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屋台を始めて約3年 桜新町で2年


屋台を始めて約3年が経ちました。桜新町にきてからはちょうど2年になります。
noteの更新どころか振り返りも全くしていない私でしたが桜新町での屋台という現象をまとめてみようと思います。先に結論からいうと屋台を始めてとても良かったということです。
もちろんいろいろな出会いができたことの喜びもありますが、なにより私自身の居場所を作れたというのが大きいと思います。
では、屋台としての振り返りです。

地域のための屋台 (屋台構想時~初期)

 最初は地域の中に屋台があることで、地域活性化のツールになるのではないかと考えていました。もちろん居場所という側面も持っていたのですが収益化するには商店街など連携をして小さな個人商店のサポートになったり、新しい商品開発のお手伝いができるのではないかということです。
しかし、この思いは早々になくなりました。
 理由としては屋台に遊びに来てくれる人たちは商店街や地域の常会・消防団などの加盟をしておらず地域に関わりを持っていない人たちだったのです。
 私が関わりたかったのはお金や仕事を持っている誰かではなく、なんのバックグランドの説明もいらない、純粋な人対人の関係だったことに気がつきました。今でも「この屋台は吉池君の家に遊びに来ているみたいだね」という言葉が心に残っています。

サードプレイスとしての屋台 (一年目)

 正直、サードプレイスといえるほど完成度は高くなかったかもしれませんが仕事でもなければ、家庭でもない不思議な場が桜神宮の宮内にでき始めました。小学生が遊びに来ることもあれば、70代後半の方が訪ねてきてくれる日もある、また、酔っ払いが現れる日もあるそんな摩訶不思議な場所になっていました。屋台で出会った人たちが別の場所でお酒を飲みに出かけたり、街中であいさつをするような関係性が屋台発信で生まれていったのはとても嬉しかったです。

コミュニティとしての屋台 (現状)

 屋台を始めて一年もたつと状況が少しづつ変化をしてきます。それは常連さんたちのコミュニティ化です。今までは何のバックグラウンドもなかった人たちにも拘わらず関係性ができ始めると「この前は〇〇だったよね」といったような何者かになってきてしまったのです。
これは悪いことばかりではなくこのつながりが濃くなることで、桜神宮でマルシェを開催したり、地域のお祭りに常連さんたちが総出で参加したりととてもうれしい動きもありました。
 しかし、そういう雰囲気を感じて足が遠のいてしまった人がいるのも事実ですし、私もコミュニティの中心付近にいることが楽しくて周りをみえていなかった時期があると思います。

無縁所としての屋台 (未来)

 無縁所とは中世の日本に存在をした場所で、主従関係や親族関係、財産など全ての縁を断ち切た多種多様な無縁の人たちが集まる場所や避難所の役割も持っていたといいます。海外などではアジールというものが似た存在として成立していました。

 もともと屋台は縁もバックグラウンドも関係ない人が集まれる場所をつくりたいと思い始まりましたし、どんな人でも自分の好きなことを好きだと言える場所、試すことのできる場所になればいいなと思い一日店長という仕組みを取り入れています。
 でも、今のコミュニティを否定するわけではありません。今のコミュニティはコミュニティで関係性を保ちながら、無縁所の要素も模索していくということです。
 対策としては
 ◆別の場所を作る・作ってもらう仕組みづくり
 ◆一日店長にもっと寄り添う
 ◆吉池のコミュニティと屋台のコミュニティをミックスさせる

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結論
 桜新町で屋台を始めた次の日に会田誠さん個展に遊びに行ったときに「快適なバラック」という言葉がありました。
 私の屋台はまさにそれだなぁと思ったことは今でも変わりません。しかしそれには解消しなくてはいけない問題が山のようにあるのも事実です。

 私は2年間の桜新町のでの屋台でかけがいのない体験やとてもうれしい体験をすることで私自身の居場所をつくりとても大切な仲間ができました。
 では、これからはどうするのか。
 やはりそんな経験をもっと多くの人にしてほしいと思います。私がこの2年間で経験してきた「いいこと」「悪いこと」「大切なこと」「大変だったこと」をまとめることで私の頭や行動も整理できると思いますし、屋台の現場に立つ人間側から支える側にシフトチェンジすることが三年目の屋台に繋がっていくのだと思います。

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