ネズミ色のソラ 1

カチ…カチ…カチ…
時計がなる音が部屋に響き渡る。

朝の静寂に鳴り響く時計の音はまるで部屋に誰も住んでいないような錯覚を引き起こす。

今日も寝坊している母を起こさないように、目が覚めているのにも関わらず静かに布団にくるまる長女の美里亜。
兄の克哉はイヤホンをしながら布団の中でオンラインゲームを楽しんでいる。

時刻はすでに九時を回っている。
二人の兄弟は今日も部屋の中で一日を過ごす。梅雨が明けた東京の青空は、掃除がされていない水垢に汚れた窓からは鼠色に見えていた。

「いつまでもゲームやってんじゃねぇよ。」
部屋に母の裕美の声が響き渡る。
タバコの吸殻や発泡酒の空き缶に汚れた机の上にはカップラーメンが置かれていた。麺はすでに伸び、汁はほとんどなかった。お湯を沸かしていたのであろうヤカンはいつ洗われたかわからない。
カップ麺の上に置かれている割り箸は、何度も使われているようで箸の両端には茶色い染みがある。
妹の美里亜はその味噌ラーメンを屈託のない笑顔で頬張っている。
「お母さんの料理はいつも美味しいよ。」
5歳の彼女は生まれてこの方、母の手料理を食べたことがないのだが、彼女はお母さんが作る料理が好きだった。
母は子どもたちの姿に目を当てる事もなく、化粧台の前に座る。そして、携帯で友達に電話を掛けながら身支度を済ませるのだ。

身支度を終えると、
「金置いておくから昼飯買えよ。」
誰にでもなくそう告げると家を出た。
自転車を漕いでパート先のスーパーに到着した。
「太田さん、この間はありがとうね。今度はいつにしようか?妻には本部の同僚と約束があると言っておくから。」
「えー、じゃあ今週末は?」
「いいよ。いつもの居酒屋でね。」
裕美はスキニージーンズに制服のシャツを着て今日もスーパーのレジに立つ。
頭の中に考え事は何もない。ただ目の前に来た客が持つ籠の中の商品のコードを読み取り、会計を済ませるだけ。
唯一の楽しみは店長の優志と過ごす昼休み。給料なんて必要ない。彼の存在が彼女の肉体を満たしているのだ。

優志は四年制私大の経済学部を卒業してスーパーに就職して二年目。店舗のあらゆる業務に丁度慣れた頃である。基本的にバックヤードで過ごしている優志は、スキニージーンズとシャツに隠しきれない裕美の豊満な身体にいつも釘付けであった。
優志が結婚したのはスーパーに就職してすぐの頃。飲み会で知り合った現在の妻、秀美といわゆる出来ちゃった婚だった。馴れ初めはともかく、夫婦生活は順調だった。
私生活に何の不満もない優志は、まさかパートの女性と不倫するとは想像さえもしていなかった。

だんだんと日が延び始めた四月のある日、レジ打ちの研修が一通り終わった裕美がレジのお金に手をつけた。二人はバックヤードで話し合うことになった。
「私がやった証拠があんの?」
足を組んで我が者顔で座っている裕美に優志は掛ける言葉が思いつかなかった。
「裕美さんってこの辺りの地元の人なんですよね?おすすめのお店とかありますか?」
並行線を辿る二人の会話に嫌気が差した優志は、話を変えて裕美がどんな人間なのか探りを入れたのだった。
「この辺だったら駅前の『くらがり』がおすすめだよ。あそこのうずら串がうまいんだよ。」
裕美は楽しそうに話し始めた。三度の飯より酒が好きな彼女は、とことん話し始めた。
「今度仕事帰り飲みに行こうよ。私が奢るからさ!」
優志は、信用が出来ない彼女をクビにしようと思っていたが飲みに行ってから決断しようと思い、自腹でレジのお金を調整することにした。
(まぁ、奢ってもらったらそれでチャラにしよう。)
「いいですよ。そしたら金曜日はどうですか?」
「金曜ね、いいよ。親に子ども見てもらうように言っておくわ。」

タイムカードに退勤を押した裕美は一足先に駅に向かった。日焼けサロンに入り、汗をかいた後、シャワーを浴びた。小麦色に焼けた彼女の肌はボディラインをより強調させていた。そして、ショッキングピンクの下着が彼女素肌の強烈なコントラスを演出していた。
パチンコ屋で時間を潰しているところに優志から連絡があった。
「裕美さんどこにいます?駅着きましたよ。」
彼女は香水を振りまき、パチンコ屋を後にした。

二人は駅前で待ち合わせ、店に向かった。大学時代、サークルの同輩や後輩たちからも頼られていた優志はしっかりと店の予約を取っていた。
「やるじゃん。ここ人気だから入れないかもってさっき思ったわ。」
裕美が言うと、
「これくらい男がやるのは当たり前ですから。それに紹介してもらって調べたら食べログで4だったので、こりゃ予約しなきゃって思ったんです。」
気遣いが出来る優志は、キンキンに冷えたジョッキに手を伸ばし、ビールの喉ごしを味わった。

「これこれ、おすすめなのー。食べて食べてっ。」
上機嫌な裕美はうずら串を手に持ち、優志の口元に運んだ。
「頂きますっ。」
差し出されたうずら串を優志は頬張り、にっこりと笑った。
裕美はうずらを食べている優志に上目遣いをしながら感想を待っていた。
「美味しいです!」
頬を赤く染めた優志は勢いよく裕美が待っていた言葉を届けていた。

一杯、二杯、三杯と酒が進むにつれて二人は色々な話をした。
「変なこと言ってもいい?……

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