就活、夜の駐車場、皮肉屋の友人がくれた肯定
「この学校は社会不適合者の養成所だからな」
そう自虐的に笑った同級生はたぶん、自分の発言が笑えないほど的を得ている事実を知らない。
文芸や演劇を学ぶ、つまりは就職に直結する知識を何ひとつ学べない専門学校で、就活しているのは(私を含む)わずか数人。10人中9人が、卒業後の進路を「フリーター」と答えた。
四年制大学に通う元彼にその話をすると、「芸術系の学生の、自分が何者かになれると思ってる感じがムカつく」と言われたが、夢を追うために就職しない学生は少数だ。ほとんどは、「就活ってなんか怖いし、やってもどうせ無理だろうから」とその道を避けた。
就活をしなかった人には、「もしも就活をしていたら、ちゃんと就職できていた。自分がそれを選ばなかっただけ」と思う余地が残されている。
だけど、私は知ってしまった。
どんなに就活本を読み込んでも、真面目でやる気のある若者を演じても、選ばれないこと。自分がどの会社からも「不要」と判断されていること。
現実なんて気づきたくなかった。永遠に自分を買いかぶっていられたら、きっと傷つかなかったのにね。
■就活生がほとんどいない学校で、手探りの就活を始めた
学校は3年制で、最終学年になった私は就活を始めることにした。
作家志望だけれど、卒業までに作家になれるとは思えない。なんとなく、バイトしながら小説を書くより、正社員として働きながらのほうが良さそうだと思った。
もちろん、人生設計なんてない。
現代詩の授業中、先生に「何歳で結婚して、何歳でマイホーム建てて……ってぜんぶ計画立ててる人がいたらどう思う?」と聞かれた友人が「キモいと思います」と答えたとき、先生は我が意を得たりとばかりに「でしょう!?」と大笑いした。ちなみに、先生の職業は詩人。何を言いたいかというと、私の周囲はそういう価値観の人たちばかりだった。
当然、就活の方法がわからない。(外部から来ている講師ではなく)常任の先生に尋ねてみたら、「さぁ、バイトから入って社員になるんじゃない?」と言われた。そのくらい、教員たちは就活に無関心だった。
結局、本やネットで知識を得た。リクナビからエントリーシートを送ったり、会社説明会に行ったり。
就活を知らない友人たちは、総じて無邪気だ。説明会のあと、リクルートスーツのまま学校に行ったら「キャリアウーマンみたい!」と囃された。皮肉かと思ったが、どうやら本気で、リクルートスーツとキャリアファッションの区別がつかないらしい。
今思えば滑稽だけれど、私はエントリーシートやリクルートスーツを知っているだけで少し、得意になっていた。みんなよりは「社会」に近いところにいると。
私はいつだって、「社会」に片思いしていた。
けれど、「社会」のほうは私を、ちっとも必要とはしなかった。
■どの会社も、私を選んでくれない
就活は難航した。
何十社受けても、筆記試験や一次面接で落とされる。そもそも、専門学校というだけで応募資格のない会社も多い。SPIの問題集を買って勉強したものの、数学がわからなすぎて、都内で会社員をしている兄に教えてもらった。
そのとき、リクナビの画面を見せて「この会社、今結果待ちなんだ」と言うと、兄は呆れたように言った。
「なんで創業30年の会社で社員の平均年齢が28歳か、考えたことある?」
考えたこと、なかった。
「えーと、今28歳くらいの人が新卒のときにたくさん採用したから?」
「そんなわけないだろ、もうずっと不景気だ。離職率が高いんだろ」
恥ずかしながら、そのときはじめて「離職率」という言葉を知った。
こんなにも、私は無知だ。就活のことなんて、世の中のことなんて、なにもわかっちゃいない。
集団面接で顔を合わせる他大学の学生たちはみんな、私よりずっと優秀そうだ。彼らじゃなくて私を採用する理由なんか、何ひとつないだろう。
そもそも、自分が就活に苦戦するであろうことは予想していた。
優秀な兄と姉ですら苦労したらしい就活。そんな怖ろしいものを、この私が軽々クリアできるはずがない。内定が貰えないのも、「そりゃあそうだよな」と思う。
それでも、どの会社からも不要と言われ続けると、心が削られていく。
わかってたもん。社会から必要とされてないって、わかってたもん。
そうは言っても本当は、どこかで期待していたんじゃないか。優秀でも大卒でもない私を、誰かが選んでくれることを。
■「お前の良さがわからない会社なんて、入らなくていい」
内定を貰えないまま、いくつかの季節を過ごした。
堪え性がなく、早急に結論を出しがちな私は、すっかり「自分は無価値な人間だ」と落ち込むようになった。
ある日の夜、何かの用事があって友人と電話した。10代の頃に出会った、地元の男友達だ。友人は私より2つ年上で、就活を経験せずフリーターをしていた。
自宅アパートの駐車場。車輪止めのブロックからブロックへ渡り歩きながら、私は就活がうまくいかないことを話した。
「わかってはいたけどさ、やっぱり内定出ないとキツいね。社会から戦力外通告されてる感じ」
すると、皮肉屋の友人は、いつものニヤニヤと皮肉めいた口調を崩さず言った。
「お前は面白い人間だよ。お前の良さがわからない会社なんて、入らなくていい」
ブロックの上で、ぴたりと立ち止まる。見上げた月がきれいだ。
あぁ、ようやく。
ようやく、肯定してもらえた。
心地いいだけの、何の解決も促さない言葉だとわかってはいる。
けれど、いっとき心地よくなることの何が悪い。肯定の毛布にくるまって休むからこそ、また就活レースを走ることができる。
この数か月で磨り減った、「自分のままでいい」と思うことの健やかさ、安心感。友人の言葉で、それらを取り戻すことができた。
それからは不採用になっても、「この会社は、私の良さがわからなかったんだ。それなら入社したところでお互い幸せにならないし、落ちてよかったな」と思うようになった。
自分がダメなんじゃなく、企業とマッチングしていないだけ。そう思うことで、メンタルを保つことができた。
それからさらに数か月後。
ようやく、ようやく内定を貰うことができた。
■今になって気づいた、あの言葉から学ぶべきこと
しかし、苦労して入社した会社を、私はわずか数か月で辞めてしまう。
私は、圧倒的に会社勤めに不向きだった。たぶんどの会社でも、貢献する前に辞めてしまっただろう。私を採用しなかった会社は賢明だ。
その後は長いフリーター生活を経て、今はライターをしている。同世代の平均年収に達した時期は一度もないが、なんとか自活できているし、わりと楽しい。
あの夜、電話越しに友人がくれた言葉を、折に触れて思い出す。
当時の私は、その言葉に救われた。だけど未熟すぎて、その言葉を「役立てる」には至らなかった。
今なら、あの言葉からもう少し学ぶことがある。
「お前の良さがわからない会社なんて、入らなくていい」
それは、逆に言えば「お前の良さがわかる会社に入れ」となる。
私の良さとは、具体的になにか。それを役立てられて、且つ私自身も苦にならない仕事。それを実現できる会社とは、いったいどんな会社だろう?
私は、それを考えるべきだった。
何十社と受けたのに、私はどの会社のこともちゃんと知ろうとしていなかった。自分を選んでくれるならどこでもよくて、その会社で働きたい理由も熱意もなかった。
「選ばれない」と嘆くばかりで、じゃあ、私はその会社を「選んだ」と言えるのか。向き合ったと言えるのか。
就活から何年も経った今は、そんなことを考える。
仕事がうまくいかないとき、友人の言葉を思い出す。
今の私は、その言葉をただの負け惜しみに使わない。かつて毛布のように私をつつんだ言葉は、進むべき方向を理解するためのコンパスに形を変えた。
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