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白檀の香りと記憶の明滅

それは、パソコンの前で自動書記のようにつづられた物語だった(注:オカルトな話は出てきません)。編集者さんとの打ち合わせではエッセイを書くはずだったのに、いざ画面の前に座ってみると短編小説が生まれていた。

「OKOPEOPLE」で公開された「ながれながれて」のことだ。香りがきっかけとなった面白い体験だったので、小説のあとがき的に書いておこうと思う。

香りにいざなわれて物語の世界へ

お香の定期便<OKOLIFE>から「女郎花」という線香が届いた8月初旬だった。

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一本が燃え尽きるまでのあいだ執筆しようと決めてパソコンに向かった。香りで意識が切り替わるのか、心に一瞬空白が訪れる。

その次の瞬間、指先からキーボードを伝って主人公の言葉がするするとつづられた。白く光る画面に、情景が、登場人物が、淀みなく打ち込まれていく。

漫画家や小説家など物語を創る人が「登場人物が勝手に動き出す」ということがあるが、もしかしたらこんな感覚なのだろうか。私の経験や身近なモチーフが足場になってはいるけど、「いったいどんな展開になるのだろう?」と自分でも少しドキドキしながら見守った。

「打ち合わせと違う内容だけど……」と頭をよぎりはしたけれど、抗う理由はなかった。主人公の少女が、線香の香りに誘われて不思議な夢をみたように、私も未知の香りにいざなわれ、物語に身を委ねることにした。

仏像とお香、両方に使われる香木

この「女郎花」は、安息香の甘い香りの中に、藿香(かっこう)の華やかさ、カミツレの酸味のほか、様々な漢薬で調合された線香だ。一見軽やかで華やかな印象なのに、鍼みたいに深いところにズーンと働きかけるような、シャープかつ心地よい重さがある。

後で知ったのだが、フィジー産とインド産2種類の白檀を使っているのだそうだ。OKOCROSSINGのFacebookによると、フィジー産の白檀は軽やかさ・爽やかさが際立っており、女郎花とのイメージとある意味ピッタリ。

しかし、それだけだと軽くなりすぎる傾向がある為、インド産の白檀の力強さをいわば「重し」として使い、他の漢薬たちとのバランスをとっているという。あの意識の深いところに響くような重厚感は、インド産の白檀によるものなのかもしれない。

インド産の白檀といえば、仏像彫刻にも深く関係している木材だ。線香から立ち上った白檀の精が、私に乗り移って仏像にまつわる物語を綴った……なんてファンタジーにするつもりはないけど、そんなことを思わず想像してしまうような不思議な体験だった。

つづきはいつか「女郎花」に聞いて

仏師である夫が妙にあの物語を気に入っていて、「あの話の続きはないの?」とたまに聞いてくる。自分で書いたはずなんだけど、「……うーん、お線香に聞いて」としか今はいえない。

ただ一つ、後日談といってよいのかわからないが、小説公開後に、モチーフの一つとなった実家の土蔵の修復が決定した。己亥の年(2019年)の秋に突然始まって、菊が咲いている間に終わった。

ボロボロと剥がれていた土壁は土佐漆喰で埋められ、瓦も葺き替えられて随分とさっぱりした。修復後の土蔵は、前と同じ建物なのに、古い独特の雰囲気が薄れて別物に見える。

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そんな土蔵の周りに咲く菊を、晩秋に家族で愛でた。

菊の花はカミツレに似ているなぁ……あぁ、そういえば「女郎花」の原料の一つ、カミツレはキク科だったっけ、などと3歳の娘を追いかけたり土蔵を見上げたりしながら、「女郎花」の香りと物語のことをぼんやり思った。取り壊されなかった蔵の新しい姿に、話の続きを見た気がした。

実は、OKOLIFEの「女郎花」は、一本だけ残している。使い切るのが躊躇われて、今日までとっていたのだ。

いま一度、「女郎花」の線香を焚いてパソコンの前に座ってみようか。そうすれば、あの少女のその後や、尼僧と仏師のその後もわかるかもしれない。平安貴族が愛でた花という高貴なイメージから、「奥ゆかしさ」をキーワードに作られた香り「女郎花」。女郎花の花言葉は、「約束を守る」「はかない恋」。

生き方も立場も違う仏師と尼僧は、四季が一巡したあいだだけ人生が交差した。淡いながら温かく通うものがあった二人に、贈りたい香りだと思う。

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異国で生まれた香木と
記憶の断片とその明滅。

その間で掬い上げられず消えていった
星の数ほどの物語。

これも、その中のひとつ。

【連載】ほりごこち
仏像が日本にやってきてから1500年の間、御像の数だけあったであろう幾多のエピソード。仏像を造ったり修復したりする造佛所で、語り継がれなかった無数の話。こぼれ落ちたそんな物語恋しい造佛所の女将がつづる、香りを軸にした現代造佛所私記。
前回の記事:ながれながれて(前編)

【著者】吉田沙織
高知県安芸郡生まれ。よしだ造佛所運営。看護師と秘書を経験したのち結婚を機に仏像制作・修復の世界へ飛び込んだ。夫は仏師の吉田安成。今日も仏師の「ほりごこち」をサポートするべく四国のかたすみで奮闘中。
https://zoubutsu.com/

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