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空っぽの空の気 - The Wrong Girl

 根の生えた仔猫のような一日を過ごした。何もしていないわけではなく、胃に食べ物らしきものは入れた。詰め込んだ。大丈夫だ。息はしている。頭も動いているようだ。

 寒い。一日がとても冷たい。身体の芯から温度が低い。どこまで下がれば楽になれるんだろう。僕は根っこを剥がし、トイレに向かう。

 昼過ぎに電話がかかってきた。電話が鳴るのは一人しかいない。小さな島にある実家へ戻った彼女だけだ。彼女といっても、何か深い関係があったわけでもない。ただの友だちだ。友だち。懐かしい言葉に聞こえる。

「元気?わたしだよ」
―――うん、わかる、とりあえず元気
「ということは元気じゃないみたいね」
 彼女には、すべてお見通しだ、と思った。
「届いた?」
―――絵葉書?届いたよ
 毎月、小さな島の風景を葉書で送ってくれる。とても柔らかな水彩画だ。雨の日に届けられると、微妙に滲んで、さらに色合いが淡くなる。
「どうだった?」
 いつも、彼女は感想を尋ねる。
―――少しずつ変わってきた感じがする
「どんなふうに?」
 毎回だけど、質問をたたみかける彼女。
―――落ち着いたように思うよ
 電話口の向こうで彼女が頷いている姿が見えた。そんな気がした。
 忙しげに人々が動く、この街よりもずっと、君にはそちらの街が合っているんだよ、という返事を僕は心の底に飲み込んだ。あまり触れてはいけない事柄だと、二人のなかでは共通の認識になっている。灰色の空間で過ごしていると、罪の意識で自分の身体が溶けてしまうんだよ。
「そう……」
 そんな短い言葉に集約されていると思った。
「……たぶんね、生まれ育った、ここの時間がちょうど、わたしに良い感じ」

 僕もそう思う。彼女とは、この街で出会った。ほんの偶然だ。すぐに意気投合した。ただ、彼女には陰があった。しばらくして、その深く長い陰に気づいた。キェルケゴールが言うところの、死に至る病だ。同性の友人と楽しそうに、はしゃいているのが痛々しかった。表面だけのノリに合わせた付き合い。でも、直接は言えなかった。大学に2年と少しばかりいた後に突然、彼女は消えた。彼女は生まれ育った土地に帰っていった。完全に壊れる前の自分から逃げたんだと思った。それが正解なんだろう。何が正解? 誰にも分からないことだ。それしか選択肢がなかったのかもしれない。友人たちは残念がっていた。この街には二度と戻ってこない。そう、僕は思った。

 さようならをする前の夜に、いつものロックバーで声をかけなかったことを少し後悔している。こんな言葉で良かったんだ。あちらに行けば、うまく行くよ、それだけで充分だったような気がする。電話では話さない。話せない。言葉にはタイミングがある。

 しばらく、他愛のない話をして、電話を切った。また、来月、電話が鳴るだろう。話題は絵葉書のことだけど、それで構わない。繋がっているという実感があれば、それでいい。そのうち、電話がかかってこなかったら、それも彼女の選択肢だ。彼女が彼女らしくあれば、一番だと思う。絵葉書が、彼女自身のためなのか、それとも、この街に残った僕のためなのか、それは分からない。彼女にさえ分かっていないのだろうと思う。彼女と僕は、性別こそ違えど、似すぎていた。頭のなかにある精神という厄介なもので似通った部分がありすぎたのだと思っている。

 何を考えているのか分からない奴だな、お前、そんなことを同じ学部の知り合いに言われたことがある。そんなこと、自分でも分からないのに、他人に読み取れるはずもないよ、と返しかけたが、僕は黙って、彼の話を聞いていた。

 何をしたいのかさえ、分からない雑種の猫なんだから。

 彼が言ったのは、つい、先日だ。周囲の仲間は就職活動で忙しそうだった。僕は何もしていない。社会に出る執行猶予期間がなくなってきたんだな、と思っていた。まるで他人ごとのように感じる自分が不思議だった。就活モードへと一変した雰囲気に戸惑いもなかった。

 義務教育を終えて、それなりの高校へ行き、それなりの大学へ入った。そこに深い理由は皆無だった。ただ、雑踏に紛れて歩いたり、朝の電車に詰め込まれるのを、本能で嫌がっていただけだ。

 いったい、これまでに、何を学んだのだろう?

 何にも。独り言のように心で呟いた。カーテン越しに西日が差している。眩しい。ちっぽけな一人暮らしの部屋が陽光で溢れた。夕暮れが近づいている。冬の太陽は落ちるのが早い。

 もうすぐ、夜がやってくる。

 僕は、お気に入りの音楽をかけながら、もう一度、根の生えた仔猫になった。ベル・アンド・セバスチャンの曲が流れている。ムームに在籍していたギーザとクリスティンのジャケ写真。原題の深い意味には興味がない。「わたしのなかの悪魔」。なかなか、素敵な日本語のタイトルだ。

 僕は、そんな素敵を握りしめながら、深く、深く、根を伸ばした。やがて、複雑な根は部屋中を覆い尽くし、僕は動けなくなった。眠るのだ。明日の朝になれば何かが変わる。そんな期待なんてしていない。よけいなことを考える前に眠ろう。眠れば、自然と一日は終わっていく。たとえ、世界が変わらなくても、僕が変わらなくても、容赦なく時間はゆったりと、その秒針を刻んでいくだけだ。そして、僕は夜の闇に落ちていく。


BGM: Belle and Sebastian - The Wrong Girl

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