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人の言うこと程あてにならない

と思いながら生きてきました。

私はとにかく人のアドバイスを聞かない、とよく言われました。

なぜ聞かなかったのか、理由は二つあります。一つは自分が経験しこの目で確かめることに価値を見出していたので、経験者の言うことは分かるけれども、まずは私に体験させて欲しいと思っていたから。もう一つは、タイトル通り人の言うこと程あてにならないと思っていたから。あの人のアドバイスはあの人の見解であって、あの人の体験ベースであって、私にとって必ずしも有効なものではないと思っていました。

なぜこういう風に思っていたかというと、謹賀新年の投稿でも書いたのですが幼い頃から皆一人一人違うと思っていたからです。

以下に抜粋

幼い頃、私はよく変わっていると言われました。具体的にどう変わっていたのかは気にしなかったので知りませんが、そういう風に言われる度に思っていたことは、私だけじゃなくて皆一人一人が全然違っていて、一人一人独特の魅力がある、と。

見た目や性格、発言や視点、考え方、全てが違う。それが一人一人違っているのでとても面白くて。特に理由もなくそれだけの理由で周りの人のことが大好きでした。そこに、どんどん変わっていく一瞬一瞬や日常が加わり、私も含め周りの人々がどんどんと変化してしくのです。どの瞬間も以前とは全く違うので面白くって、どの感情も発言も二度とやってこないものだと何となく思っていました。たとえ同じ口癖を毎日言う人がいても、昨日と今日では別のものだと。

あまりにも違うので、違った人からの【絶対こうなる】など信じられなくて答えを一つに搾り出すという流れにずっと疑問をいだいていました。

周りのアドバイスを強く否定したり拒否していたのではなく、もっと緩やかな感じで例えば「そんな生き方してたら経済的に困るようになるよ。」と言われたら「そうかなあ?そうなのかなあ?多分私には関係ないなぁ。」という反応でした。口に出して言うと相手を怒らせるので何も言わず、そうですか、と答えたあとは静かに無視していました。

絶対とよく言う人とか、人をコントロールしたがる人のことは感覚的に信用していませんでした。感覚的に、自分に自信のない人ほど他人をコントロールしたがると思っていたからです。自分に自信があったり自分のやりたいことに夢中になっていると、人のコントロールなどしてる暇がないし、他人自身が持っている力も信じられるからです。

こういう人の意見をことごとく無視するので嫌われていたのだと思いますが、腑に落ちないというか自分の気持にしっくりこないことは私はできないのでひたすら自分の道を行きました。

あまり美味しいと感じないものを美味しいから食べろ食べろ、美味しいだろうとずっと言われる感じです。最初のうちは我慢して口にしてても、その内美味しくないんだろうと分かるので、口に入れる前に拒否をする。場合によっては仕方ないので口に少し入れても、やっぱり合わなくって口からぺっと出してしまうようなものでした。

とにかく自分にしっくり来ないものは選ばない、というか選べないので(嫌いな食べ物の様に受け付けない)その時の選択に対して後悔もありません。

過去のことで悔やむこともほとんどないです。世間のアドバイスや一般的だから、という基準で選んだことはしっくり来なかった場合は迷いが生まれて後になってあれでよかったのだろうか?と悩むことは今でもあります。

でもそれ以外の事は、どんな結果になっても後悔することがないです。

後悔しない、というかできないのです。その選択以外に拒否反応が出てしまったので。

こういう風にしてきたので、過去のことで後悔する人の話を聞き、なぜ後悔するのかというのを客観的に考えていたのですが、それについては別途書きたいと思います。

とにかく、しつこいようですが皆さんにも自分のチカラ、感覚を信じて他人のアドバイスがしっくり来ないときはあてにせず自分の道をつき進んで欲しいです。あなたの人生であなたほどパワフルな人はいないし、あなたほど大事なひともいないのだから、自分の感覚を信じてください。


憧れは お賽銭箱のような…(^.^) ありがとうございます。