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【ライブ報告】ふるえる響き合いの種

ソロライブから一週間近く
まだ、いろんなことを感じたり
掴めた気がしたり
感覚が広がったりしている。

その中で、掴みたかったものの本質は、少しずつ見えてきた気がしています。

ステージを踏む身として、当たり前のことかもしれないけれど

その場で生まれてくる音に対する、演奏者自身の研ぎ澄まされた全身全霊が必要であり

聴く人の心もそこに震えるのだということ、

それって、剣術と似ている。、、と、ふと思った。

なんで剣術なのかというと、
「真剣勝負」はやはり剣術からしか生まれ得ない言葉なのですよね。

衝動のようで、衝動だけでは結果が違ってしまう。

「すごい面白かったー!!脱皮したねー!もう大興奮!」
とか

「海の底でゴジラが暴れているみたいで、心配しながらはらはらしながら聴いていた」
とか

「よりちゃんは、そのときその時でまったく違う顔(音)を見せてくれるから楽しい」
とか。

それぞれに「真剣に」受け取り感じ取って、伝えてくださったことが本当にありがたかった。

途中には「もっと聴きたい」
と言われて
音が割れているのを感じながらそのまま弾いたけど

「どんな演奏をしても、
よりちゃんがそこにいた、よりちゃんの音だった」
とも
何人かの方が言ってくださった。

湧いてくる怒りや悲しみも耳障りな音も、制限せずに出そうと決めた今回は、
自分にとって「ゲルニカ」だったのかも、とふと思い、
ピカソは、こんなやむに止まれぬ思いで描いたのかもしれない、とも思った。

そして やってみて、
感情をそのままぶつけたいと思っているわけじゃない、
自分が、醜いと感じるものをそのまま出したいとは思っていないんだということも、
発見だった。

・・・・・

自分で勝手に作ったタブーを超える試みをしている喜びや
途中で感じたさまざまな感情
それを見守ってもらえるありがたさなどが入り混じって
演奏しながら、泣けてしまうような
充実した感覚が中心にはあったけれど

今は、その上で
まだまだ、焦点が見えない感じがした部分がなんなのかも、少し分かってきた気がする。


調和的な音だろうと、
不協和音だろうと

即興であれ 
あらかじめ用意した曲であれ

激しくても、静かでも

それは関係なくて
自分の中の震える種を、ただそのままに取り出せるか。

剣術で言えば、斬るか、斬られるか

見合ってはいけない、ためらってはいけない
生ぬるくてはいけない

自分本位でも、相手本位でも
忖度してもいけない
嘘があってはいけない

本気で向き合いきれるか。。

聴く人との間ではなく、
音と自分かな。

そこが本質なんだと思った。

そういう意味では、
今回は、出し切ったつもりではあるけど
まだ、まだだろうなぁ。

だから、「萌芽」と名付けたのかなと思う。

その先にきっと、人との新たな響き合いが生まれる気がする。

あ、やっぱり、この感覚は、変化の大きな潮流の中にある社会と
つながっているのかもしれない。。

まだきっと、
わたしの中に
震える種がある。
もっともっと、見つめてみたい。

あたたかな仲間がいて 本当に幸せだね、よかったね、とも
言っていただけたことは、嬉しかった。

どんなわたしを生きてもいいんだ、と教えてくれる
見守ってくださる皆様に、
魂のつながりのような感謝を
じんわりと感じています。

わたしの中に、ごく個人的に
世界への信頼が広がってきている。

それはきっと 今大きな問いを投げかけられている、大きな世界ともつながっていると感じている。

(個人的には、癒し系と言われることの多いライブで「ゴジラみたい」と言われたことが 新鮮でちょっと楽しく感じています😆)

音を通じて調和する世界を 皆で創造していきたいと思っています。応援よろしくお願いいたします。