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マガマガ・メモリー

「こんなことになるなんて、誰も予測できなかっただろう。」

大学が突然の長い春休みに入り、帰省しているわたしに、父はそう零した。

父のその言葉に、わたしは(本当にそうだろうか?)と思った。
そうだとしても、今はひとと繋がることにさえ理由が必要だ。そんな現状のなかでは、同じ大学のみんなに、質問をすることすら出来ない、と思った。

かつて、あんなにも近かった同年代の声が、今は大人の声に掻き消されてしまって、こんなにも遠い。

どうにか、みんなを近くに感じたい。
もし、みんなが不安なら、そんな気持ちを共有したい。

いつか、笑える日のために。
離れていても、辛くても、僕らには未来がある、って今、繋がりたい。



はじめに


“コロナが終わったらやりたいこと”を並べていくと、当たり前だったはずの、今はもう失れた日常たちがとたんに眩しくなった。

わたしの通う大学は、8月いっぱいまでオンラインで授業を行うことが決まった。
会いたいひとに会えない時のなか、わたしは、遠くで大学の友だちみんなが今コロナをどう思っているのか気になった。
もし不安なら、温めたいと、寄り添いたいと強く思った。

この記事は、そんなわたしの、同年代のひとに向けての応援の気持ちだ。
ことばを選ぶのが難しく前置きが長くなってしまったが、わたしはこの記事がどうか、大人の声に疲れてしまった 大人でも子供でもあるあなたに、届くことを願う。



 この記事に協力してくれたひと


この記事を書くにあたり、4月25日から5月9日の期間中、大学生を中心とした中学生~社会人の方にアンケートの協力をお願いし、約160名の方に回答をいただきました。

どの回答も、まとめてしまうには惜しいほどに感情のこもった素直な言葉たちでした。このような場からではありますが、ご協力いただいた159名の皆様、心からありがとうございます。



みんなの声と、わたしの声


コロナに関して、どんな気持ちを抱いてる?

怒りや不安、悲しみや疲れを抱えている人が多くいましたが、そんな気持ちが大半ではない、ことが印象的でした。



コロナの影響で、生活は変わった?

コロナのせいで正直困ってる?

分かっていたことだけど、聞いてみたかった質問です。

それぞれが、こころの痛みだけじゃなくて、もっと大きな「被害」を受けていること。それって今の社会の文脈の中では当たり前だけど、でも、ただ病気が流行るだけではありえない現状だよなと思って、数字として残すためにも質問しました。

「悲しかった・嫌だったこと」に、卒業式や入学式がなくなったり、楽しみにしていたライブや舞台が中止になってしまったり、今しかできないと思っていたこと、学生という短い瞬間を奪われた悲しさや苦しさを回答してくれた人が大半でした。

何かを奪われても、大人が決めるルールに振り回されても、それでも生きることを選んでくれた。こんな日々の中でも、何かを得ようとした。そんなみなさんの声を受け止められてよかった。怒ることも悲しむこともどこかはばかられる今だから、文字上だけでも、このアンケートに答えてくれた人が気持ちをあらわにしてくれたこと、その気持ちをこうしてみんなでシェアする場まで連れてきてあげられてよかったです。「今だから出来ること」に目を向けるのも「コロナに負けるな」のことばもいいけど、あなたのその、怒りも悲しみも、大切な感情だとわたしは思っています。



危機感や恐怖感をどのくらい感じた?

自分は外出自粛してる?

これは、すこし意外だったし心から嬉しかった結果。

「自分は若いから感染しない」という考えのもと外出した若い方たちが、メディアでとりあげられたことがありました。それをきっかけに、「若い人の外出のせいで感染がおさまらない」という報道が一時期あったとき、わたしは「完全にそうってことはないだろう」と思ったから。本気で恐怖を感じている人がいること、一生懸命家にいてくれる人がいることを知ってて、くやしかったから。「若い年代」であることは思考が浅いということとは違うと言いたかったから。だから、この数字を見たときとても嬉しかったです。
もちろん、若い人は感染しづらいという情報が過去に出ていたのは事実だし、外に出たいという気持ちが無かったわけじゃないとは思います。実際、100パーセントの人に自粛をしている自覚がある訳では無い。
でも、事実としてたくさんの大学生や高校生、20代の人達だって、命の危機を強く感じています。みんながみんな、自分なりに恐怖や、共有しがたい痛みを、きっと一人で抱えているのだと、わたしは思っています。

「恐怖や危機感を感じたタイミング」に対し、同年代の方や地元に感染者がいるのが分かったとき、緊急事態宣言の出たタイミングや、著名人の感染、バイトやイベントが自粛されたタイミングに恐怖や危機感を感じたという回答をくれた人が多くいました。また、なんとなく世間の慌てぶりを見て恐怖を感じた方や、SNSで実際に感染した人の話を聞いたとき、という意見もありました。

三月、わたしはニュースに目を向けたくありませんでした。大人がただ騒いでいるだけ、としかこのウイルスのことを捉えられず、口うるさく外出時にマスクをつけるよう言いつける親の気持ちが分かりませんでした。けれど、四月になって、妹があんなに楽しみにしていた入学式が延期になりました。きょうだいの学校が休校になり、わたしは実家からオンラインで授業を受けることが決まりました。世間が、日常が、壊れる音がしました。もう、完全に元通りってわけにはいかないことを悟ってしまいました。
実感は、すぐそばまで迫ってこないとわいてくれなかった。あまりに平和ボケした自分自身に、はじめて恐怖を覚えました。

こうして危機感や恐怖感についてのアンケートを取ると、みなさんが、同じタイミングで危機感を感じたわけじゃないことがわかります。けれど、みんながみんな、同じものを見ていることには変わりがない。会話することが減ってしまうと、こんなにも当たり前のことだって、どこか不思議なことに思えてしまいます。



「おうち時間」どう?

意外だったし、聞いてよかったと思う質問です。

「自粛生活はつらい」「家にいることは飽きること」の報道が絶対ではないのが分かってうれしかったし、こういうとき、臨機応変に今を楽しもうとする方もいるのだと思うと、わたしはどこか心強さを感じます。「同年代」という同じくくりの中にいてくれる誰かの温度を感じて、心がすこし温まりました。

もちろん、質問に回答してくださった方の中には社会人の方やアルバイトの方もいて、そもそも「おうち時間」についてあまり考えたことのない方もいますが、「家族と過ごせる時間が増えた」「散歩という趣味が出来た」「人に会うことの大切さや、大事な人の大切さを知った」という素敵な意見も多くありました。



コロナで考え方は変わった?

159人通りの考え方と人生があるのだ、と改めて思う結果です。みんなが同じ問題にぶち当たっても、考えることや感じること、その対応は全く違うんだな、と実感できました。

わたしはこのウイルスをきっかけに父に基礎疾患があることを知り、はじめて、父が命のある生き物なことに気が付きました。彼が生きていることが当たり前だと思っていて、まだまだ死を意識する年齢でもないと信じていたから、このひとがひょっとしたら明日には会えない人になるのかと想像したとき、とても怖かった。家族には何も言わなかったけど、もしこのひとがいなくなったらわたしは長女として何をしたんだろうか、とあの時からよく考えます。

この質問にあわせ、「具体的に考え方はどう変わった?」という質問もしました。多く目に留まったのは、政治のことと、ひとの在り方についての価値観。ひとの温かさを感じた人もいれば、呆れや諦め、恐怖感を感じた方もいました。



コロナが終わったら、やりたいことある?

何をやりたいか、できるだけ沢山教えて!



わたしたちに今できること、あると思う?




さいごに


わたしは、大学からオンライン授業を行う連絡があった四月のはじめ、やっとものを言葉にして考えられるようになりました。あの日、こんな世の中でも、立ち止まっているわけにはいかない。そんな声と、遠くにいるはずの、大学のみんなの足音が聞こえました。

それから少しずつ、わたしは自分に、今何ができるかを考えるようになりました。みんなと会えないとしても、あの頃の日常と変わらずしあわせであたたかな日々を送りたい。みんなにも、見えないけどできれば笑顔でいてほしい。その思いだけで、こうして記事を書くことを決めました。

わたしはこの記事を、誰かにとっての誰かとの対話の場になればと思っています。自分の気持ちとの対話でも、見えない遠い誰かとの対話でもいい。想像力と、ことばの力を思い出してもらえたら。いま、連絡を取りたい誰かが胸の中に浮かぶなら。こんな世の中だって、きっとわたしたちで乗り越えていけると思うから。

いつかまた、手をつないで一緒に進んでいこう。大人ほどの力もお金もないけど、いつだって未来を抱えてきたわたしたちなら、この日々を思い出にできる。ずっと忘れないよう今を何度も思い出して、そのたび愛しい人が隣にいる奇跡を感じられる。

この禍々しさも、気持ちも覚えてよう。これからをつくるわたしたちが。

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