望みを言わない人、望みを言えない人?

自分の望みを言葉で伝えない人は多い。
物言いたげな顔で、しかしそれを言葉にして伝えることはなく。
彼ら彼女らは笑顔を取り繕う。

彼ら彼女らは、何をどう思って自分の望みを伝えないのだろうか。

波風を立てたくないから?
面倒だから?
そこまで主張したい内容でなかったから?

その全てかもしれない。

だが、提案者は例えどのような異論であっても聞きたいと考える人の方が多いのではないだろうか。
異論のある本人の内心が波風立っていては意味がない。

しかし言葉にならなかったその望みを、直接尋ねることは嫌がられてしまうことも多々ある。
下手をしては、「私の意見に文句があるのか?」というようにとられてしまうことさえ。

いったいこのような時はどう尋ねれば良いのだろうか。

人はそれぞれの価値観を持ち、その差異は共に過ごすことで少しずつ理解を得られる。
地点Aに行く時、1人は安さを求めるかもしれないし、1人は時間の短さを求めるかもしれない。

どちらの主張も間違っていることはなく、どちらかに偏らねばならないことでもない。しかし、一方が望みを言わずにいれば、折衷案を出すことさえ叶わない。

仮に、1人の望みが、地点Aへ行くための確実性や安全性を削いだものだったとしたなら、もう一方はそれを諭すべきかもしれない。
しかし、言われなければ諭すこともできない。

私たちは言語を持つ生物である。

叶うかどうかはともかく、望みを口にするだけなら誰でも可能だ。
それが対人関係を悪くしてしまうかもしれない、というのはあくまで想像であり、実際に言わねばわからないことである。
そして事実、気まずくなってしまったとしても、それが、自分が望みを言ったせいかどうかはまだわからない。
もしかしたら言い方が悪かったのかもしれないし、その望みが相手の理解の範囲外だったのかもしれない。

自分の望みに理解を得られるか、得られないかは別として、自分の望みを言わなければ、少なくとも自分の内心には波風が立ってしまう。しかし言うことができたのならば、もしかしたら双方納得のいく結果になる可能性が残されるのだ。

私たちはもっと、憚かることなく望みを言っていいのではないだろうか。

相手の望みを聞く方法を考えずとも、素直に望みを言ってくれるような、そんな対人関係、社会になることはできないのだろうか。





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随喜之涙
3
葦の髄から . その日考えたことなどを書く。これは未来の私へ捧げるエンターテインメントだ。
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