吉原 啓

飲食店で働きながら日本古代史を研究しています。研究テーマは古代の地方支配・地域社会・生…

吉原 啓

飲食店で働きながら日本古代史を研究しています。研究テーマは古代の地方支配・地域社会・生業・地域史など。将来的には、飲食と人文学が結合した飲食店を経営したいと考えています。

最近の記事

自著論文等紹介「古代難波・住吉地域における生業と貢納」

吉原啓「古代難波・住吉地域における生業と貢納」(『万葉古代学研究年報』第16号、2018年) この論文は、7世紀末〜10世紀初頭の難波・住吉地域における漁撈を中心とした生業の実態について、『延喜式』や考古資料、そして『万葉集』などから検討を加えたものです。 その上で、難波という古代における一大交易拠点を控えた地域における漁撈が、社会的分業や律令国家の貢納体制の中でどのように位置付けられていたのか、そしてどのように変化していったのかを考察しました。 この研究は、歴史資料・考

    • 時代を貫いた古墳たち「上侍塚古墳・下侍塚古墳」(栃木県大田原市)

      古墳は、古墳時代に築造されたものでありながら、古墳時代以降の時代にも地域社会とともに存在したものがあります。 このシリーズでは、そうした古墳たちに光を当てていきます。 ※写真は下侍塚古墳 上侍塚古墳・下侍塚古墳とは上侍塚古墳・下侍塚古墳(以下、侍塚古墳)は、栃木県大田原市湯津上地区(古代の下野国那須郡)、南流する那珂川右岸の河岸段丘に立地する古墳です。 この古墳は、古墳時代前期に築造された後、千年以上の時を経て徳川光圀の関与によって発掘調査がなされた古墳として有名です。

      • プチ史資料紹介「大伴千室の歌と木簡」

        「プチ史料紹介」では、既に公開されている史資料で、筆者が気付いたことがあるものの、ちゃんとした論文にするほどではないもの、推測の域を出ないお話などを書いていきます。 ※写真は、吉野歴史資料館から「秋津野」候補地である御園地区(宮滝から吉野川をはさんだ対岸にある)を遠望したもの。 今回は、ある万葉歌が詠まれた状況を推測するうえで、一般に「二条大路木簡」と呼ばれる木簡群が手掛かりになるのでは?というお話をご紹介します。 なお、このお話は、筆者が奈良県立万葉文化館に勤めていた時に

        • 自著論文等紹介「奈良県立万葉文化館蔵『日本書紀』解題」

          吉原啓「奈良県立万葉文化館蔵『日本書紀』解題」(『万葉古代学研究年報』第18号、2020年) この解題は、奈良県立万葉文化館が所蔵する『日本書紀』(江戸時代の版本。以下、万文本)についてのものです。 『日本書紀』全巻の版本については、次のように言われています。 ①慶長15年(1610)の古活字版 ②寛永年間(1624〜1643)頃の寛永頃版本(①を一部訂正し、訓点・返り点をつけたもの) ③寛文9年(1669)版本(②の後刷本) さて、問題としている万文本は、刊記のない

        自著論文等紹介「古代難波・住吉地域における生業と貢納」

          自著論文等紹介「天武・持統・文武天皇の富本銭発行」

          吉原啓「天武・持統・文武天皇の富本銭発行」(『万葉古代学研究年報』第18号、2020年) この論文は、天武・持統・文武天皇三代の富本銭発行を、統治理念の表象とその継承という観点から考察したものです。 私はこれまで、富本銭だとか貨幣経済だとかを専門にやってきたわけでは全くありません。 この論文は、奈良県立万葉文化館に勤務していた歴史系研究員として、館の地下に眠る飛鳥池遺跡(飛鳥池工房遺跡)に関わる研究を、何か残しておかなければならないだろう、という使命感のようなものに駆られ

          自著論文等紹介「天武・持統・文武天皇の富本銭発行」

          自著論文等紹介「『正暦寺起縁』の基礎的検討」

          吉原啓「『正暦寺起縁』の基礎的検討」(『万葉古代学研究年報』第18号、2020年) この論文(調査報告)は、国立国会図書館が所蔵・公開している『正暦寺起縁』という史料について検討し、結果として、それが偽書であることを報告したものです。 論文は、上記のリンクでお読みいただけます。ただし、Web公開の許可がおりなかった画像が一部にあり、その画像をご覧になりたい方は、紙媒体の『万葉古代学研究年報』第18号をご覧ください。 調査の経緯私がこの偽書の存在を知ったのは、奈良県立万葉文

          自著論文等紹介「『正暦寺起縁』の基礎的検討」

          プチ史資料紹介「那須国造碑」①基本情報編

          「プチ史資料紹介」では、既に公開されている史資料で、筆者が気付いたことがあるものの、ちゃんとした研究誌に投稿するような内容ではないもの、推測の域を出ないお話、ただ単に好きで紹介したいものなどを書いていきます。 那須国造碑(なすのくにのみやつこのひ/なすこくぞうひ)は、栃木県大田原市湯津上にある笠石神社の御神体として奉斎されている、飛鳥時代の石碑(国宝)です。 この石碑には、持統3年(689)に那須国造(国造はヤマト王権の地方官。地方豪族から任命)であった那須直韋提が評督(後

          プチ史資料紹介「那須国造碑」①基本情報編

          プチ書評 勝又基 編『古典は本当に必要なのか、否定論者と議論して本気で考えてみた。』(文学通信、2019年)

          本書は2019年1月に明星大学で開催されたシンポジウム「古典は本当に必要なのか」の成果をまとめたものです。 このシンポが開催された前提には、人文学、特に古典文学研究・教育の置かれた厳しい状況があります。この状況を打破するには、古典肯定派だけで古典の意義を論じるのではなく、古典否定派の論理にも耳を傾け、正面から反論することが必要だとして、このシンポが開かれたようです。 その内容をまとめ、当日のアンケート結果やYouTubeのコメントを収集し、さらにシンポのコーディネーターであ

          プチ書評 勝又基 編『古典は本当に必要なのか、否定論者と議論して本気で考えてみた。』(文学通信、2019年)

          古代史学芸員のススメ

          この記事では、文献史学の日本古代史(以下、古代史)専攻の学芸員が、地域博物館・資料館で採用された際に、古代史研究者としてどのように活躍できるのか、自身にとってどのような成長の機会があるのかについて、筆者の体験をもとにご紹介します。 筆者は、北関東の某県某市の資料館で5年間、学芸員をしていました。その5年間で、古代史以外の業務もたくさん担当しましたが、古代史関係の業務にも携わることができました。 そして、それらの古代史関係の業務を通じて、地域貢献・社会貢献ができ、筆者自身の研

          古代史学芸員のススメ

          日本古代史(文献史学)専攻で学芸員になった時の記録

          この記事では、博物館・資料館の学芸員としては珍しい文献史学の日本古代史(以下、古代史)専攻である筆者が学芸員になった際のことを、主に学芸員を目指す学部生・院生向けにご紹介します。 古代史専攻の筆者が学芸員になった時、業界関係者からは「天然記念物だ!」と言われるくらい、考古学でなく文献史学の古代史が専門であることが珍しがられました。 たしかに、学芸員の募集状況を見ていると、古代史を専門とする学芸員の募集は中近世史や近現代史専攻、何より考古学専攻に比べればかなり少ないと思います

          日本古代史(文献史学)専攻で学芸員になった時の記録