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素顔 8-3

 ある日、行きつけの店で飲んでいると、自分の隣に例の同郷の男が座りました。この男だけは自分が自信家になっても生理的に受け入れられず、話しかけられても視線を外して適当にあしらうだけでした。

 相変わらずつまらん男だな。こいつでちょっとは面白くなったらどうだ。

 男が自分の前に小さな紙包みを出しました。そこには煙草の葉がありました。煙草は飲まないので、と自分が答えると、煙草じゃない、と小馬鹿にするように男が笑いました。

 これは体にも心にも良い薬だ。

 自分は、へえ、と生返事をしました。体や心に良いものが人を面白くするはずがない。どうせろくでもないものだ。そう思いつつ、もし酒と同じ効果を望めて酒より安いのなら、と考え、値段を訊きました。生活をぎりぎりまで削って飲んでいるせいか、最近は体調がすぐれない日が増え、感情の浮き沈みすら気だるくなっていたのです。男はにやにや笑いながらその値段を耳打ちしました。掌に隠れてしまうほどの量でも、自分が手を出せる金額ではありませんでした。男が帰ると、やめときな、と店長さんに言われました。あれをやった瞬間は生まれ変わったように元気になるが最後にはあれなしでは生きられなくなる、と店長さんの知り合いを引き合いに出して説明されました。

 絶対に手を出すなよ。

 店長さんにそう警告されました。自分には酒があるから、と冗談っぽく答えると、酒も薬物だぞ、と店長さんが笑いました。酒も薬物。もしそうなら、自分は薬物依存症でした。この頃には部屋にいても酒を飲むようになっていました。酒を飲むとろくな文章が書けないから、とこれまでは小説を書くときだけ酒を我慢していましたが、今では酒を飲まなければ小説も日記も書けなくなっていました。しかし飲むことに集中するあまり、いつもひとりで陽気になり、へろへろになりながら書き進めた小説や日記は直視できるような品物ではありませんでした。自分は生まれ変わっていなかった。まさか小説と日記がその証拠になるとは考えもしませんでした。

 行きつけの店で飲んだ帰り、自分は電車に飛び乗りました。この日の最終電車でした。車内は鬼と悪魔で溢れ、酒のにおいが充満していました。

 自分はつり革を握り、座席の前に立ちました。自分の前には、自分と同じにおいがする家族連れが座っていました。自分と同い年くらいの男女と二人の膝の上に男の子と女の子がいました。こんな時間に家族連れを見るのは初めてでした。どこかで遊んだ帰りにしては荷物が見当たりませんし、外食の帰りにしても子供を連れてこの時間まで飲食していたとは考えづらいものがありました。もしかしたら、これからどこかに向かうのかもしれない。それなら合点がいくと思いました。

 最初は騒いでいた子供たちでしたが、駅を出ると電車の揺れに眠気を誘われたのか、次の駅に着く頃には眠っていました。まわりがいい年の酔っ払いや派手な身なりのせいか、この家族が地味に映りました。実際のところ、親も子供も地味で淡泊な顔立ちをしていました。男と女はその顔に弱りかけの線香花火のような微笑みを浮かべ、子供たちの顔を見たりお互いの顔を見つめたりしていました。

 ふと男と女が自分を見ました。自分は泣いていました。

 自分は、すみません、というのが精一杯で、ずるずる鼻をすすり、なんとか涙を止めようとしましたが、ほろり、ほろりと頬を伝うのでした。自分はこの家族の美しさに感動したのです。自分の前にあるのはありふれた幸せでしたが、鬼や悪魔や酒で汚れたこの空間では戦火に咲く一輪の花のような儚い美しさがありました。これが幸せなのだ。そう思うのと同時に、自分には叶わないものだと痛感しました。誰かを愛さなければ、この幸せは手に入らないのです。自分は鬼も悪魔も、そして自分と同じ人すら愛せなくなっていました。自分には、自分を曝け出せる心の拠り所が酒しか残っていなかったのです。

 生きても地獄、死んでも地獄、それなら暗闇の中でひとりの方がいい。怯えて生きるのは、もう疲れました。自分は、死のう、と思いました。

 駅を出てから死ぬ方法を考えました。いろいろと方法を考えるうちに、死ねたらそれでいい、と思うようになり、近所のマンションから飛び降りることにしました。実行日は三日後の早朝と決めました。夜が明けるときに自分は闇に向かう。どうせ死ぬなら洒落のひとつくらい残したいと思ったのです。遺書は実行日に書くことにしました。その方が少しでも嘘を減らせると考えたのです。

 実行日の前日、その日は土曜日でした。最後の晩餐として飲みに出かけようかと考えましたが、最後だからこそ普段どおりに過ごそうと思い、一日中部屋にいました。自分が最後の晩餐として選んだのは酒と少量のつまみでした。酒やつまみ、使う食器まで貯金をはたいて高級品を買いましたが、その美味しさや美しさに浸れたのはほんの数口で、慣れてしまうとただの酒でありつまみであり食器でした。すっかり酔っ払うと、自分は好きな音楽を聴きながら今日までの人生を振り返り、ひとりで泣き、ひとりで笑いました。思い出に浸るときの酒と音楽ほど心を揺さぶるものはないと思いました。

 翌日、自分は携帯電話の着信音で目が覚めました。全身が重く、頭痛がして、部屋の酒臭さで吐きそうなほどひどい二日酔いでした。天井は明るく、陽射しのぬくもりから朝ではないことを知りました。自分は、せっかくの休日に、と小言を洩らしながら電話に出ました。相手は祖母でした。自分の名前を確認する祖母の声は首を絞められたように細く、どうしたの、と自分が訊くと、しばらく鼻をすする音しか聞こえませんでした。

 じいちゃんが、死んだ。

 砂のようにざらざらとした小さな声でした。自分は、えっ、としか言えませんでした。悪いけど今すぐ帰って来てほしい、と祖母に言われ、わかった、と即答しました。今の祖母に詳細を訊くのは酷でした。ただ、わかった、と答えたあとで、昨夜の晩餐で貯金を使い果たしたこと、そして今日自分が自殺しようとしていたことを思いだしました。しかし、自分の死はいつでも叶うから、と自殺の二文字をかき消し、祖母に帰りたいけれど金がないことを伝えると、お金は出すから、と言ってくれました。翌日、自分は実家に帰り、葬儀の準備で忙しい親と憔悴した祖母、そして祖父の亡骸と対面したのでした。

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