当たり前に浸りすぎている僕ら
僕らは当たり前に浸りすぎているなぁ〜って思うことがある。その当たり前は実はそうじゃないものがほとんどしめていることが多い。
昔の人が築きあげてきたものの上にたまたまのかっているものが僕ら人間だ。
例えば、今、身近になってきているスマホが無かったら...........
電話をかけたりお金をおろしたりが出来なくなるだろう。完全にスマホで全てが解決が可能なじだいになったら僕らはそれに頼りきって生きることになる。
他にも例を考えるとたくさんがあるが1番わかりやすいと思ったのがスマホだったからスマホを例にしてあげてみた。
いろんなものが「当たり前」という一言で片付けられていく。もしその当たり前が無かったら...........
僕らはまともに何かをすることが出来なくなるだろう。
その結果、当たり前に浸りすぎていて感覚が狂い気づいて失ったときにそれが、
当たり前
じゃないことに気づく。
だから、それを当たり前じゃないと思いながら生きることによって浸りすぎるということはなくなる。
そうするとあんがい豊かになったりするかもしれない。
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