わたあめを買う義父、「お姉ちゃんなんだから」と叱る義母

今年のお正月は、私が妊娠後期のため、自宅で過ごすことにした。

ただ、いつもと違うことといえば、飛行機距離に住む義父母、そして5歳の姪も一緒だったということ。2LDKマンションには、大人4人と子ども3人・・なかなか賑やかな年末年始となった。

大晦日の夜は、皆で今年最後のご馳走を食べながら紅白をみた。そのうち、そわそわと外に出かけたくなる子どもたち。近所のお寺の境内では、初詣客のために縁日屋台が軒を連ねるのだ。

「お祭り行きたい行きたい行きたーい!!」な子どもたちに根負けして、夜の散歩へと繰り出してくれた義父母と夫。私は、ぬくぬくとひとりお留守番。

1時間ほどで「ただいまぁ~」とテンションMAXな子どもたちが帰ってきた。頭にはプリキュアのお面、手にはパンパンの袋に入ったわたあめを握りしめている。

「じじに、買ってもらったの!!」と娘。

あーあーあー、いつもいつも、オモチャとかガチャガチャとか、いろいろ買ってもらっちゃってすみません。アリガトウゴザイマス・・

「じじはスゲーなって思ったよ」と、夫がこっそりと私に話しかけてきた。

「あのお面、ひとついくらだと思う?」

「え?500円くらい?」

「いやいや。1000円するからね。3つ買ったから3000円。俺、思わず屋台の人に『3つ買うんで2000円にしてください!』って値切っちゃったよ。ダメダメ~って言われたけど(笑)」

「まじか。1個500円でも躊躇するね」

・・これが、価値観の違いってやつなのか。

* * *

わが家は都内で暮らす核家族。両実家は3時間以上かかるところにある。

ふだんは夫婦2人で家事育児をしているので、余裕がなくて大変…と思うこともあるが、実家・義理実家とも適度な距離感というこの状況は、やっぱり気楽。

たとえば、以前に義理実家へ帰省したとき、こんなことがあった。


5歳になる姪は、いとこのなかでも最年長。1歳下のうちの長女とは大の仲良しで、帰省するたびに一緒に遊んでくれる。

自分のお気に入りのオモチャも快く譲ってくれるし、ときに娘のわがままにムッとしてもすぐに気持ちを切りかえて「仲直りしよ~」と言ってくれる。基本とてもやさしい。

なのに、なのにだ。

「お姉ちゃんだから、ガマンしなさい」「お姉ちゃんだから、オモチャ貸してあげなさい」「お姉ちゃんだから・・」

姪がちょっとばかり不機嫌にとなると、すかさず義母がそう諭すのだ。

ふだん波風たてない・スルー推奨がモットーの私だが、その光景をみて、つい義母に言ってしまった。

「私も姉ですが、子どものころ『お姉ちゃんだからガマンしなさい』と言われてイヤだったんですよね。好きで姉に産まれたわけでもないし…」

・・ウソだ。

両親からは、一度も「あなたはお姉ちゃんなんだから」と言われたことがない。そのせいか、面倒見のよい姉タイプではないけれど、ずいぶんのびのびと好きなことをやって成人したと思う。

そんな私の価値観のひとつに、両親から受け継いだ「兄弟姉妹で順列をつけず、平等に接する」ことがある。

なので、「お姉ちゃんだから」を連発する義理実家と近い環境下での子育てはしんどいかも、とその時は思ったのだ。


私のささやかな反論に、すかさず義母はこう返した。

「でも、私は長男・長女としての役割をしっかりと教えるべきだと思っているから」

* * *

縁日で義父が買った「わたあめ」を、4歳・2歳の2人と一緒にほうばると、口のなかにザラメのあまさが広がり、しゅわわわ~っと溶けた。

「おいちい、おいちいねぇ」とわたあめを口いっぱいに詰め込む2歳児。「あ~これこれ、久しぶりに食べたよ。なつかしいねぇ」と言う私を、不思議そうに見ながらも、恐る恐る口にする4歳児。

ああ、そうか。4歳長女にとってはこれが初めての「わたあめ」なのだ。

いままで、私は一度も、娘にわたあめを買ってあげたことがない。フワフワと甘いソレは、砂糖のカタマリだし、原価を考えると数百円は高すぎだろ、と。

しかし、皆でわたあめを食べて、ふと思った。


もしも、私の価値観だけに接してこの子が大きくなったら、大人になってから甘ったるいわたあめの味を懐かしむことはないのかもしれない。

「欲しい!」とねだったら、無条件に好きなものを買ってくれる、あまいあまい経験も。「お姉ちゃんなんだから」と、理不尽に怒られて悔しい思いをする経験も。

私から子どもに与えることはないだろう。

しかし。

私が、一見ムダだと感じることも、私が、眉をひそめる何気ない一言も。これから子どもが成長し、ひとりで生き抜いていく力を身につける過程で、心の糧となるのだ。


すこしケチな母親。とことん一緒に遊ぶ父親。甘やかして親に内緒とお菓子をくれる義父。そして、年功序列や慣例にきびしい義母・・それぞれの価値観を子どもに押し付ければ良いと思った。

もっといえば、ひいきする担任教師や、シビアに実力だけで子どもを評価する塾の先生とかも。

そこから何を感じ、何を吸収していくかは子どもの自由なのだから。


2018年の大晦日の夜。私は初めて、わたあめを買う義父と「お姉ちゃんだから」と(理不尽に)叱る義母の存在に、心のなかで「ありがとう」とつぶやいたのだった。

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