第4話 僕を支えてくれる人。
自分のトップ画像にもしているこの画像こそが
2人で箱根を目指した証かなと思います。
自分の中で1番大きな支えとなったのが彼女です。彼女がいてくれたからこそ今の自分が居いると思っています。
第3話でも話したように自分は一人暮らしをしながら競技を続けてきました。
ポイント練習が終わると買い出しに行き、その後料理をする。もちろん時間なんてあっという間に過ぎていき気づけば23時。これが普通の生活でした。
そんな生活を変えてくれたのが彼女です。
ポイント練習、治療に行き遅い日は
美味しい手料理を作ってくれて、お風呂も洗って溜めててくれる。
自分にとっては当たり前でない環境だからこそ、とても幸せに感じました。
ご飯を作る時間が省けた分、ストレッチやケアに回すことができ陸上に集中できる環境へとなっていきました。
彼女も元々陸上選手でした。
全国大会にも出場する選手。
でも大怪我をきっかけにとても苦しんだ過去があります。
だからこそ自分が怪我をして欲しくない。
と言った気持ちがとても伝わってきました。
毎日のように言われた言葉があります。
無理はしないこと。痛いならやめる。治ればまたできるから。
そんな言葉でした。
自分にとって大きな心の支えとなった言葉です。
今までは故障が多かった自分も4年目は故障0を達成することができました。
次の写真が4年目にして初めて士別合宿に行けた時の画像です。
嬉しかったぁ。ご飯もめちゃウマだし!!笑
違和感が出ればやめる、そしてすぐに治してすぐに復帰する。
その成果が4年目は結果として出たと思います。
凄いと言えるものではないけれども、センスや力が無くても継続ができればそれくらいは出せると言うことがタイムとして出すことができたと思います。
2人の目標は箱根で活躍すること。
2人で絶対に達成しよう。
これが2人の合言葉でした。
自分は5区の候補選手でした。
筋力がある訳でもなく、適性もあるかよくわからず(笑)
でも中学の頃から箱根は5区と言い続けてきました。
5区はいくら速い選手でも登れない人は登れない。身長も関係ない。
なんか面白いなって思ってました。
速い人でも山を登れば負けるってなんか
カイジというか、強い人が勝てると言うわけじゃないってところが5区の魅力!!!笑
ギリギリまで監督が迷い、当日は後輩が走ることになり、
自分と美南海の目標であった
箱根で活躍することはできませんでした。
何としてでも達成したかった目標。
2人で頑張ってきたからこそ走りたかった。
それはみんな同じ気持ちだとは思います
でも自分にはまだ箱根路が残ってました。
9区の主将有馬への給水です。
給水は50mしか走れません。
でも自分にとってはこの50mが箱根です
彼女と頑張ってきた証が50m。
この50mだけは今後の陸上人生、絶対に忘れてはいけない時間だったと思います。
写真を提供してくださった方本当にありがとうございます!9区は全くなくて本当に助かりました🙇♂️
箱根を走り活躍し彼女に恩返しすることはできませんでしたが、2人で頑張ってきた時間は、見えませんが大切なモノです。
支えになる人や大切な人は、個人によって違うと思います。
ただ自分は一人暮らしという環境の中で
彼女という存在は誰よりも大切な存在です。
今回はどうしても書きたくて書きました。笑
何故かと言うと明日が引退レースでもある
守谷ハーフマラソンがあるからです🏃🏻♂️
自分が箱根ユニを着て美南海に見せれる
最初で最後のレース!
中央学院大学を着れるのも最後かなぁ
寂しいけど後悔の無いレースにすることが目標!!
明日は彼女も応援来てくれるので頑張ります!
次の新たな目標なんかも書ければなと思います。
長い話をお読み頂きありがとうございました🙇♂️
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