精神的に病んでしまう方が病み続けてしまう原因を潰しても再度、病む理由。
Aさん「そう言えば、誕生日会ってどういう流れの事をやるんですか?」
ある新人スタッフさんがそう問いかける場面があった・・・。
そこから極々普通の事ですが、段取りの話が行われていった。
Bさん「山田さんが司会進行して・・・、」
Cさん「ケーキを準備している間、社員に場繋ぎの振りがあって・・・、
だから、あなたにも話が振られる可能性はあるよ~。」
Aさん「え~、まだ、入りたての僕には・・・心臓が・・・」
Cさん「それから・・・、」
その会話を聴きながら、僕はその場の会話が意味するメッセージ性に
何とも言えない居心地の悪さを感じてならなかった。
当たり前ですが・・・上記の話をそのまま段取りと考えるならば、
僕は司会進行をせねばならず・・・。
僕は社員に話を振らねばならず・・・。
社員はそれに対して、話さねばならず・・・。
全て台本通り、全て段取り通り・・・。
うん。
それがわかってるお客様達(ご利用者様達)はわかってるのに
その段取りに対していちいち、リアクションでも取るんだろうか・・・。
でも、これは極々普通のありふれたやりとり。
わかってる。わかっているから・・・
みんなに対して考えてもらう時間を作ったけど、言葉はかなり迷った。
別にそんなルールを定めた覚えもない。
別に僕が司会進行をしている横で誰かが
「いや!山田さん!俺がやりますよっ!」って言ったって問題ない。
というか、
ララホームと言う場所で自由を学んでいる皆を手前に
これは可能性を伸ばす思考、行動であって、
皆の今までの会話はなんだか窮屈な話である!
と気付いて欲しい・・・。
そう伝えた。
ララホームに来たばかりの皆は・・・
〇〇病(〇〇障がい)だから出来ません!
それを信条に、諦めているというよりはそれを言い聞かす為に、
それを自分自身で信じ込む為に、
ありとあらゆる出来ない、もしくは、やってしまう悪癖を
正当化する行動、言動を繰り返していた。
僕等がやったのはそんな仲間達に対して、
そうなの?
と聴き返し、寄り添い続けただけ。
出来ない事なんて証明する必要性もない・・・だって、
やらなければ、出来ないわけですから・・・、
そんな不毛な思考を、また言動、行動を繰り返すよりも・・・
どうすれば出来るか考えてみれば良い。
そして、
思いついたものをやろうとしてみれば良いだけだ。
自由。
そこにルールをつければ途端に自由さは失われる。
自由の中に身を置き、
あれ?〇〇病は▽▽出来ないって聞いたけど、
もしかしたら出来るのかなぁ!?
その一縷の光に対して、行動を取り続けてみれば良い。
心を楽にする名言に隠れた落とし穴①あなたのやりたいようにやれば良い!
しかしながら、前にも触れたように自由はとても残酷な部分もあります。
ルール化されたものがあるから、正しい!って思いながら歩める訳です。
〇〇病だから出来ない!とは言わなくなっても、
何故か前(以前、こっちに行きたいと言ってた方向)に
進むのを止める方々がいます。
そう言う方々と向き合わせていただくと、
根本的な精神疾患の原因とも取れるような思考が出てきます。
絶対に捨てたくない!と言ってる不自由が見えるんです。
〇〇病である事で出来ない!とは言わなくなったが・・・
多くの人が当たり前のように引っ掛かる様な当たり前の不自由だ。
それが上記の誕生日会の問答にも繋がる。
だって、私の中で決まってるんです!!!!
と言わんばかりに、マイルールを語って
悪癖を繰り返すんです。
この場合の悪癖は何かと言えば、社会に対しての悪癖というより、
自分自身の夢や、願いを叶える事を阻害するという意味での悪い癖。
こう決まってるんです!!!!
いやいや、決まってないよ。
いや!決まってるんですっ!!!
え・・・そうなの?・・・まあそう思うなら仕方ないけど・・・
何故決まってるって言ってくれないんですか!?
うーん・・・だって決まってないもん・・・。
いや!!!決まってるんですっ!!!!!!
あ~~~!人生終わったぁ~~~~~!!!!
みたいな・・・。
終わってないんだよなぁ・・・。
〇〇病だから出来ない!ってのはぶっ壊したのに・・・
〇〇障がいだから出来ない!ってのはもうなくなってるのに・・・
出来ない人でいたいんだなぁ・・・。
そういう感じ。
つらいのはあなたなのに・・・
つらいところに居たいような動きもあなたが取り続けるんです・・・。
抜けたいなら抜ければいいのに・・・。
シンプルでしょ?自由なんです。
不自由に苦しんでるのはあなたなんです。
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