交渉の要点その2〜彼我の戦力分析

前稿「交渉の要点その1〜優先順位の整理」では、当方依頼者の利益ないし優先順位と交渉相手のそれとの擦り合わせ作業を中心に論じました。擦り合わせと言っても、そこで例示していた事例では、裁判の最後には私の依頼者がほぼ確実に勝つという戦力分析が前提にありました。前稿では「弁護士は、相談依頼を受けた段階で当方と先方の戦力差を評価分析し、交渉を実践して更に情報を集め、新たな情報を考慮して次の方針を策定し、また実践するというPDCAを回します」とも書きました。今回のテーマはこの戦力分析です。

なぜ戦力分析をしなければならないのか?答えは簡単。それをしなければクライアントの利益は実現できないからです。たとえ正確かつ精密に目標と優先順位を定めたところで、双方の戦力差を分析評価しないと、適切な方針は出てきません。

戦力分析の対象には、大きく分けると(1)むき出しの力関係と(2)裁判になったときの勝敗があります。

例えば、私たち弁護士がよく受ける類型の相談に契約書のリーガルチェックがあります。その際、最初にクライアントに確認するのが双方の力関係です。圧倒的に取引先の力が強いのであれば、たとえ幾つかの条項に問題があったとしても、そのまま呑むしかありません。その場合リーガルチェックの目的と意義は、問題のある条項をクライアントに知ってもらい、取引先とどういう喧嘩をしてはいけないか把握してもらうことに尽きます。他方、こちらが圧倒的に強い場合は好きな条項を押しつけることが出来ることを前提に、取り引きの健全性やリピュテーションも考慮に入れて、それをどこまでやるかという判断になります。ある程度拮抗している力関係なら、修正したい条項をピックアップし、それらの優先順位を付けていく作業になります。ここでは、もちろん条文を読解し構成するための法的知識は前提とはなるものの、分析評価の中心は(1)双方のむき出しの力関係評価です。ただこの点は、誰よりもクライアント自身が分かっているので、その分析評価に労力を要することはあまりありません。

私たち弁護士の専門性が最も問われるのが、(2)裁判になったときの勝敗に関わる戦力分析です。ここで言う「戦力」とは、9割9分「証拠」のことです。裁判の勝敗は証拠の有無と個々の証拠の持つ証明力の強さで決まるので、証拠=戦力という等式が成り立つのです。証拠はさらに3つに分かれます。①その時点でクライアントの手元にある証拠、②クライアントの手元にはないがこの世のどこかに存在している証拠、③いま現在はこの世に存在しないがこれから作り出すことが出来る証拠の3種類です。②は例えば事故証明書や自動車の所有者、携帯電話の契約者、相手の住所などであり、これらは弁護士独自のノウハウで収集できることもあります。パワハラ事例で相談後にさらに被害に遭ったときの状況をクライアントに録音しといて貰うのが③の典型例です。①で重要なのは契約書、納品書、帳簿、メールなどの客観的な資料です。証人証言も証拠ではありますが、裁判の世界では一般的に証明力が最も低いものと扱われます。相談者クライアントの話を聞いているとき、弁護士は必ず①の証拠がどの程度あるのか、②の証拠の存在とその収集方法、③の証拠作出の可能性を頭の中で考えているのです。

こうして①②③の証拠を総合した上で、判決まで行ったときの結果を予測します。勝つ確率が相当高いのであれば、判決を取りに行くという選択肢もあり得るし、前稿で紹介した事例のように判決で勝つことよりもクライアントにとって価値の高いゴールを目指すことも出来ます。負ける可能性が高いのであれば、弁護士はまずそれをクライアントに伝える義務があります。法的手段で勝てないのであれば、ほかの土俵で勝負しに行くのか、出来る限りの条件を取りに行くのか、全面譲歩するのか等々、様々な選択肢の中から難しい選択をしなければなりません。証拠上の戦力が拮抗しているのであれば、どこが相手のストロングポイントで、どこが当方の強みなのか、さらに詳細な戦力分布を把握した上での方針選択となります。

戦力分析は、交渉方針選択のみならず、ゴールと優先順位の設定にも直結します。相手方から訴訟を提起されている事案で、証拠関係上の戦力が圧倒的に不利な場合に、「訴訟で勝つ」という方針を掲げてもクライアントにとって何の利益もありません。勝てないことを前提に、どこに最終防衛ラインとベスト防衛目標を設定するかが、ここでの課題です。その目標立案をサポートする現代社会における軍師が、弁護士なのです。

当初手元にある証拠や初期段階で収集できた証拠に基づき最初の方針を策定し、交渉に臨みます。いざ交渉が始まってみると、先方の反応があるので、情報が増えます。その情報は当方にとって良いことも悪いこともあるけど、情報が増えれば方針も変わりうるし、場合によっては当初設定したゴールや優先順位すら変更せざるを得ないこともあります。交渉が続く限り、前稿で書いた「弁護士は、相談依頼を受けた段階で当方と先方の戦力差を評価分析し、交渉を実践して更に情報を集め、新たな情報を考慮して次の方針を策定し、また実践するというPDCAを回」す作業を継続しなければなりません。

交渉方針を精緻に立案するためには、出来るだけ多くの情報を集め、彼我の「戦力」を正確に評価分析することが不可欠です。繰り返しますが、現代社会における「戦力」は「証拠」の質と量に依存します。この法則は、紛争が現に生じた事後的場面でも、紛争予防のための抑止力を備えるべき予防法務の場面でも全く同じです。紛争解決の最終手段を司法に委ねている法治国家においては、ありとあらゆる交渉において弁護士のコンサルティングが有益であると私は本気で考えています。

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