見出し画像

4歳さいごの冒険『はじめてのおつかい』

「わたしは、はじめてのおつかいいつ行くのぉ?」

寝転がりテレビを観ていた娘が言った。

ふうん。おつかいねぇ。まだ早いんじゃない?大量の洗濯物を畳む手を淡々と動かしながら、「それじゃあ、赤ちゃんのミルクを買ってきてもらおうかなー」と、私は受け流した。

すると、がばっと起き上がった娘。「分かった!」と満面の笑みをこちらに向けている。

しまった、やってしまった・・。

のんきな声で『はじめてのおつかい』を口に出した娘だが、その心うちはいたって真剣だったのだ。こわがりの長女には所詮ムリ、と高を括った自分を悔いた。

テレビには同じくらいの歳の、いやもうすぐ5歳になる娘よりずっと小さな子のおつかい風景が映っている。娘の「おつかいいつ?」は、よし自分も!と気持ちを奮い立たせての一言だったのか。

「幼児のおつかい」は、エンターテイメントとしては微笑ましく面白い。けれども、我が子にさせるか?となると話は別。私は、お店利用のマナーやお金の概念、そして交通ルールがあやふやなうちは、ひとりで行かせるつもりはなく、行かせたくなかった。

しかし、キラキラした目の娘に今更ダメなんて、もう言えない。そもそもお願いしたのは紛れもなく私。
あーあーあーと頭を抱えながら、結局、次のお休みにおつかいを決行することで話がまとまってしまった。

* * *

いよいよ、決戦の土曜日。

朝の情報番組では、台風が接近中ですと繰り返すリポーター。空を見上げると黒い雲がびゅんびゅんと流れていく。
そして、間が悪いことに夫が急用で一日不在。

どう考えても無謀だろう。
「はじめてのおつかいは別の日にしよう」と説得すると、駄々をこねることなく「はぁい」と娘。だけどその声にはどことなくガッカリの色が滲んでいる。約束を守れなくてゴメン。

しばらくすると、「じゃあ、旗でもつくろっと」と娘は工作をはじめた。
ほどなくして出来上がった旗の片面には『ありがとうございます』、その裏側には『とまります』の文字。

「これはおつかいに持っていく旗。恥ずかしくてお返事できないときに使うの」と誇らしげに旗をかざした。

あああああ!!こんなにも楽しみにしていたんだね。

「おつかいはミルクじゃなくてもいい?」

空が薄っすら晴れてきた午後、私は娘に声をかけた。

「図書館に本を返しいきたいんだけど・・」

私が言いきらないうちに、娘が言葉を被せる。「じゃあ私が返す!はじめてのおつかいだね!!」

そう言って、旗を持ってくるくる回った。

* * *

図書館は徒歩で10分ほどの場所にある。
4歳の娘は、信号の渡りかたや車道と歩道の区別を理解しているものの、ひとりで(もしくは2歳の弟と一緒に)行かせることはできない。

図書館手前の公園までは私(親)と一緒。
そこから先の ①公園を通り抜けて図書館に入り、②絵本を10冊返して、③予約している本を借りてくる、が今回のミッションだ。

本を収めたトートバッグは、4歳児の半分の重さ、3分の1の高さに匹敵する。持てる?と聞くと、出来る!と答える娘。本当に大丈夫なのか。

娘にはバッグと旗を持たせ、息子にも同様に旗をもたせ、私は赤ちゃんを抱っこして外へでると、生暖かい湿った空気がむわぁっと私たちを取り囲んだ。
強風が隙間をすり抜け、4歳と2歳が同時によろける。

「ママと手を繋ごう!」

飛ばされそうと怯える子ども達の手を握りしめ、図書館へ急ぐ。ワンオペの日に私は何をやっているんだ?と自問自答しながら亜熱帯の東京下町をぐいぐい進む。

目的地の公園入口へ到着すると、鬱蒼とした緑の奥に図書館が見えた。いつもなら親子連れで賑わっているその公園も、今日に限っては人もまばら。頭上のセミの大合唱がひときわ大きく聞こえる。

「ここからは先はひとりだよ」と娘に最終確認すると、心配ご無用とばかりに「一緒にいこ」と2歳児の手をとり歩きだした。

ふたりはすぐに小さくなった。

きゅうっと胸が苦しくなり、汗だか涙だが分からない水分が体から溢れそうになる。私の気持ちを察したのか、抱っこ紐のなかの赤ちゃんが「ふえぇぇ」とひと声あげる。

と、息子がこちらをチラッと振り返った。「おかぁさーーん」と不安げな顔で私のもとに駆け寄ってくる。

ひとりとなった娘に、こちらへ戻っておいでと手招きすると、娘はバイバイと手を振り返して、すたすたと歩きはじめた。

米粒大になった娘を見失わないよう、私は息子を連れてすぐさま後を追う。
娘は滑り台やブランコの誘惑に負けず一直線に図書館へ、そしてついに建物へと吸い込まれていった。

視界から子どもの姿が消えた途端、どくんと私の心拍数が跳ね上がった。

早く!早く!追いかけなきゃ!息子と一緒に走る、走る、走る、、

ず、ずざざざざ、、

う、うぎゃぁぁぁーーー!

私のペースについてこれず、息子がつんのめって転んでしまった。

しまった!ゴメン!!と、焦りつつも傷口を確認すると、幸いにもすこし擦りむいただけ。血は出ていない。
「きゅうきゅうしゃぁ~」と泣きじゃくる息子に、「大丈夫。すぐに痛いの飛ばすからね。はい、痛いの痛いの遠くお父さんにぽーん」と雑に飛ばして、図書館へ入る。

カウンターの前に娘の姿が見えた。

良かった。ちゃんといた。ちゃんと絵本を返却していた。
さっと本棚に隠れ、そっと様子を伺う。『家政婦はみた』も真っ青な私に「お姉ちゃん、いたねぇ」と、息子が笑いかけた。

ささ、最後は図書カードを渡して予約本を受け取ってね、との私の心の声は残念ながら届かず、娘はくるんと反転して絵本コーナーへ。

絵本の誘惑には勝てなかったかぁ。

これからどうしよ、と私は市原悦子を続ける。0,2歳が一緒でなければ完全に不審者である。

背の低い本棚の隙間から娘の姿がちらりと見えた。数冊の紙芝居と絵本を選んで、またカウンターへと戻るようだ。どうやら「借りる」ミッションも無事にクリアかと、ほっと胸をなでおろす。
「おねぇちゃーん」と息子が私を離れ、姉のもとへと走った。

借りる本は、受付の方がトートバックにしまってくれた。まずいな、こんな日に限って予約本がいっぱい届いているじゃないか。
ぱんぱんになったバッグを受け取った娘、そのとき旗がパッとあがった。

『ありがとうございます』の10文字。

ここからは遠すぎて見えるはずないけれど、私にはしっかりと見えた気がした。

* * *

「自立したい」という子どもの思いを止めることなんて出来ない。

これから君たちが成長するにつれ、何度も何度も「自立」のときがくるだろう。ひとりで小学校から帰宅する、ひとりで電車に乗る、お泊りする、そして家を出る。
そんなとき私は、今日の『おつかい』のように後ろ姿をこっそり眺めるしか出来ないのだろうね。想像するととても心配で、とても寂しい。

でも。

誇らしげに歩く君たちの背中を見ていると、楽しみのほうが100倍強くなるから不思議。

無事に自宅に戻り、緊張がほぐれごろごろする私のもとに娘がきた。

「4歳のうちにおつかいできた!すごい?」

そう聞くので「すごいすごい」と揉みくちゃにすると、きゃはははと笑いながら娘は言葉を続けた。

「いつ、テレビに映るかなぁ」

ん?

えっと、それはもしや、、「おつかい」したのはテレビに映りたかった?

だけ???

私は期待の色を浮かべる娘の目をみて、真摯に真実を教えることにした。

「テレビには映らない」
「でもママの心のカメラには、今日の娘ちゃんの姿がしっかりと映っているからね」

ぱちくりと目を見開いた娘は、一秒後にこれでもかと深いため息をついたので、私は脳みそがとろけそうになってしまった。

4歳最後の夏に君が経験した『冒険』は、よくある日常の一コマで間違っても大々的に放送される出来事ではないだろう。

でも、残念がることはない。

君の冒険の一部始終はインターネットの片隅に残しておくよ。

君がもう少し大きくなって、たくさんの「自立」の階段をあがってから見つけてごらん。

お読みいただきありがとうございます。 「いいな」「面白かった」で、♡マークを押してもらえるとうれしいです。