ジョブチェンジ
ついにぼくがここ数ヶ月葛藤してきた翻訳が脱稿を迎えた。
仮初稿から初稿、第二稿、第二稿A、第二稿B、第二稿C、第三稿まで。
何度も翻訳を見直して、現代の上演スタイルに合うように修正を重ねて、演出家のオーダーに応えて、読み合わせをして、不具合を再度修正して。
翻訳という作業をしたのは約1年ぶり。
前回は自分の団体での公演だったこともあり、稽古と共に修正をかけていく自由さと余裕があった。(甘えと妥協があったわけでは断固としてないけども)
しかし今回は外部からの依頼。
見知らぬ俳優さん達に稽古初日にお渡しする台本としてある意味“きちんと”していなければならない。
「もしも自分が主宰としてこの作品を上演するならば折衷点はここだな」
という主観的尺度は通用しない。
もちろん翻訳家として主張はしていく。しかしそこには理想と現実の側面があって、現実を見なければならない瞬間も多々ある。
しかしそれが社会であり、仕事なのかもしれないとも思っている。
ぼくは自由が好きだ。
だからぼくの生き方はこれまでなかなかの自由さを持っていたと思うし、その自由を許してくれる周りのひとびとがいた。
でも逆に言えば、そんな周りのひとびとに甘えているという見方もできるし、社会の現実に触れる機会を与えてくれたことに感謝しかない。
(嫌味っぽく聞こえるけど、全く嫌味ではないのです)
ここからは俳優としてこの台本に向き合っていくことになる。
翻訳家として作品と戦い、寄り添ってきた約4ヶ月。
正直、翻訳をしすぎてワケが分からなくなる瞬間もあった。作品の面白さを見失う瞬間もあった。
しかし改めて、俳優としてまっさらな気持ちで台本を読んでみる。初見のつもりで。
うん。面白い。
この作品が、とにかくリアルに、今ここで起きているということにこだわりまくった時、映画館での体験を超えるライブ感が味わえるに違いない。
真剣に、愚直に、とにかくリアルに、その空間で生活を送る。
約4ヶ月ぶりの俳優。そんな芸当がぼくにできるだろうか。
不安と緊張と興奮と期待で身体がウズウズしている。
産みの苦しみがきっと待っている。
でも、この何とも言えぬ、大きな山を目の前にした時の身体から発される“声”は俳優の特権だと思う。
しっかり味わっていこう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?