小説『戦争と五人の女』についての十篇(第五回「小説」)

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10月に、小説『戦争と五人の女』が京都文鳥社より発刊されました。
12/8(日)に、その小説についてのトークイベントをハミングバードブックシェルフ四条烏丸店さんにて行います。それまであと10日となったので、この小説やイベントについてお伝えするために何かできないかなと思い、11/29より日々10個のキーワードに分けてこの小説について書くことにしました。
これらのキーワードのうち、いずれかが心に引っかかった方には、ぜひ読んでいただけたらなと思います。もしよろしければ、イベントにも遊びに来てください。
イベント詳細はこちらです。

第五回『小説』

最近、芸術大学の先生がたにインタビューをする機会が多い。芸大の先生は、教鞭をとりながら作家活動をされている方も多いので、個人的な興味から「作家として大事にされていることや意識されていること」もよくうかがっている(そしてそれは教育にも顕著に出ることが多い)。
きのうは、「自分は絵画至上主義だ」とおっしゃる先生に出会った。
「言葉では言い表せない本質を描けるのは『絵画』だけで、絵画こそが自由のための最後の砦だと思っているんです」
わたしはそれを聞きながら、すごくおもしろいなと興奮していた。彼の言う「絵画」に、「小説」と同じものを感じとったからだった。


ときどき「『戦争と五人の女』はどんな小説ですか?」と聞かれることがある。わたしはそのたびに答えに窮し、「朝鮮戦争が終わる1953年7月の、広島県呉市に住む娼婦たちを描いた作品で云々」と答えるのだが、それはあらすじであって「どんな小説か」の答えにはなっていない。
うまく話せずまごまごとしてしまうが、そのまごまごしている姿がもう答えになっているのかもしれないなと思う。「こんなメッセージ性を持った小説です」と一言で言えるのであれば、「こんなメッセージ」を大きな文字で書けばいい。だけど自分自身も、書きたい「本質」の正体を一言で言い表せないから、数万字以上も使って物語を構築したのだ。だから、その数万字を読み終えてもらったときにやっと言える。「こんな小説を書いています」


「言葉では言い表せない本質を描けるのは『絵画』だけで、絵画こそが自由のための最後の砦」だと先生はおっしゃったが、わたしは同じことを「小説」で行いたいと思っている。絵画が色や形や素材を通してそれを行っているのなら、わたしは言葉を使ってそれをやりたい。絵画が言葉から解放されているのと同じように、小説も視覚から解放されている。先生が絵画を信じているのと同じくらい、わたしも小説を信じている。

ただそれに向き合うのは本当に難しい。なんてったって「自由のための最後の砦」だ。一筋縄で行くはずがない。
「40年以上描き続けているけど、死ぬまで多分到達できない」
先生はそうおっしゃっていたけれど、苦笑しながらもどこか嬉しそうだった。その表情を見ることができて、よかったと思った。
今先生はどんな絵を描いているんだろう。いつか観てみたいなと思う。

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