本当に仕事にしようと思ったのは随分後になってからです。ただ学ぶほど深く広い学問なので、日本で大学院修了後、アメリカに留学して学び続けました。アメリカでの大学院を終えて働き出したころ、「これで生きていく。」と思いました。

建築設計においては、客観的で冷静なふるまいも必要ですし、プロセスにおいてはゼネコンや職人さん、公的プロジェクトであれば市民など、多くの人に対してわかりやすく説明することも求められます。しかし、やはり無から何かを創るからには、分析力や情報収集力とは全く違う「なにか」が必要です。どうにも言葉にできないもの、それがクリエイションにおいてとても大切なものなのですが、それを自分が持っているかどうかはわかりませんでした。

記者:それでも建築をやってみようと思われたんですね。人によっては怖いから別の道をいく選択もあったと思います。

松岡:提案し、それが実現することで、人に喜んでもらえるのは素晴らしいことです。そのために考え抜くことはすごくいい仕事だなと思うようになりました。

自分で決める人生

記者:「建築家を名乗るために腹を括らないといけない。」という気づきの背景には、何があったのですか?

松岡:誰も生きたことがない人生を、自分で決めて生きていくという覚悟です。当たり前のことなのですが。別の表現をすれば、誰も書いたことのない原稿を書くようなものです。それを自覚的に生きる、ということでしょうか。型にはまらない人生を生きることは面白いですし、幸せなことです。

フィードバックがあること

記者:お仕事をされている中で一番うれしかったことは何ですか?

松岡:私の設計した空間を使う人からのフィードバックがあることです。モノを生み出していく営みは時間計算ができません。5時間頑張ったからとか3日感頑張ったから、ではなくて、もちろん図面を何時間で仕上げるとかはありますが、その手前の、まさに「生み出す」段階は物理的時間では測れないエネルギーを要します。その自分のエネルギーを投じてつくったものが、多くの人に喜んでもらえることが、私にとっての喜びです。

記者:”自分で決めた人生を生きたい”松岡さんがいらっしゃったからこそ、建築家を名乗る上で腹を括り「福岡の未来を、建築や都市デザインの観点からポジティブな方向に持っていく。」という今のミッションにも繋がっているのですね。

松岡さん、今日は本当にありがとうございました。

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編集後記

今回インタビューの記者を担当した吉田&新原です。

1つ1つの言葉にとても重みを感じ、常日頃から自身との対話をされているだと思いました。インタビュー場所のオフィスはとても素敵な空間で、落ち着いてお話を伺えました。これからの混沌とする時代に、自らの哲学を持ち、福岡の未来に貢献される方だと思いました(吉田)

お話を伺い、松岡さんは誰も生きたことのない人生のストーリを自分が決めて描く、という自由を心底楽しんでいるように感じましたし、さらに、その自分が創作したストーリーにも囚われないし留まらない、どこまでも自由な心を持っている方だと思いました。松岡さんが描くこれからの福岡にワクワクしました。(新原)

今後の更なるご活躍を期待しています。

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この記事は、リライズ・ニュースマガジン“美しい時代を創る人達”にも掲載されています。


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大学卒業後、SEに。ITが進化し続ける中、人間の存在意義を模索するようになる。その中で出会った「人間を苦しくさせる感情を手術する技術」との出会いが人生の転機となり、今に至る。 https://www.facebook.com/jun.yoshida.3745
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