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10日間、何もしなかった

10日間、何もしなかった。仕事も日常生活も、一切の活動を停止して、ただただ「休む」ことだけをしていた。

すると、少しずつ、本当に少しずつだけれど、心と体が回復していった。

もちろん、今も「治った」わけではない。まだ不調の中にいて仕事もままならないし、元気だった頃の20分の1くらいしか活動できない。この文章だって最後まで書けるか自信がないし、書き上げるのに何日もかかるかもしれない。

だけど、ようやく「note書きたい」と思えるようになったから、リハビリがてら今日までの経過を記録しておく。

病気は個人差があるし、あくまで私の体験なので、誰かの参考になるとは思いません。あまり自分と重ねずに読んでいただければ幸いです。


■調子を崩した経緯

昨年6月に書籍を出版したあたりから、うつ症状を自覚するようになった。

原因はわからない。山小屋からライターという畑違いの転職、忙しさ、お金、夫婦関係など、さまざまな要因が絡みあってのことだと思う。

もともと私はうつ状態になりやすい気質で、「ときたま大きな精神的不調がやってくる生活」を20年ほど続けている。若い頃は精神科に通っていた。だからうつ症状への戸惑いもなく、「またか」という感じだが、慣れていても辛いもんは辛い。

忙しさにかまけて不調を放置しつづけ、ようやく近所(町田)の精神科を受診したのが10月のこと。しかし、処方された抗うつ薬は副作用の吐き気が強くて飲めなかった。いくつか試したもののどれも合わない。結局、投薬治療は断念した。

医師には「あなたが会社員なら『休職しなさい』と言うところです」と言われたが、新人ライターの私はせっかく貰えた仕事を手放したくなくて、生活を変えなかった。

2020年は札幌の実家で迎えた。年明け、夫は町田に戻り、私だけ札幌に残る。

1月は札幌で仕事をした。こっちで取材した記事もあれば、すでに東京で取材を済ませていたものもある。

※書いたものの一部。ほかにも書いてます。

仕事の合間に、20代の頃通っていた精神科を受診した。抗うつ薬が飲めなかったと話すと、睡眠剤を処方される。久しぶりに会う主治医は、「まずは寝てください、とにかく寝てください」としつこく睡眠をレコメンドした。

しかし、2月に入っていよいよダメになった。

書かなきゃいけないものがあるのに、頭が真っ白で何もできない。一日に何度も、発作的な悲しみに飲み込まれて泣いてしまう。

書けない。外に出られない。起き上がれない。お風呂に入れない。

廃人のように過ごしていると、両親によって病院に連れていかれた。


■抗うつ薬の点滴と、隣のベッドのおばさん

病院に行くと、主治医に「抗うつ剤を点滴しましょう」と言われた。服薬より即効性があると言う。

長いこと精神科に通ってきたけれど、点滴は初めてだ。今の私はそんなに悪いのだろうか。

初めて入る処置室の奥は、保健室のようにいくつかのベッドが並び、それぞれがカーテンで仕切られている。

点滴の針を刺されて30分ほどすると、薬の副作用だろうか、強い吐き気がしてきた。我慢していたが次第にひどくなる。ナースコールを押そうか迷っていると、看護師さんが様子を見に来た。吐き気がすると伝えると容器を持ってきてくれたので、そこに嘔吐した。

点滴は中止。針を抜いてもしばらくは気持ち悪くて動けず、ベッドで休んだ。

カーテン一枚隔てた隣のベッドには中年の女性がいて、看護師さんに「私、何日も眠れてなくてイライラしてるから、ほかの人に迷惑かけるかもしれませんよ?」と宣言する声が聞こえた。姿は見えないけれど、声の感じは50代か60代だろう。

女性はイライラした様子で何度も看護師さんを呼んでは、「お昼は病院のカフェで食べれるって言ったのに!」と騒いでいた。どうやら、看護師さんが「点滴が終わったらカフェに行ける」と言ったのを、女性が「点滴をしたまま行ける」と思い違いしたようだ。キャスターのついた点滴スタンドを所望するも却下され、怒っている。

様子を見に来た旦那さんに、「隣の女の子、きっと看護師さんの娘さんよ。具合悪いって言ったら看護師さんが優しくしてるの。私には優しくしてくれないのに!」と言っていた。

傲慢だとわかっているが、なんだかその人が可哀想に思えて、居たたまれなくなった。

つらいだろうな。イライラして、どうにも感情をコントロールできなくて。私にもそういうときがある。私の知っている感情と彼女のそれが同一だとは言い切れないけれど、同情してしまう。

そろそろ大丈夫かと帰り支度をしたものの、またもや気分が悪くなり、トイレに駆け込んで吐いた。鏡に映った自分の顔が、幽霊みたいだった。


■何もできない10日間

帰宅後、すぐに眠った。点滴の効果か、目を覚ましてからも気持ちは落ち着いていた。

翌日、処方された抗うつ薬を飲んだ。副作用を考慮して、最初の1週間は通常の半分の量だ。飲むと少し吐き気がしたが、ほどなく治まった。

何もできなかったし、しなかった。

仕事はまだ残っていたものの、すでに編集さんには体調不良で遅れることを謝罪していた。新規の執筆依頼も断ってしまった。メールチェックと返信だけはなんとかやっていたが、それ以上のことは到底できなかった。

一日の大半を横になって過ごす。こんこんと眠り、目が覚めているときも布団でぼーっとしていた。

少し前までの荒れ狂っていた心は鎮まり、泣くことがなくなった。その代わり、何も考えられないし、何もしたくない。

本を読む気力はなく、テレビも疲れる。Twitterやnoteを見るのすら億劫で、気づいたら開かなくなっていた。

時間を持て余したときはぼんやりと動画を眺めた。数年前に友人宅でDVDを見たことを思い出し、モーニング娘。のプラチナ期のMVを見てみた。特にファンというわけではなかったが、見ていると少し気分が上がった。あとは、メイク動画や犬の動画を見ていた。

そうやってゴロゴロと過ごしているうちに少しずつ、「あれ、私ちょっと元気になってきたかも」と思う瞬間が出てきた。


■外に出られた。そして……

服薬を始めて11日目。自然と「外に出てみよう」という気分になり、近所のレンタルビデオ屋で漫画を借りてきた。

あの点滴以来、外に出たのは初めてだ。自分から何かをしようと思ったのも。

帰宅したら新しい仕事の依頼が来ていて、取材の必要がなく〆切に余裕のあるものだったので受けた。

その翌日、病院に行くと主治医から「少し元気になってきてるんじゃない」と言われた。

私もそう思う。少しずつ、回復している。

けれど、少し動けるようになったことで「早く仕事復帰しなきゃ!」と焦ってしまい、苦しくなって寝込んだ。感情が戻ってきたぶん、焦燥や不安も感じる。

いつもそう。回復期に入っても、右肩上がりに調子が良くなることはない。三歩進んで二歩下がりながら、時間をかけて回復していく。

私はそろりそろりと仕事を再開した。ここで焦って頑張ってしまったら、きっと症状が悪化するだろう。無理のないように、少し書いては休む。疲れたらすぐに寝る。

頑張らないことは意外と難しい。社会から離脱するようで不安だし、何もできない自分を無価値だと思ってしまう。

だけどきっと、これが回復への最短ルートだ。

もどかしいけれど、焦る気持ちをコントロールしていきたい。


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