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「褐色のサムライ」カーロス・ニュートンって覚えてますか?  "回顧録外伝”

いきなりこう聞かれても即答できる人は、かなりの総合格闘技ファン以外にはたぶんいないでしょう。日本で修斗やプライドの人気が盛り上がっていたころ、カナダから彗星のように現れてMMAのマット上で活躍、試合に勝つとカメハメ波のパフォーマンスを見せたり、日本語で勝利宣言したりして人気者となった総合格闘家です。

彼がMMAの世界で一躍、有名になったのは1998年6月に日本武道館で行われた「プライド3」での桜庭和志とのファイトです。互いに流れるような柔術の技の掛け合いを展開し、最終的に桜庭が膝十字固めで一本勝ちを収めましたが、互いにパンチの応酬で出血などという場面はほとんどなく、ほぼ15分間、華麗な柔術系のテクニックの連続で「プライド史に残る名勝負」の一つとされています。殴り合い、蹴り合い、倒した相手をマットに押さえつけての連続パンチなどというMMAの荒っぽいイメージを払拭した感じのこのファイトの後、女性の総合格闘技ファンが増えたとも言われています。

*全部で14分55秒あります。実況中継は英語。

前置きが長くなりましたが、このカーロスはトロントに住んでいまして、私は彼が日本の総合格闘技界で活躍をしていたころからの友人です。日本での活躍と共にこちら北米でもUFCという世界最大のMMA舞台でも活躍し、絶頂期にはカナダ人ファイターで初めての世界チャンピオン(ウエルター級)になりましたが、次のタイトルマッチで不運な敗戦(ダブルノックアウト)を喫し、世界王者は短命に終わりました。

実は、私は若いころから弱いくせに格闘技系のスポーツが好きで、中学1年の時に体育の授業で柔道をやり、級友に投げられて右鎖骨を骨折しましたが、それにも懲りず、その後、いろいろな格闘技に首を突っ込んでは何らかの理由で続かなくなったというのがいくつもあります。剣道、空手、少林寺拳法、それからボクシングが日本にいた間の話で、どれ一つモノになったものはありません。カナダに来てからというか1991年にトロントに来て以来、ブラジリアン柔術(BJJ)まで始めて、もうこれは年齢的にも道場仲間(ほとんどカナダ人)が遊び相手をしてくれたという程度でしたが、BJJ は本当にいい運動です。全身汗びっしょりになって取っ組み合いみたいなものですから、あのころは痩せましたね。

プロ格闘家のカーロスもそんなおじさんの私のよい”遊び相手”になってくれました。格闘技が好きな人間は私が巡り合った人たちの範囲では、「いい奴」が多かったです。私はもう激しい運動はとっくにやらなくなっていますが、今でも昔のBJJ仲間とはフェースブックやインスタグラムなんかでつながっています。また、そのころ日本からワーホリで来ていた若者たちで体育会系の何人かを私がBJJ道場に引っ張り込んで、彼らがその魅力にはまっちゃって日本に帰ってからも続けているのがいます。彼らも皆、カーロスの親しい友人です。

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*これは6年ぐらい前、カーロスと私が軽くボクシングの手合わせをした時の写真です。この時、すでに彼は若いころから比べると体重がだいぶ増えていますが、相変わらず腕の太さはすごいですね。このころはもう現役ではファイトはしていなかったはずです。

カーロスも今は44歳。今でも時々、総合格闘技のセミナーなどで世界のあちこちに飛んでいくこともありますが、それ以外は主に自分のビジネス(建設・開発)に専念しています。

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*1年ちょっと前、私の初孫の1歳の誕生祝パーティーに来てくれたカーロス。彼の背中の男の子は彼の息子です。

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