見出し画像

【豆を煮るに 豆の豆がらを焚く】

 ── 兄弟や仲間が互いに傷つけあうことのたとえ ──

 「三国志」に登場する魏(ぎ)・呉(ご)・蜀(しょく)の三国。
 この三国のうち、最終的にな勝者となったのは「乱世の奸雄(かんゆう)」(世の中が乱れるほど力を発揮する男)とうたわれた曹操(そうそう)が率いる魏(ぎ)の国であった。

 曹操(そうそう)には文帝と東阿王という二人の息子があり、曹操(そうそう)が死んだ後、文帝が皇帝となって魏(ぎ)の国を治めていくのだが、文帝が皇帝の位についた当初は、まだ魏(ぎ)の天下がどうにか確定したばかりで、魏(ぎ)に仕えるのはどうしても嫌だという残存兵の集団もあちこちにいたばかりではなく、積極的に魏(ぎ)にたてつく集団も数多く残っていた。
 そのため、文帝は、政治よりも、軍隊を引き連れて戦いに臨む日々を送らざるをえなかった。
 こんなとき、兄弟が助け合えばいいのだが、なかなかそうはいかないのが現実である。

 兄の文帝のほうは根っからの軍人タイプで、いくさに行かなければならないとなると張りきって生き生きとしてくる性格なのだが、弟の東阿王のほうは、血を見るのが何より嫌というやさしい性格。美しい風景を見たり詩を作ったりしていればごきげんな、つまり根っからの芸術家だったわけだ。実際、そのころから詩人として活躍してて、今でも有名な詩がたくさん残っている。
 だが、世の中が血生臭いときには詩人は生きにくい。逆に、水を得た魚のようになるのが軍人である。

 文帝からすると、自分が天下平定のために戦いにあけくれているのに、弟は心静かに詩を詠み、音楽を奏でたりしている。なんだか自分ばかりが汚い仕事をおしつけられているようで、おもしろくない。
 生きるか死ぬかの戦いが続いている中では詩など邪魔なだけだし、平和なときだって詩人なんか役立たずのごくつぶしでしかない。と、それくらいにしか思ってない。もっとも文帝の場合は、いくらいい詩を聞かされたところで、それを味わうだけの鑑賞眼もどうやら持ち合わせていなかったみたいだが。
 そんなこんなで、弟がだんだんと憎く思えてくる。

 そしてついに堪忍袋の緒が切れ、兄は弟を捕らえて死刑を宣告した。
 「この忙しいときに自分だけのんびりと詩を作ってばかり。国のため天下のために働こうとしないのは反逆罪だ! 私みずから叩っ切ってやる」
 弟は覚悟したものの、まだ作りたい詩はたくさんある。
 「いえ、兄上。お言葉を返すようですが、私は芸術の通して国民のために働いているのです」
 「やかましい! そんな働きが何の役に立つか。働くとは、国のために敵を討つことだ」
 「しかし私は兄上のようにその方面の能力は持っておりません。詩こそ、私の国民に対する最大の貢献手段なのです」
 「よし、そこまで言うなら、七歩あるく間に詩を作ってみろ。もしできたら詩を作ることだけしかできない能無しだと認めて許してやろう」。と、剣を抜きはなった。
 弟は、わかりました、という顔をして、ゆっくり歩き始めた。歩きながら詩を詠んだ。このとき作ったのが「七歩詩」である。

  豆を煮るに、豆の豆殻を焚く
  豆は釜中(ふちゅう)にあって泣く
  もとはこれ同根(どうこん)より生ずるに
  相煮ること、なんぞはなはだ急なる

 豆を煮るときに、豆を収穫した後に残る豆殻を燃やす。誰もがごくあたりまえにやることなのだが、しかしもともとは一つの根っこから生えたもの。豆は豆殻に守られて大きくなる。豆殻は、豆の成長にはなくてはならない大事なものだった。
 その豆とて、煮炊きされたいと願って実ったわけではない。土中に帰って次の世代の親になることを思っていたはずだ。
 人間が自分の命を長らえるために、せっかく大きくなった豆を煮て食べるのはしかたがないとしても、同じ種から共に成長してきた、そしてこれまで自分の成長を助けてくれていた兄弟に殺されようとしている。
 豆はそれが悲しい。
 燃やされている豆殻は悲しくないのだろうか。

 たった七歩あるく間にこれだけのことを言ってのけたのだ。なるほど天才だったに相違ない。
 これだけの才能を目のあたりにしたら、いくら無骨な兄でも、さすがに許さざるをえなくなり、「この、できそこないめ」と捨てぜりふを残して部屋から出て行った。

 たしかに切ったはったを毎日やらなければならない時代に、高尚で優雅な芸術など楽しんでいる暇はないかもしれない。そいういう意味では兄の気持ちも分からないではない。
 しかし自分の意見だけが正しく、別の生き方をしたいと願う人の気持ちはまるで理解できず、自分の役に立たなければ殺してしまえという態度は、どうかと思う。
 現代でも、自分と相入れない意見を持つ者を厳しく弾劾したがる人間はいくらでもいる。特にネットには。殺してしまえというところまでいかないのが救いだが。

 同じような言葉に、「兄弟、牆に鬩ぐ」(けいてい かきに せめぐ)というのもある。
 墻(かき)は垣根のこと。鬩ぐ(せめぐ)はおそろくしく難しい漢字だが、要するに垣根の両側から互いに押し合っていること。
 垣根を少しでも向こうに押しやることで、自分の土地をちょっとでも広げようとしているのだ。
 そんなことをやって広がる面積なんていくらもないだろうし、もともとは親から譲り受けた一つの土地。自分の分を広げたところであまり意味あることではなかろうに、互いに必死になって押し合っているのである。
 そんなことをするより、両者強力して外の土地を開拓するなり家を盛り立てたりしたほうがはるかに有益だろうに。
 兄弟や仲間同士で争う愚かさを教えた言葉である。
 こちらは三国時代よりはるか昔に書かれた「詩経」(しきょう)という本に乗っている言葉だから、人間はずっと似たようなことを繰り返しているらしい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?