一緒に暮らしていたあの頃を思い出して。
第一志望の大学に合格したよ!
北海道で働くことになったよ!
結婚することになったよ!
私にも子どもが生まれたよ!かわいいよ!
直接は伝えられなかったので、この場を借りて
一緒に暮らしていた、おじいちゃんおばあちゃんへ。
わたしと祖父母
私の地元は福井県。
そのなかでもかなり田舎の田んぼと山に囲まれた家。
生まれた頃の記憶はもちろんありませんが、物心ついた頃にはおじいちゃんおばあちゃんがいつも家にいて、私たち姉弟の面倒を見てくれていました。
学校から帰ったらいつも家にいて、習い事の送り迎えをしてくれて・・・
そんな家が当たり前でした。
おばあちゃんはかつて学校の先生をしていたので、それなりに厳しかったのを覚えています。
といっても、靴を揃えなさいとか箸はちゃんと持ちなさいとか、宿題してから遊びなさいとか。
そんな当たり前のことを言われて育ちました。
(当時は「うるさいなぁ、どうでもいいじゃん…」と心の中で思っていましたが、今となっては感謝しています。)
また、私が勉強を好きになったのは、きっと祖母の影響が大きいと思います。
覚えていないこともたくさんありますが、何でも教えてくれたのは祖母だった、と母からも聞きました。
祖父は物静かでしたが、優しい笑顔がとても印象に残っています。
あぁだめだ、これは泣いちゃうやつ。笑
・・・ここまで書いてしばらく書くのをやめていましたが、続きを書こうと思います。
祖父母との別れ
祖母は小学6年生のときに、祖父は高校1年生のときに亡くなりました。
祖母は、入退院などはなく何かの検診で病気が見つかり、そこから1,2年で亡くなってしまいました。
一方、祖父は私が幼いころから入退院を繰り返していたので、よく家族でお見舞いに行っていました。もともと腎臓が悪く、最後は人工透析を行っていて、たしか腎不全か何かで亡くなりました。
ずっと元気だった祖母が弱っていく姿を見るのは、子供ながらにつらかったです。それもあってか、祖母が亡くなった日の朝のことは、とても鮮明に覚えています。
家族もですが、親戚一同が「病気がちだった祖父の方が先に…」と思っていたようで、みんなが驚いていたのを思い出しました。(失礼…笑)
ちなみに曾祖母は中学2年生のときに亡くなったので、小6~高1までの5年間で一緒に住んでいた家族3人とお別れしました。当時はあまり現実味がなく、お葬式でも泣かなかったけど、今思い出すと泣けてきますね。
ひ孫、見せたかったなぁ。
ちなみに母方の祖父母はまだまだ元気!
なかなか会えないけど、100歳まで生きて欲しいなぁ。
写真が田舎すぎる笑
…しんみりしちゃったけど、今私はとっても幸せに生きています!
もう直接話すことはできないけど、きっと見守ってくれているんだと思います。
これからも見守っていてね。
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