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誰かを幸せにする覚悟

結婚とは病める時も健やかなる時も共にあること。だから新婚さんには「羽毛布団」が必要です。

ということで、結婚祝いの打ち合わせで連絡したところ、姪の結婚相手の写真を見せてくれました。

それでなんとか新郎の人の輪郭がとれたという気分です。話に顔がついてないと、どうも言葉だけが記号化し風船のように消えていくというか、消えるのが早くて印象に残らない人になっていました。姪の結婚だけども、なんだか他人事のよう。いつの日かそうなっていくのかしらねと思った次第。それが自然なら悪いわけではないです。

再会の日、久しぶりに会った姪の顔は、結婚が決まった女の子の顔でした。

私はその顔を、普段ならとっくに眠っている時間に明け方までベッドのうえでドロドロに寝転びながら話をするというスタイルで眺めたわけです。それと比べて、今回見せてもらった新郎と一緒に写っているスナップ写真の彼女は、なんだか違う顔をしていました。解像度悪い写真でしたが、不思議と違う印象が伝わってきました。

微細なニュアンスを読み取るのが癖というか、自然に目に入ってぶつぶつ情報の分析と統合とをしてしまうのだけれど、今回のその写真に写っている彼女は誰かを幸せにする覚悟に満ちていました。すごいなと素直に思いました。「幸せはこっちだよ!」と手を引っ張っているように見える写真。プロカメラマン撮影のいい写真でした。立派な大人になっていました。

たとえば何でもいいのですが、私が「相当年下」の相手といま結婚するとなったら、相当の覚悟を覚悟するでしょう。いっぱいやらなくてはいけない。あげたらキリがない項目が一瞬のうちに浮かんできます。そんな折、これまで見てきたゴシップの結婚・不倫・離婚記事の流し読みはそんなに無駄なことではなくなって、それらがこぞって記憶に蘇り押しかけてきて、あらゆる可能性を私に囁くでしょう。それでも、この人と一緒にいたい。そう思える誰かと手を繋ぐ覚悟をしたなら、外野がなんと言おうとも、私は自分で幸せになっていこうと一気に猛ダッシュするつもりはあります。

だけれど、姪のように相手を幸せにしたいと思えるだろうか。かつて幸せにしてもらうことばかり考えてきた女の子が、他の誰かじゃなく自分と一緒にいることでこの人を幸せにしていきたいと男前な切り替えができるだろうか。過去を振り返り周囲を見回して誰もがそう思わせる相手と出会えているのだろうかと物思いに耽りました。

陰ながら「応援してるよ」という気持ちを「羽毛布団」にこめて、私の結婚祝いとするつもりです。そう、ここで羽毛布団登場です。羽毛布団による眠りが、まず人を幸せにすることは私で実証済み。安眠という土台のうえで健康に幸せになってほしい。

昨年のコロナ禍直前に、検討に検討を重ねて購入した「羽毛布団」。欲しいものを選べたけれど難しい世界だった「羽毛布団」。コロナ禍の自粛生活の惰眠を支えてくれた「羽毛布団」。調べているうちに妙に詳しくなってしまい、この選別スキルがもったいないと思うのです。姉の結婚祝いも母と私から「羽毛布団」でした。だから新婚夫婦には難しいであろう「羽毛布団」のセレクションは私がしたいのだとぶっちゃけて、必要な何か、あれ買ってこれ買ってなどを言わせませんでした。

メルカリで売られたりしないだろうか、心配です。
心配だからシーツも付けようか、迷っています。


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