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「小学生のころ、何色の傘をさしてた?」

気持ちが落ち着かない今、私はどんなnoteが読みたいだろう?

そう考えてみて、「誰かの思い出話を読みたいな」と思った。インパクトのある出来事ではなく、日常的な思い出だ。

家族の行事、学芸会の役、買ってもらえなかったおもちゃ。あるいは、小学生のころ、何色の傘をさしていたか。

大人になってから知り合った人とは、そういう話をあまりしない。そういう話とはつまり、重要じゃない過去。

重要な過去を打ち明けてくれる人はいるが、使っていた傘の話をする人は少ない。私も、聞かれなければ言わない。


江國香織さんの『流しのしたの骨』という小説に、こんな場面がある。

主人公のこと子が、恋人と部屋にいるとき、

「小学生のころ、何色の傘をさしてた?」

と尋ねる。恋人に抱きついたまま。

その日は雨が降っていて、こと子は、子供の頃に使っていた傘を思い出したのだ。恋人にとっては唐突な質問だが、彼は「小学校、何年生のころ?」と誠実に問い返す。

そのあとのやり取りで、恋人が小学校一年のとき、紺色の無地の傘を使っていたことを知る。

私はこのシーンが妙に好きだ。相手の恋愛観や人生観より、小学生の頃さしてた傘の色を知るほうが、よっぽどグッとくるじゃないか。

別に、恋人じゃなくてもいい。友達でも、ほとんど知らない人でも。

誰かが「私はねぇ……」と持ち物の思い出を語り出したら、その人をより身近に感じ、好きになると思う。

自分とまったく違えば「わぁ、ぜんぜん違うね!」と楽しくなるし、自分と似てたら「わぁ、私も!」と嬉しくなる。きっとそう。

私はといえば、先日も書いたが、入学直後はピンク地にキキララがついた傘をさしていた。しかし、あるときキキララが消え、ただの無地になっていた。取り違えられた(あるいは私が取り違えた)のだ。

そのあとは、紺色にテディベア柄の傘。これは、当時できたばかりの雑貨屋さんで買ってもらった。

そういえば、ランドセルがカラフルになって何年経つだろう。昔は、赤と黒しかなかったのに。

この春高校生になった上の姪のときにはもう、色がたくさんあった。ということは、今の高校生は「ランドセルの色を選んだ世代」なのか!

中学生以降に出会った人と、「ランドセル何色だった?」って話ができるんだな。いいなぁ。

傘やランドセルの色なんて、その人の人生が伝記になったとき、真っ先にカットされるだろう。まったく重要じゃないエピソードだから。

だからこそ、そういう話を大切にしたい。


※私はコメント欄を閉じていますが、これを読んで、子供の頃に使っていた傘やランドセル、ほかの持ち物について語りたくなった方は、ぜひnoteを書いてください。「#何色の傘」をつけてくれれば、そのうち読みにいきます。



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