見出し画像

「熊野詣で日記③」 ~そもそも熊野古道とは何なのか~

3月20日


七時半頃起床。意外と二日酔いはなく、その後だらだらと本を読んだりして9時過ぎに活動開始。3畳半の部屋は思いのほか快適だ。

オリバーを起こしに行ったが彼はかなりの二日酔いのようであった。

私たちはモーニングを食おうと、喫茶店を探しにうろついて、通天閣のほうにある店に入った。

朝飯を食いながら、熊野古道のどのルートを歩くか、どこで寝るかなど色々とより詳細な計画を練った。

私たちは「中辺路」を往く。

熊野古道でも最もスタンダードなコースだ。

大昔には後鳥羽院、藤原定家、和泉式部なども歩いた。


中辺路のルートでは熊野本宮まで山の中を3日くらいは歩く。

そのことを伝えると、オリバーは急に不安そうになっていった。

「中辺路」の起点である紀伊田辺(きいたなべ)から熊野本宮までは約65キロの距離がある。ほとんどが山道だ。

最近の巡拝者は「中辺路」の途中にある「滝尻王子」という熊野の聖域の入り口まではバスでいくのが通例となっているらしいが、私たちは古(いにしえ)の巡礼の在り方を体験するため歩いていくことにしバスは使わないことにした。

距離としては「滝尻王子」までで約20キロである。オリバーはバスを使いたそうだったが私は黙殺した(笑)

そこから熊野本宮までは45キロという距離だ。

熊野の巡礼路沿いにはこの「王子」と名のつく場所がいくつもある。

調べてみると「王子」とは熊野参詣路における古来から神々を祀った小さな社、祠のようなところをいうらしい。


ちなみに、この「熊野古道」について、意外と知らない人が多かった。これから読み進めていただくためにも、熊野古道に関する簡単な説明が必要かもしれない。


熊野古道とは、紀伊半島に鎮座する熊野三山(熊野本宮大社、那智大社、熊野速玉大社)を参詣するために、古代から中世にかけて人々が歩いた参詣道のことをいう。


古来から熊野は「死者の国」と呼ばれており、鬱蒼とした、千古斧を入れない大森林地帯であった。

つまり木が鬱蒼としていることで「木の国=きのくに=紀ノ國」というのであり、年間降水量は3000mm。

人が容易に踏み入ることができないいわば秘境である。

大自然を仰ぐ古代の民たちが、この地に神秘を感ずるのは当然と言えば当然であった。

古事記や日本書紀に見られる神武東征の物語では、初代天皇のカムヤマトイワレビコこと神武天皇が熊野まで来たことが記されており、八咫烏(ヤタガラス)の案内でこの熊野の地から吉野まで向かったという。 また神仏習合がすすんだ中世から、ここは阿弥陀如来の浄土とみなされるようにもなる。

中世になり平安時代から鎌倉にかけては多くの法皇・上皇が熊野御幸(くまのごこう)を行った。 

また鎌倉時代には、踊り念仏で有名な時宗の一遍上人が熊野本宮大社の神(阿弥陀如来ともいわれている)から啓示を受けて、阿弥陀信仰を深めたことでも有名である。

実は私もこの旅に出ようと決めるまでは、「熊野」といっても紀伊半島の世界遺産ともなったかつての巡礼路といったくらいの認識しかなかったが、ここは古来からとても由緒のある地域なのだ。

熊野古道は京都や大阪から田辺に至る「紀伊路」、田辺から深い山中を分入って歩く「中辺路」、また田辺から紀伊半島の海沿いを歩き那智勝浦までいく「大辺路」、高野山から熊野本宮まで峻険な山々を超えて歩く「小辺路」、伊勢から熊野まで向かう「伊勢路」のことを総称していう。2004年には「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産にもなった。

ダウンロード (2)

先ほどすでに述べたように、私たちはもっともスタンダードな「中辺路」を歩くことにしたが、熊野本宮から先は舟で熊野川を降り新宮の速玉大社まで行くルートにするのか、もしくは大雲取越えという峻険な峠のルートを通って那智の滝までいくのかはその時の状況次第にしようということで保留にした。

旅の予定はあまり決めすぎない方がおもしろい。


私たちは、通天閣近くのレトロな喫茶店でゆっくりとモーニングを食べなが計画を練った。その後は、大阪観光とした。


18時にまたマサキらと天王寺で合流した。

奴らは今日もストリップを「観劇」しにいっていたのだった。


私たちは裏天王寺で飲むつもりだったが客が多く、結局はコリアンタウンの鶴橋へ行った。鶴橋では焼肉を食ったがCovid-19の影響で店は21時には出なければならなかった。

まだまだ酔っ払いたかった私たちは他の店を探してみたがどこも店が空いておらず、結局はコンビニで酒を買って、鶴橋のキムチ屋が立ち並ぶところの一角のテーブルに、近くの店からおまけしてもらったテイクアウトを広げ、そこで宴会をした。

帰ってきたのは夜11時半くらいだらしい。あまり覚えていない。私は一階の大浴場に入りにいった後から記憶がなかった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?