異世界で資本主義をチートする(後編)
前回は、田舎のおじいちゃん、おばあちゃんの土地がなぜあなたの家のものなのか、についてお話しました。
それは、あなたの先祖が皇族や貴族で、元領主で武士、武将だったからだ、ということでしたね。
しかし、結果的に「皇族で貴族で偉いから、したがってその土地はワシのものであーる」ということを主張するのはいいのですが、果たして本当にそうなのか?
というあたりをもう少し掘り下げていこうと思います。
戦国時代なんかは「俺は強いから、この土地はオレのものだ!」というまるでジャイアンのような理屈が通っていました。
そういう意味で実力主義で下克上だったので、実は戦国武将の中には「皇族、貴族の末裔ではない、よくわからないヤツ」も含まれていました。
たとえば、豊臣秀吉、徳川家康あたりは、マジで出自がよくわからないヤツの2代筆頭です。家康あたりは、あまりに先祖が怪しいので
「うちは皇室→源氏→新田氏→得川氏→松平氏だったのだ」
という系図を偽装したりしていますが、天下を取ったからには、好き放題だ、という感じでしょうか。
とまあ、一応はそれでも皇室の権威に配慮して、徳川氏が皇室につながるのだ、という演出をしているわけですが、それでもそもそも皇室の権威が低下したから戦国時代になってしまったのであって、「俺は偉いのだ。元皇族なのだ。元貴族なのだ」というだけでは、「土地の所有権」を正当に主張できるわけではなくなったという面があります。
というわけで、もう一つの側面に着目です。実は、あなたのおじいちゃんの先祖が、「その土地を自分のものだと主張できる論拠」が別にあるのです。
それが、かの有名な
「懇田永年私財法」(こんでんえいねんしざいほう)
です。これ、実は奈良時代・天平年間の発令なので、めちゃくちゃ昔です。
簡単に言えば、「土地を開発したら、お前のものと認めよう」ということですね。
それまでは、一応「土地は国家のもので、民に貸し与えているからその利子を税としてもらうぞ」という法律がありました。いわゆる「口分田(くぶんでん)」です。
しかし、不平等な土地が生まれたり、飢饉が起きたりして、人々がせっかくもらった田んぼを捨てて逃げ出したりすることがあり、このシステムはうまく行きませんでした。
ですから古代の朝廷は、「もう、自分たちで開発しちゃいな!」と丸投げしたわけです。共産主義から民主主義になったようなものです。
そうすると欲深い実力者は、どんどん開発を進めて、自分の土地を増やします。
そう、欲深い実力者って誰かって?
「地方に赴任した皇族や貴族の末裔たち」
ですね。彼らは金も人脈も持っています。ですから、日雇いの庶民を使って、どんどん新田開発をします。それが「荘園」のような個人所有の土地になってゆくわけです。
つまり、ここで大事なこと!地方に移動した皇族や貴族の末裔が、「自分たちの土地だ!」と主張するのは、「皇族で偉いから」という漠然としたものだけでなく
「法律にきちんと基づいて認められた、正当な土地の入手手段である」
ということなのです。これがわかっているから、江戸幕府になっても「元領主たちの個人の土地」を「すべて収奪する」ということができなかったのです。
法律に基づいてきちんとやっている、という建前ですから、皇室の権威を利用した徳川家としても、それを全部ひっくり返すわけにはいきません。せいぜい、「お、俺にだって権利があるからさ、なあ半分こにしようぜ」としか言えなかったのです。
(ちなみに薩摩藩だけは異なり、全部農民から土地を奪っています。なぜそんなことができたかと言うと、島津氏は鎌倉時代から明治までずっと薩摩を支配していて、それ以外のちっちゃな領主を全部滅ぼしてしまったからです。ついでに最後は明治直前に徳川家まで滅ぼしてしまいます。すごいですね。おそろしいですね。島津はラスボスです。)
さて、ここからおっそろしい話をしましょう。古代においても、資本主義の根幹というか、「資本そのもの」である土地を入手するには
最初から皇族や貴族の末裔である
という強大なチートツールが力を発揮していました。
それでは、土地を入手できなかったその他大勢というか、庶民はどうなっていったのでしょう。
答えは、みんなたぶん死んでる
です。家政婦もびっくりな「あらやだ、死んでる」ということが真相だと思われます。
家系をたどってゆくと、「この氏族は、古代の庶民の末裔かもしれないな」と思える氏族がごくわずかにいます。土地や地域の情勢や伝統文化に関わるなどいろいろな事情で、「あまり戦国領主と関わりがない」形で生き残ってきた希少な氏族ですが、確率でいえば0.5%以下のように感じます。
それ以外は、あるいは最初は庶民であっても、うまい具合に皇族貴族の家臣になったり、つながりをつくってそのグループに紛れ込んでいるものしか、おそらくは生き残っていません。
ということは、古代から中世にかけて
「うちは純粋な庶民の家系です」
という人たちは本当に少ない、ということです。婚姻などを通じて、皇族・貴族グループに入るか、あるいは宗教上の独立性などで、おなじ(あるいは近い)氏族だけが単一のまま維持されるか、特別な事情がない限りは
「庶民は死に絶えている」
ということが、浮かび上がってくるわけです。
それが明確にわかるのが、もう少し時代が近い「江戸時代」です。
「江戸時代の庶民は、あらやだみんな死んでる」
という話をしてみましょう。
せっかくですので、noteの記事を。
この方の論考以外にも、江戸時代の社会情勢を示した記事にはすべておなじような話が出てきます。
■ 江戸の男性の生涯未婚率は約50% つまり、子孫を残せるのは半分以下
■ 江戸時代の農村でも、長男(嫡男)の系統以外の未婚率は60%から70%。つまり、本家を継げる者以外は、途中で途絶えている
このことからわかるのは、現代の都市部での未婚化・晩婚化もそうですが、
「土地など資本を持っていない庶民は、代を重ねるごとに死に絶えている」
ことです。
私たちのおじいちゃんの家が田舎にあって、土地やたんぼを持っているというイメージが万人に共通するのは、当たり前なのです。そうではなく
「土地を借りるだけだった水呑百姓や、土地屋敷を持っていない庶民は、もともと子孫がいない」
ということだったのです。ズババババーン!
(ちなみに一般に誤解されていますが、土地を持たない水呑み百姓は年貢を収める義務がありません。ただの労働者だからです。年貢を収める義務があったのは土地所有者である土地持ち百姓だけです。だから、土地のない農民は本当に非正規雇用のようなただの労働力だったということになります)
だからこそ、逆算すれば、これを読んでいる人の8割以上が、元皇族、元貴族の末裔だ!と宣言しても、まあ外さず当たっているわけですね。だって、それ以外は死んでいて、これを読めないのだから。
さあ、2回に渡って異世界での資本主義を見てきましたが、結論が出ました。
異世界であっても資本(昔は土地・田んぼ)がなければ生き残れない
ということです。まあ、さすがに元皇族、元貴族という身分は、現在では無くなってしまったのでチート術としては使えません。
運営により使用禁止になってしまいましたが、やっぱり異世界でも、この世界でも「資本を持つこと、資本家になること」は必須ツールだったということなんです。
となると、誰がなんと言おうが、僕たち私たちは、「資本を持つ」ことに邁進するほかはありません。
そうしないと、あなたの代はいいですが、それでおしまいです。未来の歴史には、あなたは
途中で絶滅した者
として記録されることになるようです。ああ、恐ろしい。
↓ちなみに本編はこちらです。
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